練習

@53bbv

「夕焼け」 「コップ」 使用可「ガラス」

「まだ残ってたのか。早く帰れよー」

「はーい……」

 見回りの先生に声を掛けられ私はしぶしぶ広げていた筆記用具や参考書、ノートを片付ける。今日も手ごたえは感じられなかった。今度の試験──共通試験は特別なのに、それでも身についた感じはなかった。

 受験も近いというのに家だと集中できなくて図書館だと飲み物が飲めないからと、学校の教室で勉強するのが一番性に合っていた。夜遅くまでずっとではなくて、五時くらいまでしかいられなくても。

 私は集中しているとき無意識に口が空いてしまうようで、いい感じに集中できている時に口の渇きで集中をそがれてしまうのがしょっちゅうある。近くに水分を用意しておいてちょっと頭が凝り固まった時に水分補給をする。それが一番楽だった。図書館だと飲食スペースに出ないといけないのと場所取りができないのもあって、再開しようとしても場所がない。だんだん寒さが近づく中、暖房のきかない廊下をいったん通って飲食スペースに行かないといけない……と色々面倒だった。


 荷物を持って、コートを羽織って、足早に入口まで向かう。夕焼けで赤く染まったグラウンドには部活を頑張っている運動部の面々はいても、校舎には私以外の生徒は見受けられないようだった。例年地区大会で終わってしまう吹奏楽部が今年は珍しく全国大会へ進めたのだ。明日明後日がその大会当日らしく、この時期だと音楽室の方面から漏れてくる芯のない音がしないのも無理はない。

「…………」

 思いを巡らせ始める思考を振り切って、足早に校舎から出て駅までの道をただひとり歩みを進める。うちの学校から駅までは特に目を引く店もなく、何個かの横断歩道がある以外は何の面白みもないつまらない道だ。一応歩道と車道が分離されている程度の道を生徒たちは声を躍らせ、人目も気にせず群れを膨らませて歩く。たまに地域住民から苦情が来るようで教師から注意があったとしても、群れるのだ。朝も夕もそう大勢の生徒がいくつかの群れを成す道を、私はたった一人歩いていく。


 駅に着くとちょっとした事故でもあったらしく、三本路線があるなかで私の利用する路線だけ待たされるようだった。暖房のない改札近くにいるよりも、ホームに降りて暖房のきく休憩室で時間をつぶそう。そう思ってカバンからスマホを取り出して、改札を通過し昇り方面への階段を降りる途中で休憩室が見えた。そこには同じことを思ったのか何人か、おそらく私が座れそうにない程度の人数がいるようだった。中を見られないように休憩室のガラスにはもやがかかっているから正確ではない。それでも立っている人影が見えるということは、私が行ったところで座れないだけ。仕方なく休憩室はあきらめて、寒い風が直接当たるベンチに座ることにした。

 いるとしても皆休憩室か、風の当たらない壁沿いにでもいるのか、ベンチは私の独り占めだった。今は十月のそれも夕方。こんな寒い中暖房のきかない外にいるのは自分でも運がなかった。ベンチからそのまま落ちての自殺者が多かったらしく、列車に対して垂直におかれたベンチは直風を受けなくなったとはいえそれでも寒い。今日も学校で勉強するからとタイツを履いてきてよかった。校則順守の膝丈のスカートにタイツは朝暑いかなと思ったけれど、今となっては朝の自分に感謝ものだ。それでも寒く鞄から銀色の水筒を取り出し、コップに注いで中にあった白湯さゆを飲む。


「かえりたくないな……」

 暖かい飲み物でも飲んで気でも緩んだのか、ぽつりとひとり言を漏らしていた。近くに誰もいなかったはずではあるけれど、聞かれてないかこっそり周囲を確認する。数人増えてはいたけれど、ひとり言が聞こえない程度の距離だった。誰にも聞かれなくてよかった。ひとり言が誰か、万が一方面が同じ友達にでも見つかって、帰るのが遅くなったら一体どうなってしまうか想像するだけで恐ろしかったから。




 あの雨の日。ママは突然壊れた。微かながら予兆はあったのかもしれない。それでも当時の私にはわからなかった。衣替えのために夏服を用意しようとクリーニングに出して、五月の雨が降る中持ち帰った日のことだった。


「みゆき。部活をやめなさい」

「……え? なんで?」

「あんな結果も残せていない部活にいるメリットはないでしょ?」

「でも私そこまで成績悪くないし、来月の地区大会で引退するのに」

「いいからママの言うことを聞きなさい!」


 それからというものママの束縛がはじまった。以前はパートとして働いていたというのに突然やめてきた。毎日の昼食や飲み物は各自用意していたのに、専業主婦となったママが勝手に用意して、持っていかないと帰宅するなりひどい剣幕で近所迷惑になるほど大声を出して怒り出すようになった。パパも私もママの急変に驚き、なぜどうしてと問いかけるもママからの返答はなく束縛が続くばかり。パパも私もいつしか諦めてママの言うことを聞くようになっていった。

 吹奏楽部は結果を残せなくてもとても楽しかった。大会出場は望まないからこその楽しさがあり、引退まで友達や後輩たちと音を奏でていたかった。なのにママは部活で遅くなっただけで前もそうだったのに、学校の方へ娘の帰りが遅いとひどい剣幕で何度も電話をかけてきた。一度だけならまだよかった。二度三度と、電話がかかって来てその度に電話を受けた先生が部活に確認してくる。そして同じ部活の面々からだんだんと私が腫物扱いされるようになっていく。楽しく音を奏でるのを邪魔するのは教師だけでなく私もだった。

 そして私は部活をやめた。帰宅するなりママに対してそれを告げた後、ママの喜色あふれる声は聞いてもどんな顔をしていたかは今でも見なくてよかった。そう心底思っている。ママが話している間、そっちを見ないようにして帰宅する途中の家に咲いていた青が鮮やかな紫陽花を思い返していた。もしママを見ていたら忘れられなくなっていただろう。


 その後私も出るはずだった地区大会は私を除いて出場し優勝した。その後県大会も優勝と快進撃を続ける元所属部に対し、私の成績は特に変わらぬままだった。

 成績はもともと中の上から上の下ぐらいだった。高校自体もそのぐらいで、志望していた大学ならば大丈夫だろうと言われていた。もしかしたら推薦も取れるだろうと、そう教師にお墨付きを受けていた。

 ママが壊れた後、突然志望校を変えろと言ってきた。そこは私が死亡するなんてほど遠い高偏差値で、学部すら確定されていた。理系に比べ私は文系だから学部変更は難しくないでしょう。こっちにした方がいいわ。ママは私の意見も聞かずに矢継ぎ早に告げてきた。本来志望していた学校は偏差値はそこまででも、私のやりたいことが学べて就職に直結できる学部だった。

 部活の時同様にママはそうするのが当然であると圧力をかけてきた。帰宅すればその学校のパンフレットや参考書が置いてあって、もともとの志望校のそれらはごみ箱に捨てられている。ごみ箱から回収すれば、それはいらないでしょう? と言って笑いながら声をかけてくる。なんとか部屋に戻したところで、翌日帰宅すればまた同じことの繰り返しになる。私は疲れ果てて志望校を変更した。

 

 志望校変更を告げると、担任は驚き私に考え直すよう言ってきた。帰宅してのママのことを考えていると考えは固いととられたようで、共通試験やその後の試験でどのくらいの点を取らなければならないか告げてきた。話が終わり職員室から退室して、少しだけ廊下で考えをまとめていると担任の声が聞こえてきた。

「……もしまだ部活続けていたら、前の志望校のままなら、推薦という手段も仕えたんだけどな」

「頑張っていたのにもったいない」

それは夏休み突入寸前。吹奏楽部が県大会優勝したと全校生徒に発表された日のことだった。


 夏休みに入っても、勉強に身が入らないのを見透かされているのか成績が向上することはなかった。SNS経由で吹奏楽部の皆が必死に練習頑張っていると知っても、中々勉強に集中できなかった。

 家ではなく場所を変えればと近くの図書館を勉強場所に変えてみると、五時を過ぎたころには場所を伝えていようがママから電話がかかってくる。電源を切ると帰宅した後で詰められる。一度図書館ではなく、偶然水分補充のために出た外でかかって来たことがあった。

「みゆき! いまどこにいるの⁉」

「図書館だってば……」

「嘘おっしゃい! ママには図書館にいないってわかってるのよ⁉ いいから早く帰ってらっしゃい!」

「……わかったよ」

ママがうるさくて仕方なく荷物をまとめて帰ることにすると、近くの道でなにかあったらしく人が集まっていて迂回せざるを得なくなった。スマホの設定画面を開いて使う頻度の少ないマップアプリを探すと、知らないアイコンのアプリがあった。名前に思い当たる記憶はない。開くのは怖くてアプリ名で検索してみると、盗聴・位置情報把握アプリとして検索欄の一番最初に出てきた。webページ閲覧履歴もわかる、そのサイトにはそう書いてあった。そんなはずはない。今のママでもそこまではしない。そう願って帰宅するといつも通り、ママが出迎えてくれた。

「みゆき、おかえりなさい」

ママはいつも通り不気味なほど整った微笑みをたたえていた。それでも目は笑っていなかった。部活について色々言って来たり前の志望校関連のものを取り上げたりした時と同じ顔をしていた。そうして私の安寧はスマホからも消え去った。



 気が付けば寒い中数分ぼうっと考え込んでいたようだった。電光掲示板は今いる場所からは見られない。スマホで運行状況を調べると不具合は解消されたようで、十分もすれば列車が到着するとあった。コップの中の白湯は冷めきって、寒空の中飲むには不適切なほどただの冷水と化していた。意を決して水を飲み干し、水筒から白湯のお代わりを注ぐ。最近ママの何かのブームなのか、味のない白湯を水筒に入れられることが多かった。味がなかろうと温かい飲み物である、それだけで今の私にはありがたかった。

 冷え切った両手を温めるように両手でコップを持ってちびちびと飲めば、体感的にはマシになっていた。鞄から水筒を出した以外はコートを脱いですらいないので、コップを水筒と合体させて鞄にしまう。もうそれで荷物はこの身と鞄だけになっていた。

 ベンチから立ち上がり、乗車位置に立って列車が来るのを待つ。夕焼けはオレンジというより赤く世界を染め上げていた。目に映るものすべてが赤みがかって見える中、遠くの方から夕焼けに染まった列車がどんどんこちらへ近づき、先頭車両は私を置いていく。たまに日によっては乗車位置に立っていても、微妙にドアの位置とはずれているが今日はちょうどぴったり真ん前に泊まる。

 銀色のドアを抜けて中に入ると、こちらもガラスの車窓から夕焼けが車内を染め上げる。この車両には私以外乗客がいないのもあって、他の色んな色がそれでも存在したホームにいたときの視界よりも、視界は赤く感じる。


 座席に座ってぼんやり外を眺めると、遠くの空の方が藍に見えた。

 もう昼は終わり、夜の時間になるのだ。

 最後まで昼で染め上げようと世界は赤く染まるも、いつかは夜に追いつかれる。

 私はそれをただぼんやりと見る以外できない。

 夜になれば、家に帰って、ママに出迎えられて行きたくもない志望校のために、   したくもない勉強をしなければならない。

 夕方というのは私の最後の安息だった。

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