五章『慢性元カノ症候群』

第1話

「やぁやぁ! 今日は遂にキミのターンが回ってくるね! 随分と楽しみにしていたんじゃないかな!? それこそ一日千秋の思いで!」


「……アナタですね? 『龍』を再び解放したのは」


 ルシファーの人化が限界を迎え彼女がこのキョウの都を離れたのは昨日の晩。故に、愛しの彼とようやくまともな接触が図れそうだというのにメヴィアの機嫌はすこぶる悪かった。

 超悪かった。ご機嫌斜め、なんて度合いではない。斜めどころか急転直下、それを超えてオーバーハングしているレベルだ。


 理由はいくつか存在する。

 ルシファーが恋心を得た影響で事あるごとに彼に対し微妙なアプローチを繰り返すこと。毎晩旅館に返ってきた柳家の姉が彼を抱きながら――性的な比喩表現ではなく、文字通り抱くだけなのだが――眠ること。様々な要因によって自身は彼に接触できないこと。あのヴァンパイアの青年が中々この都に到着しないこと。列挙すればするだけ、それこそ枚挙に暇がないほどに機嫌の悪い理由は並んでいく。


 だが、最も怒りを抱いているのは目の前の自身そっくりの姿をした世界そのものに対してだ。


「うん、そうだよ! だって、彼女だけ仲間外れなんて寂しいじゃないか!」


「面倒を増やしてくれますね……何故、とは問いません。アナタの目的が彼を楽しませる、であることは既に明白です。やり方は気に食いませんけれど。そして、彼女がアンデッドでありながらこの都内に滞在できる理由も問いません。世界そのものであるアナタには、それこそどうとでも出来そうですし」


「説明の手間がいらなくてラクでとてもいいねっ、流石は主人公ちゃんだ!」


「それで、なにかご用事でしょうか。アナタがワタシに理由なく接触してくるとは思えません」


 突然目の前に現れたアンデはニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべて、部屋の壁にもたれかかるようにして座るメヴィアに近づいてくる。


「良くない話と悪い話ととても悪い話があるんだけど、どれから聞きたい?」


「……普通そこは、良い話と悪い話の二択なのではないでしょうか」


「そんなつまらない普通なんてボクにはないさ! ……いや、実際ボクにとっても想定外の非常事態なんだ、今回は本気でキミの手を借りたいんだよ! なにせ、今から語るのはボクとキミ、どちらにとっても都合の悪い話なんだから!」


「……別にアナタと対立した覚えもありませんし、利害関係上敵対した覚えもありませんが。その語り草では、まるでワタシとアナタが共通の敵を相手に手を組むような印象を受けますね」


「あれ? キミはボクのことを――自分の計画をメチャクチャにしかねないボクを嫌ってると思ってたんだけど違うのかい?」


「嫌いですよ、それこそ普通に嫌いです。気に入りません。とはいえ、何千回何万回と経験した世界よりも今のアナタは、今回の世界は退屈ではありませんから。既に飽きたと感じていたはずのこの世界に、今回は少しだけですけれど興味を抱いているのは事実です。ですから、嫌いではありますが敵とは思っていません」


「そうかい? そう言ってもらえると助かるね。あぁ、そういえばキミが彼に執着する理由も退屈が――おっと、本人を前に言う話ではないか。それに、根本にあるプレイヤーくんの幸せを願うって部分だけはボクら共通の思いだしね」


「手段、過程、思想は異なりますけどね……それで、話とは何ですか」


「一刻一秒を争うって話ではないんだ、そう急かしてくれるなよ」


「今言ったでしょう。敵ではありませんが、ワタシはアナタが嫌いなのです。嫌っている相手と長々と語っていたいとワタシが思うとでも?」


 それもそうか、とアンデは呟くと本題に入る。


「じゃあ良くない話からだ。キミの腹心……って言っていいのか分からない彼、このキョウの都には来ないよ」


「いきなりとんでもない話が出てきましたね。迷子にでもなったのでしょうか? それとも、何者かに滅ぼされたとでも?」


「いいや? 至ってありきたりな理由さ。自分より強い相手に負けて、傷ついて、そのダメージを癒すために彼は彼の本拠地に帰ったのさ。確か、本来の世界ではルーマニアっていうんだっけ? あの辺りに彼はいるよ」


「何故でしょう。戦闘狂、というほどではありませんが彼は退屈に飢えていますから、強者に挑んで敗北すること自体は別におかしいとは思いませんけれど、ヴァンパイアの始祖に勝てるほどのユニットがこのアジア圏にいるとは思えないのですが」


 彼とメヴィアが別れたのはつい先日。それこそ、出発点たるナイル国からの距離を思えばこのキョウの都が目と鼻の先に迫ったと言ってもいいくらいの地点であったはずだ。

 その短い区間に、そのような強者がいたであろうか?


 それに、仮にそれが人類側に組みする存在であれば、彼ほどのアンデッドを撃退するだけで滅ぼさないことは不合理的である。


「まさか、このキョウの都を守り抜いたという謎のユニットでしょうか」


「いいや、確かに彼も今このキョウの都にいるけど彼じゃないよ。彼の目的は世界の均衡を保つことだからね。全く、彼にも困ったものだよ! 動きのない世界のゲームなんてそれこそ退屈そのものでしかないのに停滞を望むなんて! ある意味キミ以上に質が悪いよ!」


「……世界そのものであるアナタはその存在について知っていて当然ですね。そしてそれを、彼に関する情報をワタシに語らないということは語るつもりがないというコトですか」


「うん、話す気はないね。だって、ボクにとって都合が悪くなるから!」


 朗らかな表情でそう口にするアンデ。メヴィアは彼のその様に辟易とした気分となった。


「……はぁ。彼が来ないことは分かりました。良くないこと、というのはそれについてですね」


「そうだね。それじゃあ悪いコトについて話そうか! ……簡潔に言うと、『メサイア』が開発されちゃったよ」


「……冗談でしょう?」


「冗談じゃないさ。『メリケン国』……アメリカをモチーフにしたあの技術も資金も人口もバカみたいに膨大な設定をされたあの国で、なんかよく分からないけれど『メサイア』が開発されたんだよね」


「確かアレは、人類絶滅後のアフターストーリーに出てくるアンドロイドであったと記憶しているのですが……」


 『メサイア』。対アンデッド殲滅用人型兵器。それは、この『アンデッド・キングダム』本編には登場しないはずの存在であった。


 人類絶滅後――ゲームクリア後の世界を描いたアフターストーリー、『アンデッド・キングダム・ラグナロク』というタイトルの外伝小説内でのみ登場する、アンデッドを殺すために開発されたロボットであったはずだ。

 メリケン国の科学者が開発したアンデッドを殺すロボット――それを作るロボットが科学者の死後も開発を続け、数千年という時を経てようやく開発された人型兵器であったはずだ。


 『アンデッド・キングダム・ラグナロク』という小説は、アンデッドに支配され人類が絶滅した地獄のような世界をその『メサイア』達が飛び回り、アンデッドを殺しつくすという内容の小説であった。生きる者が誰一人いなくなった世界で、機械の戦士達が死者を狩りつくし、最後には虚無だけが残るという。そういった本当の意味でのこの世界の終末を描いた作品であったはずだ。


 科学者が残した――アンデッドに対抗できる兵器を開発するよりも先に人類の絶滅が訪れるであろうことを察した彼らが残した、置き土産の兵器開発ロボット。それが『メサイア』を開発し、地獄のような世界を終わらせる。


「……それが何故、この世界で誕生しているのですか。オーバーテクノロジーにもほどがあるでしょう」


「…………さぁ?」


 メヴィアの疑問に、アンデは首を傾げた。


「さぁ、って。この世界はアナタ自身なのでしょう? 何故把握していないのですか」


「いや、把握はしてたよ。なんかメリケン国の技術進歩の速度早いなー、とか。なんか『メサイア』作られ始めてるなー、とか。でも、キミらが無理に世界を動かした所為かなって思って放置してたんだよね。そういう世界の歪みはボクならいつでも消せるからってさ」


「なら、今すぐその歪みとやらを消してください。マズい、なんて事態ではありませんよ。『メサイア』は数千年後の未来で開発される、アンデッドを殲滅するための兵器なのですから。ゲーム内の範疇でしかないワタシ達アンデッドが――たとえ神であるワタシでも対抗できるはずがないではありませんか」


「そう! キミ達アンデッドは『メサイア』には対抗できない! だってそういう風に作られたのが『メサイア』だからね! 人類の置き土産! 地獄の世界を終わらせる救世主! それが『メサイア』なんだから!」


「ですから、早くなんとかしてください。ワタシに出来ることなんてありませんよ。神とはいえ、ワタシはアンデッドなのですから。あの小説では神たるワタシは男の方でしたけれど、最終的に滅ぼされる結末だったではありませんか」


「うんうん、そうだよ。キミじゃあ『メサイア』には勝てない。まだ製造されたのは試作機の『イヴ』だけ、それでもまぁキミが勝てる相手ではないよね」


「『イヴ』……エース機ではありませんか」


「そして、その『イヴ』がなんとこのキョウの都に迫りつつあるんだ! いや、実際なんでここ目指して来てるんだろう。アンデッドを探知するレーダー的なのはアレに搭載されてたけど、神であるキミを殺しに来たとは思えないし……だって、アンデッドを全滅させなきゃ滅ぼしてもキミは復活するから」


「……把握していながら、何故今このタイミングでワタシに話すのですか。何故対処――『メサイア』の削除を行わないのですか」


「それが、とても悪い話なんだよね……」


「……? どういうコトでしょうか」


「いや、実際ボクには初期化機能があるよ。オールデリート以外にも、歪みだと検知した――例えばチートコードの使用が確認された時とか、バグった時とかに世界を元に戻す機能が備わってるよ。所謂プログラムの修正機能だね、パソコンとかケータイでいう所のウイルス対策ソフトみたいなのが搭載されてる。だから、あまりにもオーバーテクノロジーな『メサイア』はいつでも削除できるはずだったんだ。だからこそ放置してたんだけど……」


「――まさか、出来なかったとでも?」


「うん」


「……………………うん、じゃありませんよ。普通に危機的状況ではありませんか。彼はアンデッドなのですよ、『メサイア』の殲滅対象ではありませんか」


「そこで自分の心配じゃなくってプレイヤーくんの心配するのがキミらしいよね!」


「……それで、原因は理解しているのですか?」


「原因? 削除機能が働かなかった理由ってこと?」


 勿論分かってるさ。そう笑いながら話すアンデをメヴィアは殴りつけたくなったがその衝動を何とか堪えた。

 彼を殴ったところで、自身の姿を借りている彼を殴ったところで自分が痛いだけだ、無意味な行動だ。


「前に言ったよね? ボクはこの世界だ。ボクはボク自身にある程度の干渉は出来る。完全なるコントロールは無理だけど、壊れた場所、バグった場所の修正は出来る。そんでもって、ボクは世界だけど世界でしかないから干渉出来ない存在もあるって話したよね?」


「彼、『  』には干渉出来ないと言っていましたね」


「そう! ボクは世界だから、ボクでない存在には一切干渉出来ないんだ!」


「……なるほど。『メサイア』――『イヴ』は、この世界ではない存在が、魂が入っているということですか」


「ビンゴ! いや、本当にキミは賢いね! 今の情報だけでその結論に達するのはマジで凄いぜ!」


 それで、心当たりはキミにあったりするのかい?

 アンデはメヴィアにそう問いかけた。


「心当たり、ですか?」


「そうさ。いや、ボクはあくまでゲームでしかなかったけどキミはプレイヤーくんのパソコンにも干渉していたみたいじゃないか。ボクは、この世界は彼のパソコン内に存在していた『アンデッド・キングダム』だからね。パソコンの中にあった世界でしかない。外の世界は一切分からない。でも、キミは多少は外を見たコトがあるんじゃないかな?」


「……ないことはありませんね。一度だけ、ですけれど」


 メヴィアはその時のことを――彼の、その時のことを。

 ようやくハックすることが出来た、パソコンに搭載されていたウェブカメラ越しに初めて外の世界を覗いた――最初で最後の景色を。その彼の死の瞬間を思い出す。


 その時にいた、もう1人のことを思いだす。


「……この世界風に言うと、『毒』になるのでしょうか。いえ、ワタシ達アンデッドは生前の名残か、あるいは擬態以外の意味で呼吸を必要としませんから人類限定の毒ではありますけれど」


「おっと、本当に心当たりがあるのかい!? キミに助けを求めたのも正直ダメ元だったけど、助かったぜ! それで、呼吸関連の毒ってどういう意味だい!?」


 その存在は――彼を殺したその女は。

 本来であれば、メヴィアは感謝すべきなのかもしれない。彼がこの世界にやって来たのは、転生したのは彼女が彼を殺したことが発端だから。

 しかし、彼女は感謝なんて出来ない。愛する男を、彼女の神を本当の意味で殺したその女をメヴィアは許すことが出来ない。


「物体が不完全燃焼を起こした時に発生する化学物質。血中の赤血球、その大部分を構成するヘモグロビンの強固に結合し、全身への酸素運搬を阻害する毒です」


「……あぁ、『一酸化炭素』か! 設定上はこの世界にも存在するけど、人類側のイベントで偶に登場するだけのアレだね!」


「そう、一酸化炭素中毒。それが彼の、『  』の死因です」


「転生してきたんだもんね、そりゃあプレイヤーくんに死因があるよね! でも、一酸化炭素中毒死って、珍しいね? 転生っていったら普通トラックで撥ねられたり通り魔に殺されたりってのが主流なんじゃないかな? 知らないけど」


「転生に主流なんてものがあるのですか……ともかく、彼の死因はそれです」


「冬場ストーブでもつけっぱなしにしてたのかな? それとも火事? まさか自殺じゃないよね? 彼の性格的に、自殺はまずないと思うけどさ」


「……無理心中ですよ。おそらく、彼の転生に引きずられる形で彼女もこの世界に来たのでしょうね」


「おっと。想定外かつ中々重たい死因だ! 心中かぁ……いや、珍しいねホントに」


 メヴィアは唇を強く噛みしめた。皮膚が裂け、口元を血液が赤く彩る。


「あの……あのクソ女ですか。よりによって、『イヴ』の中に彼女が転生してきたとでもいうのですか」


「それでそれで! そのクソ女って誰なのさ!? どういうヤツなのさ!?」


「……………………最低最悪の人格破綻者ですよ。ロクデナシを超えたロクデナシ、負け組の愚か者、何時までも大人になれなかったクソみたいな女です」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る