第10話

 瞬膜が横に開き、ゆっくりとした動作で龍が目を覚ます。

 その様子を確認したメヴィアとルシファーは宝玉から手を放すと、すぐさま飛び退き龍から距離を取った。


「驚きました。本当に目を覚ますとは……」


「言ったでしょう? 夢幻の中で彼の精神に何が起こったのかは分かりませんし、映像だけしか情報が得られなかったのでワタシも彼が何を言っているのか分かりませんでしたけれど……彼であればあのような穏やかで安らぎのある、刺激のない暮らしを選ばないと信じていましたから。無事、夢幻を彼女にとっての悪夢に変えてくれました。流石はワタシの愛する男です」


「……ルシ子は個体名ナナシに対する評価を改めることを検討します」


「是非そうなさってください。あぁでも、間違っても本気で恋に落ちたりなんてしないでくださいよ。彼は私を愛しているのですから。感情を伴わない形だけの婚姻程度なら許してあげないこともありませんが、それ以上の望み、叶わない横恋慕なんて止めてください。まぁ、性的な物事に抵抗のあるルシ子ちゃんが恋愛なんて出来るとは思えませんけれど」


「プラトニックな恋愛関係、なる概念があるとルシ子は知りました」


「それこそ本当に止めてください。彼はエッチなコトが好きなんですから、我慢を強要するような関係なんて不健全です。アナタの自由主義とも反する概念でもあるではありませんか」


 言い合う2人に対し、龍は鋭い眼差しを向ける。


「……ウチの夢、邪魔したのはアンタら? なんてことしてくれるし。ウチの好きピがおかしくなったのも、全部アンタらの所為って訳?」


「おはようございます、ドラ子ちゃん。良い夢は見られましたか?」


「途中までは最高だったし。ケド、最後辺りでウチの好きピがおかしくなったし。今は最悪の気分だし」


「相変わらず頭の出来は大したこと無いんですね。言葉を額面通りにしか受け取らないとは、知能までもトカゲレベルなのでしょうか」


 皮肉を口にするメヴィアに対し、龍は素直な所感を述べる。それを聞き、彼女はより一層表情と視線を冷たいモノへと変えた。


 これでいて、メヴィアは機嫌が悪いのだ。余裕そうな態度こそとっているものの、その内心は災害並の豪雨かと言わんばかりに荒れ狂っていた。

 理由は言うまでもない。メヴィアは嫉妬深く自己中心的で恋愛脳で、自分本位で自分のコトしか考えない女だ。性格の良し悪しを客観的に評価するならば、最悪と言ってもいい部類の女である。

 そんな彼女が、自身の想い人が他の女と暮らす様を宝玉越しに見せつけられていたのだ。魔力を注ぐ最中も映像は途切れなかった。後半こそ精神に異常をきたした彼の様子に戸惑う龍の姿を見て多少溜飲は下がったが、それでも結構な時間不快な映像を見せつけられていたのだ。


 自身を愛し、自身も愛している。そんな男が夢幻に囚われ、半ば洗脳に近い形で他の女と愛し合っている様まで見せつけられたのだ。脳が破壊されそうな感覚だった。彼女に寝取られの性癖はない、その様子は普通に、当たり前に、ただただ不快であった。


 その怒りの矛先は、浮気性とも言える愛する男ではなくその男を奪った泥棒猫――泥棒龍に対し直で向けられる。


「高々人間2人だし……邪魔しないで帰るし。そうしたら殺さないであげるし。ウチはまた眠る……好きピとまた幸せな暮らしを続けるし」


「あら、せっかく起こして差し上げたというのにまた眠られたら困りますね。こちらとしては、折角の労力が無駄になってしまいます。ですが、眠りたいなら好きなだけお眠りくださいな? アナタのその夢幻、何度でも先ほどの悪夢に変えて上げますから」


「アナタは悪魔ですか、とルシ子は神に対し嘆息せざるを得ません」


「神も悪魔も似たようなモノでしょう?」


「……ウチの邪魔するん?」


 とぐろを巻いていた体を持ち上げ、龍は気配に敵意と殺意を乗せた。温厚な彼女とはいえ、これだけ挑発すれば流石に頭にくるモノがあるらしい。

 その反応を見て、メヴィアは呟いた。


「ステップワン、完了です。夢幻対策――これでワタシ達を排除するまで、彼女はこれ以上眠ることは出来ません」


「了承。神、ステップツーへの移行を行いますか?」


「勿論です。本格的なハンティングはこれからですよ」


「――権能解放、顕現『傲慢の剣』」


 メヴィアの言葉にルシファーは、闇に染まった光輪よりその剣を取り出すことで答えた。

 『傲慢の剣』。人化した状態のルシファーが扱える劣化した権能、その影響を受けて弱体化した『傲慢の大剣』であった。意匠はさほど違いがないが、刀身は細く短くなっており、放たれる魔の瘴気も弱々しい。

 尤も、それは『傲慢の大剣』や『ルシファーの大剣』と比した評価であり、それそのものだけを評するのであれば最高峰ともいえる業物ではあるのだが。


「正直助かりますね。今の人化したワタシでは龍の鱗を――その耐久性を超える火力を出すことが出来ませんから。ルシ子ちゃんという火力要因がいてくれて大助かりです」


「補助は任せます、神。ルシ子も神同様に、人化によって大幅な性能低下を受けています。この剣の権限にその低下したリソースをつぎ込んでいるため、ルシ子に火力以外のモノを求められると大変困ります、とルシ子は宣言しておきます」


「なんて情けない宣言でしょうか……まぁ、それは織り込み済みなので構いませんけれど。機動力も耐久力もないルシ子ちゃんを、精々このワタシがサポートしてあげますよ」


「訂正を要求します。神がルシ子に手を貸しているのではありません。ルシ子が神の手助けをしているのです」


「どちらでもよいではありませんか、妙な所をこだわりますねルシ子ちゃんは」


「ブツブツうっさいしっ」


 不必要な会話まで含んだ言い合いを繰り広げるメヴィアとルシファー。その様子を龍は当然黙って見ている訳がない。

 彼女は大きく顎を開くと、彼女らに向かって濃い紫の色を帯びた瘴気を吐き出した。


 『病魔の吐息』だ。疫病という概念をもその身に持つ龍は、その疫病もまた自在に操ることが出来た。冒すも治すも自由自在。そんな彼女の能力の1つがこの『病魔の吐息』。

 龍の成長度合い――彼女自身の知名度によって威力の変わるブレス攻撃。持ち合わせる属性は『毒』、『腐食』、『汚染』。その全てに対する耐性を持たなければ、その吐息は触れた相手を文字通り冒す。皮膚は爛れ、内臓は腐り、全身は熱を持ちまともに動ける状態ではなくなる。


「――のですけれど、先ほど教えた通りこの攻撃は避ける必要がありません。なぜなら、病気というのは生きているからこそ罹り、陥り、冒されるのですから。人化しているとはいっても、ワタシ達はアンデッド……ベクターになることはあれど、既に死んだ者が病魔に侵されるコトなんてありませんから」


「……お、重たいです。人化した状態でこの剣を取り出すのは初めてでしたが、これほど重たく感じるとはルシ子の想定外です。人とはこれほどまでに弱く、儚く、弱々しい生命であったのですね」


「剣の重さなんか気にしている余裕があるのならば、ワタシの発言に反応してください。これではまるでワタシが、ただ独りでただ呟いてカッコつけただけみたいではありませんか」


「……ウソ、効いてないし」


 瘴気が晴れた後、その場には平然とした様子のメヴィアとルシファーが立っていた。病魔に冒された様子はなく、至って健常。


「だったら、コッチの力を使うしっ」


 龍は角を天に振るう。

 天候を操る能力だ。雷雨を呼び、豪雨を呼び、暴風を呼び、あるいはそれらを寄せ付けずに干ばつを引き起こす大自然の暴力だ。


「…………っ、どうして何も起こらないし」


「当然、その対策も万全です。尤も、対策というよりもドラ子ちゃんの存在を知られないように張った結界の副作用、みたいなモノですけれど」


 だが、豪雨も雷雨もやってこない。その男湯に差し込む日差しは変わらない。冬の空気を湯船からの蒸気と共に暖め続けている。


 断絶の結界の副次作用であった。

 断絶の結界は、文字通り世界を断絶させる。結界の内と外を完全に遮断する。当然、結界内から天候を――結界の外の事象を操ることなど出来ない。


 彼女が本来の、神とも悪魔とも呼ばれ崇められていた頃程の力を取り戻せていたのなら話は別であっただろう。堕天使の、アンデッドの神の張った結界とはいえそれは人化した状態で張られたモノだ。最上級アンデッドが2体もいれば気配だけで壊れてしまう程度の耐久性しか持たない。

 だが、龍は高位アンデッド程度の力を取り戻してはいたものの、所詮彼女はまだ数十人か、あるいは数百人規模でしか知られていない。完全に力を取り戻してはいない。


「天候は操れず、ワタシ達アンデッドには病魔も通じず、そして夢幻の力は眠っている対象にしか効果がない――眠らせる能力は病魔の方に、昏睡状態という形で設定されていますからね。ドラ子ちゃんの特殊な能力は全て、ワタシ達には効かないのです。当然と言えば当然ですけれどね?」


 ――だって、アナタは狩られる側なのですから。狩人がハンティングを行う際、先んじて獲物に対して万全の対策をとるのは当たり前でしょう?


 そう侮蔑の笑みを浮かべるメヴィア。彼女の視線には、龍に向かって放たれるそれにはただ、怒りと嫉妬、そして弱者へと向けられる、捕食者としての感情だけが乗せられていた。


「――アンタが何者か知らないけど、ウチを舐めんなし。そーゆーのが使えなくってもウチは強いしっ」


 そして、特殊な能力全てが通じないと、封じられていると理解した龍はそれらを用いない手段を取る。

 最も原始的、単純、そして純粋故に対策の取りにくい攻撃手段。


 大質量による押しつぶしである。


 数十メートルをも超える巨体を、その尾を振り上げ龍はメヴィアに対し振り下ろした。

 龍の鱗はどのような金属をも超える強度と重量を誇る。加工すれば超一流の武具ともなる――尤も、加工手段、技術が存在するのかは別の話なのだが――それに包まれた体は、それ自体が凶器足り得る。

 重鈍とも思える肉体だが、それを軽々と動かし龍はメヴィアとルシファーに向かって放った。


「乙女として、体重の重さを誇るのは些か恥じらいが足りないとワタシは思いますね」


 だがしかし、メヴィアは両腕を掲げその尾を真正面から受け止めた。

 当然無事ではない。弱体化した、人化した肉体は衝撃に耐えきれない。筋繊維は悲鳴を上げ、骨は何本も砕け、自身を支える地面には足が膝まで突き刺さった。


 だが、そのような傷はメヴィアにとっては些細な傷だ。損傷した部位は瞬時に再生を始め、傷口は塞がり、筋肉も骨もすぐに元に戻る。

 尾を受け止め続けているのだから、当然体は軋み続ける。傷つき続ける。だが、劣化しているとはいえ堕天使の再生能力と、それと並行して行使される回復魔術によって受けた傷の再生は追いついていた。


「なっ……ウチのシッポ受け止めてるしっ」


「……早くしてくださいよ、ルシ子ちゃん。耐えられているとはいえ、こうしているのは結構痛いんですから」


「分かっています――よいっしょっと」


 そのメヴィアによって受け止められた龍の尾――その側面を叩くように、地面と尾の間に屈みこんでいたルシファーが剣を振るった。

 重さに振り回された、技術も何もない一撃であった。


「――ぎゃんっ!?」


 だが、その一振りで尾は弾き飛ばされる。細い剣、そしてルシファーの細腕から繰り出されたとは思えぬ重たい一撃は、尾に留まらず龍の全身をも跳ね飛ばした。

 ……そして、その衝撃を、反作用を受けたルシ子自身の腕もまた捥げた。


「おっと。ルシ子は驚愕します。『傲慢の剣』は弱体化しているとはいえそれなりの業物、切れ味の剣であるとルシ子は自負していたのですが。まさか龍の鱗に刃が通らないとは。これは想定外です。神の提供した情報以上の強度でした」


 弾き飛ばされ巨体を湯船へと沈めた龍を見ながら、ルシ子は剣を握りしめたまま千切れた腕の元まで歩きつつそうぼやく。


「神、アナタの情報に対する信用度は今ルシ子の中で著しく低下しました」


「あぁ、やっぱりダメでしたか。龍の鱗はとっても硬いですからね。ダメ元でいけたらいいな、と思っていたのですけれど無理がありました」


「……ルシ子は今、神に対し怒りを覚えています。ダメ元、とはどういうコトでしょうか」


「そう怒らないでくださいよルシ子ちゃん。高々腕が取れた程度じゃありませんか、本当に人類であるならば重傷ですけれど、ワタシ達アンデッドにとってはかすり傷みたいなモノですよ」


「ルシ子は傷を受けたことに怒りを抱いている訳ではありません。神自身の不誠実さに怒りを抱いているのです」


「誰だって出来るなら最小限の労力で何とかしたいと思うじゃありませんか、ただ試しただけですよ――あぁもう分かりましたよ、ワタシが悪かったですよ謝りますよこれで満足ですか」


「……謝罪する感情があるのであれば、今すぐに適切な攻略法を話してください。労力を厭うことをルシ子は許しません。次に同じことを行えば、ルシ子は神に対する助力を断念します」


 仕方ありませんね、なんて呟きながらメヴィアは露天風呂の湯から立ち上がった龍へと向き直った。


「……めっちゃ痛いし。でも、効かないし。ウチ、強いから。アンタらには負けないし」


「硬くて大きくて強い……単純に物理的にも強いんですよね、龍。事実、今のワタシ達では負けはしませんけれど勝てもしません。お互いに決定打がありませんから。ですが、その根源の在り方が、彼女を彼女たらしめている根本が弱点になるんですよ。その『幻想』、『伝承』、『伝説』から生まれたという本質こそが、彼女の弱点になるのです。原理としては、アンデッドに刀剣が有効であることと同じですね」


 この時の為に忍者衣装を着てきたんですよ、なんて言うメヴィアにルシファーは冷たい眼差しを注ぐ。


「どうでもいいので早くしてください、とルシ子は神を急かします」


「本当にルシ子ちゃんは遊び心がありませんね」


 嘆息しつつ、メヴィアは適当な印を手で結ぶ。その行動に実際意味などない。ただ、彼の書き記したテキストファイル内に書かれていた忍者という存在が、彼のお気に入りであったその存在がそのような行為をしていたな、と。それだけの理由で真似ているだけの行為だった。


「目には目を、歯には歯を、ではありませんけれど。ですが、同様の概念で対抗するというのはこの世界では効果的なんですよ。そういう風に設定されていますので。つまり、『幻想』、『伝承』、『伝説』には、やはり同様の概念で対抗すべきなんです」


「どういうコトでしょうか」


「日本――ヤマト国における神話にあやかって対処するのです。そう、鬼を殺す時も蛇を殺す時も、そういう化け物を殺す時に使われる、これに頼るのです」


 北欧辺りで仕入れたモノで、結構貴重なんですよ? 純度97パーセントほどですから。

 そう言いながら、メヴィアはぷくぅ、と頬を膨らませた。


「遁術、というのは本来逃走の為の術らしいですけれど。まぁ、昨今のフィクションでは忍者が使う術のことを、忍術のことをそう呼びますからね。なのでワタシもそれに倣ってみましょう。水遁ならぬ酒遁の術、なんてね」


 そう言って、メヴィアは口から勢いよくアルコールを噴き出した。

 何リットル、何十リットルと。その体格には明らかに収まりきらない量の、高純度の酒精を龍に向かって吹きつけた。


 ――八岐大蛇を酔わし、酒呑童子を酔わし。そういった化け物退治に用いられる概念。かつ、病魔、病原菌やウイルスに対しての対策にも用いられる化学物質。

 それが酒だ。酒精だ。アルコールだ。


 龍、即ち八岐大蛇と同様の蛇の仲間であり、幻想の生物であり、疫病の概念をもその身に含む『龍』。

 その弱点――ウィークポイントとして設定された概念こそが、『アルコール』であった。


「先ほどまで幻想に酔っていたのです。今度は酒に酔って溺れなさい」


「うっ……なにこれ、気持ち悪いし……」


 それを浴びた龍は、『アンデッド・キングダム』に設定された条件に従って弱体化していく。

 酔いによって思考が鈍化する。酩酊する。そして、病という概念が殺菌作用によって弱っていく。彼女自身も弱体化する。

 ステータスが――龍の鱗によって高く設定されていた防御力が、低下する。


「さぁ、幕引きです。ステップツーもこれにて終了。そもそも今回のような事態はイレギュラーなのですからさっさと終わらせましょう。さっさと彼女を斬ってくださいな」


 酒を吐き終えたメヴィアのその言葉に、剣を握ったまま捥げた腕を癒合させたルシファーは呆れ顔で言葉を返す。


「……酒精を吐き出して行われる神殺し。なんとも品のない神滅もあったものですね、とルシ子は呆れかえります」

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