第9話
「さて、ではまずは情報の共有から行いましょうか。ハンティングゲームに限らず、狩りというのは事前準備が最も重要ですからね。その中でも情報というのは金銀に劣らぬ価値があります」
「情報、ですか」
「ええ。獲物の情報、狩場の情報、そして、狩るために必要な機材、手順、技術についての情報です」
とぐろを巻いて目の前に居座る『龍』を相手に、メヴィアは呑気にも語る。
狩るべき対象を前にして狩りの手順について、その情報を共有しようと語る。その様に、ルシファーは苦言を呈す。
「情報共有の重要性はルシ子も理解しています。しかし、狩猟対象を前にしてそれを語るのは危険なのでは、とルシ子は疑問を提示します」
「あぁ、その点は問題ありません」
だって、彼女は今眠っていますから。こちらの話なんて聞いてもいませんよ?
「……眠っている、ですか。ですが、個体名龍は目を開けています。ルシ子には彼女が眠っているようには思えません」
龍はとぐろをまいて微動だにしない。だが、その眼は確かに開かれている。瞼は開けられている。とても眠っているようには見えなかった。
それに対し、返されたメヴィアの声は若干の呆れを含んでいた。
「瞬膜、という器官についてご存じではありませんか? 爬虫類や鳥類、魚類等の生物が持つ、眼球を保護する半透明の器官です。一応哺乳類にも存在する器官ですが、人間のそれはほとんど機能していないそうですね」
よく見てください、とメヴィアに促されてルシファーは龍の瞳に視線を向ける。
「……理解しました。瞬膜。つまりは、『龍』という生物は瞼を閉じずに眠る生態を持つということですか」
「生物ではありませんけれどね。種族的にはドラゴンゾンビなので。アレでもワタシ達と同じアンデッドなのですよ」
「状況把握。先のアンデッドハンターの攻撃時に反撃していなかったのは、龍が眠っていたためであるとルシ子は判断します」
「そこが面倒なんですよねぇ。味方としても眠っているせいで使いにくいし、敵対するとその性質から攻略しづらい……まったく、厄介なアンデッドですよ」
メヴィアは再び嘆息した。
「おや。狩ると言ったのは神であるとルシ子は記憶しています。すなわち神は対象の狩り方を把握しているとルシ子は推測していましたが、違いましたか?」
「……違いませんよ。狩り方、攻略法は知っています。ただ、面倒なんですよコレが。彼女はただ眠っている訳ではありません。先ほど話した通り、『龍』は空想から生み出されたという性質上、幻想を支配します。夢幻の世界を支配します。その作用が特に強力に働くのはあの宝玉内ですが、能力そのものは眠っている対象、特に自身に取り込んだ、あるいは自身の近くで眠る対象にも影響を与えることが出来るのです」
詳しい原理は面倒ですしアナタが理解する必要はありません、ですので話しませんけれど。
そう言ってメヴィアは続ける。
「夢を、幻を操る能力。それは彼女自身にも適応されるのです。そして、彼女は自身の夢幻を夢幻であると認識しています。いわば、明晰夢のような状態ですね。自由自在にその夢幻の世界を操ることが出来ます。能力を使用している当人であるのですから当然と言えば当然の話ではありますけれど」
「それが、どう面倒であるというのでしょうか。夢を操る、幻を操る。確かに良い夢を自由に見られるというのは素晴らしいとルシ子も思いますが」
「簡潔に言いましょう。彼女が彼女自身にかけた夢幻は、現実にも作用するのです」
――先ほど、アンデッドハンターの方々の攻勢を見ていて思いませんでしたか? 何故、あれだけの攻撃をあれだけの規模であれだけの人数から受けながら、彼女は傷1つ付かず微動だにしなかったのか、と。
「……そういうことですか。現実まで浸食する夢幻」
「理解が早くて助かります。そう、彼女の夢幻は彼女自身にかけられた場合、現実すらも侵すのです。都合の悪い、自身を害する攻撃を夢に。受けた傷を幻に。眠っている彼女は、現実すらも夢幻へと変えてしまうのです。しかも無意識に、自動的に、です」
尤も、そこまで侵食出来るのは彼女自身だけという狭すぎる範囲な上に眠らなくては発動すら出来ないので使い勝手は悪すぎる代物ですけれどね。
そう毒ずくメヴィア。
「情報統合。対象龍は睡眠状態、夢幻の世界にて個体名ナナシと穏やかな生活を営んでいると推測……そして、睡眠状態の対象は外部からの攻撃を無効化する、と」
「えぇ……ですから、ステップワンです。フェーズワン、と言ってもいいですね」
来てください、と手招きをしながら龍へと近づくメヴィア。とぐろを巻く龍の体を踏み越え宝玉の正面まで向かった彼女に従い、ルシファーもそれに続く。
「攻撃の完全無効化。睡眠時限定とはいえ、これは狩猟不可能なのでは、とルシ子は疑問に思います」
「正攻法では無理でしょうね。たとえこの世界が滅ぼうと、この星が爆発しようと、眠った彼女は自身が受ける被害をなかったことにして眠り続けるでしょう。誰も彼女を害することは出来ません。狩るなんて、もってのほかです」
だからこそ、手順を踏むのですよ。
そう言って、メヴィアは宝玉に手をかざした。
「……何をやっているのですか。アナタも早く続いてください」
「情報が不足しています。ルシ子は神の行動も、ルシ子が行うべき行動も理解していません。説明を要求します」
「ハンティングゲームで指示待ちは嫌われますよ」
「これはゲームではありません。それに、ルシ子は今回神に助力する立場です。説明責任程度果たすべきでは、とルシ子は考えます」
「自由を愛するアナタが責任如何の話をするのですか」
言い合いつつも、ルシファーはメヴィアに倣って宝玉へと手をかざす。
「超簡略化して言います。龍の能力は夢幻の支配であるとは言いましたが、所詮それは幻術のメチャクチャ凄いバージョンみたいなものです。それに夢ですからね、眠っていなければ見ることすらできない欠陥能力ですよ。ですから、この龍を叩き起こしてやります。いくらアンデッド、死者であるとはいえネボスケなトカゲ女を目覚めさせるのにフライパンもおたまも必要ありません」
「……何故、フライパンとおたまなのですか」
「アンデッドジョークです、気にしないでください。不本意ながら、彼を起こしましょう。彼の方には夢幻はかけられていないみたいですからね、夢幻の内部でどうなるのかは分かりませんがきっとどうにかしてくれるでしょう。それこそ、飛び起きたくなるほどの悪夢でも作ってくれるのではないでしょうか」
「彼の方、ですか」
「今のワタシは人化しているとはいえ一応堕天使形態ですからね、当然ルシ子ちゃんと同様に堕天使の瞳を使えます。ほら、宝玉内の彼の魂を見てくださいよ。1つはそれこそ夢見るように、揺蕩うように揺れていますが……もう1つは平気そうでしょう?」
「……確認。個体名ナナシのもう1つの魂、ですか」
「そうです。あの憎らしい男に頼らざるを得ないのは業腹ですが、きっと最高の悪夢を作り出してくれますよ」
「具体的には、ルシ子は何を行えばよいのでしょうか」
「簡単なコトです。この宝玉内の彼の魂……もう1つの方の魂に魔力を注いでください。最上級アンデッドの魔力です、きっと彼の方が強く出るでしょう……あぁ、注ぎ過ぎてはいけませんよ。あくまで夢を揺らがす程度の力を与えるだけです。おそらくそれで、彼は――夢幻に囚われている方の彼は多少正気を取り戻すはずです」
「どういう理屈なのでしょうか。彼の身に危険が及ばないのか、とルシ子は確認を行います」
「理屈、原理は人類が行う幻術対策とそう変わりませんよ。魂の形を軽く乱してやる、それだけです。夢幻も格こそ違いますが、幻術の一種ですからね」
「……理解しました。個体名ナナシを愛しく想っていると推測される神の言葉です、危険性はないと信用しましょう。ですが、それで目覚めるのは個体名ナナシであり、『龍』は目覚めないのでは」
「えぇ、そうですね。ドラ子ちゃんの方が起きる訳ではありません。ですが、問題はありません。弱小アンデッドの身ですからね、アナタの眼には弱々しく映っていることでしょうけれどあまり彼を侮らないでください。彼が起きればどうとでもなりますよ」
――彼はワタシが、アンデッドの神であるメヴィアが愛している男なのですよ?
――――
ここは龍の、ドラ子という愛称で呼ばれる彼女の作り出した夢幻の世界。
その世界でもう1つの魂――アンデッド側の、本来のナナシというハーフアンデッドの魂が活性化したことで、囚われていた彼の魂は変調をきたしていた。
魂の在り方が元の彼に戻っていた。
戻って、戻って、戻って……アンデッドの神であり、この事態を引き起こした張本人であるメヴィアの想定外の形に戻っていた。
「『剣姫』、『妹様』、『鵺』、『巫女』、『明けの明星』……」
うわ言のように呟かれる『アンデッド・キングダム』のキャラクター達の異名。それらは全て女性キャラのモノ。彼の愛する、愛しいキャラクター達の二つ名だった。奇しくもそれらは彼がこの世界に転生してきて関わってきた者達の異名であった。
その言葉が吐かれる度に、彼の手足には包丁が突き刺さる。
木目の描かれた縁側の床に縫い留められるように、彼を押し倒すような形で馬乗りになった彼女が、一本、また一本と彼の手足に突き立てる。
「なんで、なんで他の女のコト考えてるん? 昔好きだった子? いいし、それくらい許すし……分かった、ウチを嫉妬させたいんしょ?」
許す、許すと言いながらも、龍は彼に包丁を突き刺していく。ここは彼女の夢幻の世界。包丁は空間から、無からそれこそ無限に取り出すことが出来る。
なにも、彼を嫌いでこんなことをしている訳ではない。彼女は拗ねているのだ。他の女のコトを考え、その名を繰り返し口にする彼の言葉に傷ついているのだ。
ここは夢幻の世界。傷なんてあってないような世界。そうでなくとも自身も彼もアンデッド。多少の傷はそもそも痛痒すら感じない存在。
だからこその、過剰な、過激な行為。自身はこれだけ傷ついているのだと、これほど傷つくほどアナタを思っているのだと、そう告げるための愛情表現。
数十本目の包丁を突き立てた。
彼を傷つけるのは、苦しい。痛い。愛する者を傷つけたくない。でも、自身の痛みを分かってほしい。その抑えきれない衝動故の行動。
その一本を突き立てた瞬間、彼がピタリと発言を止めた。
「……ねぇ、ウチの好きピ。ウチの気持ち、分かってくれた?」
何本もの包丁を手足に突き立てられた彼に、甘い声色でそう問いかける。ようやく分かってくれたのか――
「――俺はさ、俺自身とキャラが結ばれるなんて妄想、痛々しくて見てられないんだよね」
――唐突に、彼の口が再度開かれた。
突き立てられた包丁も、それによって受けた手足の傷も、押し倒す形で馬乗りになった龍自身さえ見ることなく。
1人。一人。独り。
ただ、誰に聞かせるでもなく語り始めた。
「分かるよ。言いたいことは分かる。好きなキャラだもんな、ソイツが自分を好いてくれたらめっちゃ嬉しい。すっげぇ分かる。俺もそれは嬉しい。
「でも違うんだよ、俺らが画面越しに見ているのはあくまで『主人公』と『ヒロイン』の人生だろ。『俺ら』と『ヒロイン』のラブコメじゃないんだよ。
「『ヒロイン』が好きなのは『主人公』であって『俺ら』じゃねぇんだよ。なのに主人公に自己投影して、ヒロインがあたかも自分のコトを好きであるように勘違いして……楽しみ方は人それぞれ自由だし、別にその楽しみ方が悪いって言ってはいねぇ。
「でも、俺はそれが痛々しく見えて仕方ないんだよ。俺が見たいのはあくまで『主人公』と『ヒロイン』であって、『俺』と『ヒロイン』じゃねぇんだよ。可愛い、好きだ、こんな子と友達になったり付き合ったりエッチなコトしたり結婚したり……そういうコトは考えるさ。でも違うんだよ。
「俺が好きなのは『主人公』のコトが好きな彼女達であって、『俺』のことを好きになるような彼女達じゃねぇんだよ。俺なんかを彼女達が好きになっちゃいけないんだ、俺みたいな魅力のない、ただの、普通の、つまらないヤツが彼女達を穢しちゃいけないんだ。
「なのになんだよこの夢は。アンデッドになって、ドラ子と結婚して、多少不便だけど穏やかで安らかな日々を過ごして……違うだろ。そこにいるべきは俺じゃないだろ。ドラ子は俺なんかが穢していいキャラじゃないんだよ。それくらい俺はドラ子を愛してんだよ。大好きなんだよ」
「……え? 何を、言ってるん……?」
「大体さぁ。製作陣も安直というか、ヤンデレ舐めてるよね。ドラ子好きだよ。ステレオタイプどころかテンプレな暴力型の惚れっぽいヤンデレ系ヒロイン。大好物だよ、大好きだよ、愛してるよ、惚れ込んでるよ。
「でもさ、俺が惚れ込んでるのはドラ子にであって、これはヤンデレじゃねぇだろ。ただちょっと変わった惚れっぽいだけの女の子だろうが。可愛いし好きだし、全然問題はないけど、これをヤンデレだって言って出してきた製作陣はヤンデレ舐めてるとしか思えねぇ。ドラ子生み出してくれたことは本当にありがとう、でも俺はオマエらを許せねぇよ。
「ヤンデレを分かりやすく表現するのに過剰な愛情と狂気と暴力は使いやすいだろうよ。惚れっぽいのもいいよ。でもさ、ヤンデレの本来の良さってのを製作陣は分かってねぇんだ。
「ヤンデレってのは、結果じゃなく過程に萌えを見出すモンだろうが。普通の、あるいは普通じゃなくっても、そういう女の子が恋をして、自身の中の異常な愛情に困惑して、理想と現実、欲望と良識、常識と非常識の間で葛藤して、心を次第に病ませていって……そういう過程があってこそのヤンデレだろ。
「なのに、昨今のヤンデレはとりあえず惚れさせて頭おかしい行為をさせてってばっかりでさ。いや、それはそれで好きだけど。俺、可愛い女の子ならどんなキャラでも愛せるし。でも、ソイツはヤンデレじゃないだろ。
「重さが足りないんだよ。過程がなきゃ、どんなに過激な行為だろうがどんなに猟奇的だろうがどんなに愛情深かろうが、その愛には重さが足りねぇんだよ。
「逆によ、ねっとりじっくり過程を描いて女の子の心理を、心の変遷と葛藤を描いてくれりゃあフツーの行為でも重みが出るってのに。刺激的な手段なんていらないのによ。作品としては地味になるからよろしくないのかもしれないけど。
「でも、考えて悩んで苦しんで、その末に自身の欲望よりも想いを寄せる男の幸せを願って身を引くような、そうして誰にも見えない所で誰にも知られずに病んでいく女の子の方が、愛情を簡単に発露して過激な行動に走る女の子よりもヤンデレだと俺は思う訳。
「いや、何度も言うけど別に嫌いじゃないんだよ暴力的で頭のおかしい愛情過多な女の子。むしろ大好き。愛してる。そういうキャラもっと増えろって思うくらい。でもそれってヤンデレじゃないよねってだけの話。
「あぁ、そういう意味でも俺は『キャラ同士』の関係性を外から見たい派だな。絶対に当事者にはなりたくない。巻き込まれたくないから、とかじゃなくってさ。単純に、当事者だったらキャラの考えてること分かんねぇじゃん。現実のソレと一緒で、一生懸命考えて悩んでも、相手の考えてるコトなんて分かんないし、分かった気になってもソイツが本当にそう考えてるかって確信は絶対に持てないじゃん。
「でも物語の外から見てる分には別だろ。だって、キャラの内面が直で描写されるからな。書かれてる、描かれてることが絶対の世界だからな。どう考えて、どれだけ悩んで、どれだけ苦しんで……その当人しか知り得ない苦悩と葛藤の過程を見たいんだよ俺は。そういう苦しんでる女の子の中身が見たいんだよ。
「だから、俺が当事者になっちゃいけないんだ。だって、俺のことが好きなキャラなんてそもそもいないし、もしいたら俺だってキャラってことじゃん。相手の内面読めないじゃんマジで最悪だわ」
戻っていた。
この世界に来る前の彼の精神状態に。
『アンデッド・キングダム』の本来のナナシの魂の影響がどのような原理で作用したか、それは不確かではあるのだが何故か戻っていた。
「えっ……えっ……? どういう、コト……?」
本来の、普通を自称する、面倒な性格のオタク気質の根暗でゲーム好きな、そんな彼の魂に戻ってしまっていた。
戦奴としての経験、様々な者の死、大好きなゲームのキャラと関わって変化していた魂の形が、かつての在り方へと戻ってしまっていた。
「だから覚めろよこんな夢。だから醒めろよこんな幻。こんな幸せなんて、俺は望んでいないんだから。俺の夢なんかじゃないんだから」
――そして、夢幻の世界は崩れ出す。
彼のために、彼と自分の為に龍が作り出した夢幻は、彼に拒絶されたことで崩壊し始める。
風景は乱れ、存在は霞み、感覚さえ溶けていく。
そして、龍は目を覚ます。
こんな世界――彼から拒絶されるような夢は見ていたくないと、自らの意志で目を覚ます。安易な逃避に走ってしまう。
『――とか言いながら、内心実はちょっと楽しかったんでしょ? ボクには分かるよ、だってこういう平凡な日常を推しと過ごすのもキミ達の理想の1つだもんね? まぁ、こうなることは目に見えてた結末だけどさ、キミの性格的にも彼女達の動向的にも』
目を覚ます直前。
愛する彼に話しかける、蜃気楼のような少年の声が龍には聞こえた気がした。
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