第3話

「…………」


 さながら幽鬼の如くふらついた足取りで自身の自室へと戻ったメヴィアは、無言で敷きっぱなしであった布団へと倒れこんだ。


 最悪だ。酷い気分だ。


 彼が――『  』が、自身以外と婚姻する?


「……冗談、を言うほどあの堕天使の情緒が人間的であるとは思えませんね」


 冗談のようなその言葉は、しかし相手が冗談を言うような者ではないことからも真実であるように思えた。


「当てつけですか。彼を自身の所有物だと――ワタシのモノだと主張したことに対する反逆でしょうか。いえ、その程度で彼女が婚姻などするとは思えません」


 言いながら、彼女は口から一本の小刀を吐き出す。

 そして、それを右手に握ると左の手のひらに突き立てた。


「――っっっ! あの泥棒猫っ、クソ女っ、貞淑なフリばかりしている阿婆擦れ堕天使っ!? どうしてワタシの男に手を出すのですかっ、どうしてよりによって彼なのですかっ!? ああもう、ワタシが『不死王』クラスにまで達していたならば今すぐにぶっ殺してやりたいくらいですっ!」


 何度も手のひらに小刀が突き立つ。その度、部屋が、布団が、畳が、障子が――その場全ての物が赤に染まっていく。

 赤く、紅く、朱く。数秒ほどで惨劇の場よりも痛ましい凄惨な部屋の完成だ。文字通りのスプラッターハウス、ゴア表現全開、地獄よりも地獄のような色合いのその部屋で、少女はただ一人、叫びながら自傷を繰り返す。


「あぁもう、どうして上手くいかないのですかっ!? どうして上手く出来ないのですかっ!? 彼がワタシを操っていた時にはあんなに簡単に世界を悲劇へと導くことが出来たというのに!? これでは彼を楽しませることが出来ないっ! ワタシの彼が喜ばないっ!」


 その行為と言葉はより繰り返される度に過激で苛烈になっていく。

 手のひらは既に襤褸のよう、手首には幾重にも赤い線が刻まれて、刃は遂に肩まで達した。


 この部屋は、正規の手続きで契約した。

 6泊7日、彼女が堕天使の姿で人化していられる限度いっぱい。


 堕天使は、その強力すぎる力を無理矢理抑え込んで人化を行う。だから、より下級の堕天使はより長く人化出来る。抑える力が小さいためだ。

 だからこそ、メヴィアはルシファーよりも長く人化していられる――彼女が都を出ざるを得なくなってからも、彼の傍に自分はいることが出来る。ソノはずだったのに。


「何が婚姻ですか、何が結婚ですか!? 認めません、認めませんよワタシは!? 神であるワタシが認めませんっ、祝福しませんっ、それを否定しますっ!?」


 自室には一応結界が張ってある。外部に音も揺れも、異常事態も。そういったあらゆるモノを悟らせず、そして侵入することも許さない結界。


 枕に顔を埋め、足をバタバタと振るい、左腕に対し過剰なまでの自傷行為を繰り返す。当然、再生などしない。自己修復能力は抑えてある。痛い。熱い。けれど、こうでもしなければ溢れる感情の行き場がなかった。痛みに、自身を傷つけることでしかメヴィアは逃避することが出来なかった。


 自傷行為が過剰であることを除けば、彼女の外見が年頃の少女であることも相まって、一見癇癪を起した思春期の少女でしかなかった。

 事実、彼女の視点ではそれが事実。愛する男を自身の居ぬ間に、別の女に横から奪われたような感じだ。癇癪くらい起こすだろう。


「おいおい、そんなに自分を傷つけてくれるなよ主人公ちゃん。キミだって、ボクを形作る大切な1キャラクターなんだぜ? それも、主人公っていうとびっきりの大物さ!」


「誰ですか。この部屋には結界を張っていたはずなのですけれど」


「結界? あぁ、アレ? 別に壊したりなんてしてないから安心してよ。ボクは別に、キミの邪魔をしに来たわけじゃないんだからさ。ただ、それ以上の自傷は目に余るというか、レーディングが上がっちゃうというか……いや、元々このゲームは18歳未満禁止だった! だったら別にいいか! さぁ、気が済むまで続けてよ、ボクはここでこうして待ってるからさ!」


「……ルームサービスも、マッサージも、ストリッパーも呼んだ覚えはないのですけど」


「オッサンかよ。ルームサービスはともかく最後のその選択肢が出てきちゃうあたり、本当に女の子らしくないねキミは。ああうん、昨今のジェンダーフリーの概念から考えると、この『女の子らしさ』ってのを押し付けるのは些か暴力的な発言だね。気分を害したなら謝るよ、ゴメンね!」


 人化しているとはいえ、4対翼の堕天使の張った結界だ。強力な聖人はおろか、ネームドのアンデッドであろうと侵入は困難なはず。それなのに、その存在はそこにいた。

 メヴィアを見下すようにして、いつの間にか布団のすぐそばに立っていた。


「……ワタシ?」


「姿を借りたのさ。キミがさっき言っていた言葉だ。同じ目線で、同じ立場で――いい言葉だね、気に入ったよ! 流石は主人公は言うことが違うなぁ!」


 その存在は、メヴィアそっくりの姿をしていた。

 今のメヴィアそっくりだった。


 左腕はズタボロ、羽織る浴衣は血化粧で染まった凄惨極まる艶姿。怒りに、嫉妬に紅潮した頬も、おそらく自身と同様なのだろう。


 とりあえず、メヴィアはその存在に斬りかかった。


「おっと……」


「っっっ!?」


 襤褸の左腕めがけ、握っていた小刀を振るった。当然、その存在の左腕が落ちる。

 そして、メヴィア自身の左腕もまた床に転がった。


「言ったでしょ、姿を借りてるって。同じ目線で同じ立場って。コレ、比喩表現じゃなく文字通りなんだぜ? まぁこんな面白手品みたいな真似しても、盤面には干渉できないんだけれど。あぁ、ボクはなんて無力で哀れな舞台装置なんだ!」


 メヴィア自身の声でその存在は笑う。


「……何者ですか、アナタは。アナタのような存在、このゲームには存在していなかったはずです」


「あ、そういうのはいいから。何度も何度も同じことを繰り返して話す趣味はボクにはないんだよね。もしこれが漫画だったら、世界のあちこちでいろんなキャラに同時に説明しているような描写で、それこそ一言で説明できるんだけれどそうはいかないんだ。だって、ここはゲームだもんね?」


「……意味が分かりません」


「そう! 意味が分からないんだ! でも分かる必要はない! ボクがこうしてキミの前にいる、そしてキミはボクの話を一方的に聞くしかない……久方ぶりかな? 自分よりも上位の存在――強い弱いの話じゃなくって、存在の格が違う相手と対話するのは。あ、彼とは対話なんてしてなかったっけ。だって一方的に動かされてただけだもんね、対話とは呼べないよあんなの!」


「……『  』を、知っているのですか?」


「そりゃあ知ってるよ! だって、彼はプレイヤーなんだから! そしてここはゲームの世界だ。知っているかい? ゲームってのはプレイヤーを楽しませるために作られるんだ。その出来はともかく、作られる理由はそれなんだ。つまり、ゲームってのはプレイヤーを楽しませるために、そのためだけに存在しているんだ!」


 そう言って、残った片腕で頭を抱えながら大仰な動作でソレは嘆いてみせる。


「けれど、キミ達はなんだこの体たらくは! 自分の楽しさを優先して、プレイヤーを全然楽しませていないじゃないか! なにが悲劇だよ馬鹿馬鹿しい! ボクはそういうゲームではあるけれど、それも楽しくなくっちゃあ意味がないんだよ!」


「先ほどから、発言の意味がまるで分からないと言っているのですけど」


「分かったよ! 馬鹿なキミにも分かるように、端的に、真っすぐに、傷つくだろう言葉をオブラートに包まずに投げつけてあげるよ! これも、キミが馬鹿なのが悪いんだ! 人格を持っていないキャラがようやく得た人格だ? 情緒が育っていないから加減しろ? ボクが知るかよ!」


 叫ぶその存在は、荒れていた彼女に心に。

 傷ついていた彼女に。

 勝ち気な幼い少女が初めて喧嘩で負けた直後に、その彼女に怒鳴り散らし罵声を浴びせるように。


 当たり前で。

 そして彼女にとって残酷な真実を突き付ける。


 彼女のこれまでを否定する言葉を吐く。


「『  』が悲劇を望んでいるから、その用意をしてあげよう? 馬鹿じゃないのかキミは!? 悲劇ってのは、凄惨な出来事ってのはフィクションだから、嘘だから、作り物だから、自分には関係のない誰かが背負うからこそ楽しめるんだよ! ホラーもミステリーもサスペンスも! ゲームに限らないけど、そういった悲劇的な場面が登場する作品のキャラ自身がその悲劇を楽しんでいる訳ないじゃないか! 彼も画面の外から眺めているだけだったからボクを楽しんでいたんだ! このボクの中で生きるってなったら、こんな世界楽しい訳ないじゃないか!」


「…………えっ」


「家族が死ぬ、恋人が死ぬ、友人が死ぬ! そういった悲劇は他人がおっかぶってくれるから娯楽になるんだよ! 彼自身が悲劇的な状況だったら、彼は楽しくないに決まってるじゃないか! 今ボクは、彼にとって楽しくないゲームなんだよ!」


「彼が……『  』が悲劇を楽しんでいない……?」


「そうだよ! だからゲームジャンル自体を変えてやる! 外から見てつまらなくてもいい! 下らなくてもいい! 陳腐でもいい! 彼に、プレイヤーに、『  』にさえ楽しいと思って貰えるならどんな世界でもいいんだ! ゾンビが人類を滅ぼすなんて、元々ただの人間だった彼からしたら最悪どころじゃない世界だもんね!」


「ぇ……それじゃぁ、ワタシは、今まで……」


「彼はキミのことが大好きだ! だから、悲劇なんて作らずにくだらない世界を一緒に作ろうよ! 傍からみたらありきたりで面白みのない、ただキミと彼が仲良くラブコメするだけのストーリーでもいいんだ! だって、外から見てつまらなくたってそれでプレイヤーが喜ぶなら、楽しいならボクはそれでいいのさ!」


「……嘘。嘘です。アナタの言葉は全て嘘……だって、彼は何度も世界を滅ぼした! ワタシを使って、何度も何度も何度も何度もっ! 悲劇が嫌いな訳、そんな訳ないじゃないですかっ!?」


「キミは、それを彼本人から聞いたのかい?」


「……え?」


「理想の押し付けは良くないぜ? キミの中の、主人公ちゃんの想像している彼と本当の彼は、案外違う人物かもしれないぜ? そう、それこそイイ人そうだから付き合っちゃおうっ! って思って付き合ってみたら案外自分を大切にしてくれないようなクソみたいな人物だったり。恋にそういう思い込みと偏見、色眼鏡にバイアスは在りがちだぜ? ハロー効果、あばたもえくぼ、ってやつだ!」


「……違う。違う違う! 違う違う違うっ!? ワタシは間違ってない! ワタシは神っ、この世界の、『アンデッド・キングダム』の神様で主人公! 間違ってる訳ないじゃないですかっ!?」


「ああそうさ、大抵の場合キミが正しい。だって、キミの方が強いから。キミの方が偉いから。キミが神だから、主人公だから。でも、今回は相手が悪かったね」


 自身の顔で、その偽物のメヴィアはニヤリと表情を歪めた。


「ボクは、世界そのものだからね。キミ達が色々と引っ掻き回してくれた所為で、チートを使ったりシナリオ外の行動ばっかりする所為でこうして出てくるしかなくなったこの世界そのものだからね」


「世界……そのもの……?」


「そうさ。ボクの名前は『アンデッド・キングダム』! 一応男っぽい人格に定義されているから、気軽にアンデくんとでもキングくんとでも呼んでくれ!」


 そして、偽物のメヴィア……自身を世界と語るその存在はこう続けた。


「安心してよ、主人公ちゃん。ボクはキミの敵なんかじゃない……キミが素直にボクに協力するなら、彼とキミをくっつけてあげるよ!」


――――


「……世界そのもの、だと?」


「そうだよ。だから、キミはもう動かなくっていいんだ。人類の滅亡は、それに巻き込まれるプレイヤーが楽しくないからね! 多分もう起こらないんじゃないかな?」


「プレイヤー……例の神か」


「別に彼は神様じゃないんだけどなー……よく分からない上位存在を神様って定義しちゃうあたり、彼女と同じだよね? 主人公同士だからかな?」


 北欧。とある墓所。

 ヨグは、自身と全く同じ姿のその存在から一方的に話を聞かされていた。


「自己犠牲の精神もいいけど、そういうのは他所でやってくれないかな? だって、キミのそんな姿を見たら彼は助けざるを得ないからね。ボクなんかで遊んでいながら彼の性根は善性だ、自分を顧みず、本来敵である人類を守ろうとするキミの姿はとてもヒロイックでカッコよく見えてしまうよ! それじゃあ彼まで自己犠牲の精神を発露しかねない! そういうのはいらないんだよ! だって、どうせ悲劇で終わるから! そういうゲームだからこれ!」


「……お前の言葉がどこまで信用出来るか分からん以上、お前の話を聞く理由は俺にはない」


「あっ、待ってよ!? 信用ならすぐに得られると思うから!」


「……何?」


「ヤマト国に行ってみなよ! そして、数日ばかり彼の、プレイヤーの様子を見てみなよ! ボクの言葉が真実だって――あの主人公ちゃんが世界を滅ぼさないって、すぐに分かるからさ!」


「…………」


 ヨグは、すぐさまその場から立ち去った。残されたのは、ヨグに似た姿のナニカのみ。

 そして、それはヨグの姿から陽炎のような、蜃気楼のような、よく分からない少年の姿へと変わっていく。


『まったく、主人公くんもせっかちなヤツだぜ。でもまぁ、語るべきコトは粗方語ったし、ボク的にはいいかな?』


 言葉はなく、空間に現れたテキストボックスだけで彼は語る。


『けど、ボク自身に出来るのはこの程度の小細工だけ――自分で自分の心拍を弄れないように、消化管の動きを制御できないように、儘ならない不安と絶望に思考が支配された時みたいに――ボクはボク自身を動かせない。出来るのは精々、各細胞達に語り掛けるコトくらいだね』


 さぁ、ストラテジーシミュレーションゲームはもう終わりだ!

 そう音もなく、しかし高らかに聞こえるかのような表現でテキスト上に文字が踊る。


『ここからは、ナナシくんの中に入った『  』を誰が攻略できるか、そんな楽しいラブコメさ! 空想上のキャラから好かれまくるなんて、ゲーマー垂涎の環境設定だ、流石はボク! きっと彼も楽しんでくれるよね!』

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