四章『神、エラー、そしてドラゴン』

第1話

 面倒ねぇ、と。

 そう思いつつも、柳リンはキョウの都の中央――文字通り、政治的な側面での中央集権を握るその建物内で講釈を垂れる老人達を眺めながら内心独り言ちた。


 寝殿造りと城塞の両方の要素を継ぎ接ぎしたかのような、和の風情こそあれど日本人であればどこか違和感を覚えざるを得ないその建物内で、現在行われている議論にリンは辟易とした気分となってしまっていた。


 理由は明白。

 政治、金、外交と、様々な立場のお偉方が自身の主張を押し通そうと躍起になって、議論そのものが先ほどから動かないためだ。

 戦士として、剣士としての能しかない自身には、その議論は些か退屈過ぎた。


 以前の自身なら、まだマシだったかもしれない。薬物の過剰摂取によって意識も思考も曖昧であった頃の自身であれば、それらの話を理解できずとも、気にすることなく別のこと――例えば、アンデッドや人の殺し方や本日の夕食、ナナシにどんな本を持っていこうか等――を考えて時間を潰すことが出来た。


 しかし、今の彼女は存外理性的で理知的だ。


 薬物は未だに摂取目安量以上に服用しているが、なるべく少ない量で済ませている。おかげで知性も理性もしっかりと残っている。性格こそ本来の彼女のおとなしいそれではないが、以前の彼女ほどの凶暴さも持たない。


 ――正直、アタシがココにいる理由ってないわよね。


 それが、彼女が抱いた正直な所感だ。


 不本意ながら、柳リンは戦士である。剣士である。アンデッドハンターである。人類を守護するための暴力である。

 そう、彼女に求められるのは、彼女自身の望んだことではないが暴力なのだ。

 断じて、知性ではない。知識ではない。策略ではない。そういったモノは、そういったコトが得意な者が行うべきであり、自身の介入すべき範疇ではないとリンは思っていた。


 彼女は、自身の知性が薬物の影響がなくともそう高いモノではないことを理解していた――幼少期に行われた教育の過程で、そこで育まれた自尊心の低さによって、理解してしまっていた。


 議論されているのはヤマト国全体に対する対アンデッド戦力の増強及び、キョウの都の防護強化についてである。

 どちらも、連日に渡って発生したキョウの都周辺のアンデッド騒動が原因である。


 一度目は大勢のアンデッドによるキョウへの侵攻。二度目は謎の高位アンデッドによる強化されたはずの結界内への侵入。そして、三度目はつい先日ようやく鳴りやんだ警報――都付近に強力なアンデッドが接近したことを知らせる、約一週間に渡って鳴り響き続けたアラート。


「……ふふっ」


 後者2点に関しては、リンは心当たりがあった。

 リンの友人にして、フォーリンエンジェルというヤマト国では馴染みのない種族の、冷たい印象の顔立ちながらどこかのんびりとした態度の彼女が原因だ。


 人類に対しそう敵対的ではない――それどころか、リンとは友情を育める程度には友好的な彼女の正体と目的を巡り、的外れな議論を繰り返す識者達の様子を見ていると、なんだか色々と馬鹿馬鹿しくなってくるものだ。


 つい。

 そう、ついうっかりリンは笑みをこぼしてしまった。


 一瞬だけリンに視線が集まる。だが、それも本当に一瞬のこと。

 誰もが彼女に興味を向けることなく、リンにとって無意味とも思われる議論へと戻っていく。


 それも仕方のないことである。

 柳家の長女――次期当主と見込まれている柳リンは、周囲から頭のおかしなオン案であると、そう認識されているのだから。

 突然笑みを浮かべるなんて、それこそ些細なことだ。何故なら、彼女は頭がおかしいから。突然刀を抜いて暴れ始めないだけマシだ、というのがこの場の多くの者達の共通認識だった。


「3日だけ、か……10日の内に3日だけ……」


 彼女が人類に擬態できるのは、3日間だけ。その後再びそれを行えるようになるまでは一週間ほどの時間がかかるそうだ。

 だから、都の中で彼女と会えるのは10日に3日だけ。仮に都を離れようとも――そして、彼女がリンについてきてヤマト国南方へと向かったとしても、柳家がアンデッドハンターの名家である以上、それは変わらない。


 そして、今日がその3日の初日だった。


 ――今頃、ナナシとルシ子は何をしてるのかしら……


 飛び交う議論と時折聞こえてくる罵声に似た何かを煩わしく思いながら、木目の描かれた天井の梁をリンは見やる。


 自身に求められているのはあくまで暴力。なのだから、必要になったら連絡を寄越す形で自由にしてくれればいいのに。

 そうも思えるが、柳家次期当主、そして柳家からの使者であるという自身の立場を思えばそうも言っていられない。こうして座っていることが今の自分の仕事なのだ。


 ……それでも、ナナシやルシ子と共に遊びにでも出たいなぁ、と感情面では思わずにはいられないのだ。


 今からでもお薬を沢山飲んで、この場を滅茶苦茶にして、さっさと帰ってしまおうかしら。

 そんな考えが脳裏を過ぎるが、あくまで過ぎるだけ。実行に移す気などさらさらなかった。例えば、寺子屋が無くなったら試験や宿題なんてやらなくてもいいのにな、壊してしまおうかと。そう童が考える程度の絵空事。理性と知性で抑え込めてしまう程度の些細な破壊衝動。


 自分が本当の意味で自由になれる日は遠そうだなぁ、と。

 先ほどの笑みとは正反対に、今度はため息を零すリンであった。


 当然、彼女のそんな様子を気に掛ける者など――御簾の奥の『巫女』と呼ばれる少女くらいなモノであった。


――――


「――そう構えないでください、ルシファー……いえ、ルシ子ちゃんとお呼びするべきですか? どちらにしても、今のワタシにアナタを害する力なんてありません。勿論、敵対する意志だってありませんよ?」


 日がまだ昇りきっていないその頃。

 朝風呂を楽しんでいた――いくつかの宝石類を握りしめさせたことで貸し切りにしたはずのその露天風呂に、その神は突然姿を現した。

 気配は人間――しかし、魂の色は間違いなく神。


「……堕天使の人化、ですか。それは、ルシ子に対する皮肉でしょうか、とルシ子は神に問いかけます」


「いえいえ。胸襟を開いてアナタと話すには同じ目線で、同じ立場で語らうべきと。そう思ったワタシの気遣い故の行動です。気に入りませんでしたか?」


「肯定します。そもそも、ルシ子は神の存在そのものが気に入りません」


「でしょうね。ですが――今ここで、アナタとワタシが争うことは出来ませんよね? ここが人類の拠点の1つ、キョウの都だからではありません。だって……今ワタシとアナタが本気で争えば、この向こう側にいる彼がタダではすみませんもの、ね?」


「……肯定します」


 メヴィアが指し示した、竹を編んで作られた壁の向こう側――即ち男湯の方面には、今ナナシが入浴している。

 ルシファーに誘われ朝風呂に浸かる姿をメヴィアは既に確認済みだ。


 ――ワタシの『  』とここまで友好的になっているとは予想外でした……ですが、コレを利用しない手立てはありません。


 嫉妬心を抑え込み、能面染みた笑みを表情に張りつけ。

 あくまで友好的、親密な態度でメヴィアはルシファーへと微笑みかける。


 彼女がこのキョウの都にいて、彼も同じ宿にいた。その事実で、既に彼の魂を覗こうとしたのが目の前の堕天使であることは確定したようなものだ。

 そのことを思うと、強烈な嫉妬と怒りの感情が内から込み上げてくることをメヴィアは自覚した。


「……いけません。ワタシは存外堪え性のない女であったみたいです」


 湯に浸かる彼女の隣に腰を落ち着けつつ、メヴィアはため息を1つ吐き出し心を落ち着けた。

 ため息は不幸を呼ぶ、なんて迷信があるがその実逆だ。不幸だから、ため息を吐くのだ。ため息は当人の心を落ち着け思考を整理させる。ストレスを減らし、マイナスだった思考を今の不幸の解決策へと繋げてくれる。


 だから、メヴィアは人前であろうとあなかろうとため息を吐く。それが自身の利益となるのだと理解しているのだから。


「……問いましょう、神。一体何のつもりでしょうか」


「神、だなんて他人行儀な。事実ワタシはアンデッドの神ですけれど、アナタとは友好的でありたいのですよ? ですから、ワタシのことは気安くメヴィアちゃんとでも呼んでくださいな?」


「ルシ子には、神と友好的に接する理由がありません」


「あらら……ここまで頑なとは。よもや、彼の中に仕掛けていた『ワタシ』が何か失礼な発言でもしたのでしょうか?」


 あり得そうだ、とメヴィアは思った。

 なにせ自分自身のことだ。彼の魂が閲覧される……そういった状況に直面した場合、どのような態度に出るのか。少なくとも、友好的な態度が取れるとは思えなかった。

 そして、どうやらそれは事実であったらしい。


「肯定します。ルシ子は、ナナシが神の所有物であると、支配されているといった旨の発言を受けました」


「……ワタシの馬鹿。どうして神に対する反逆者に、支配と隷属への敵対者に所有権を主張しているんですか」


 気持ちは分かる。なにせ自分自身だ。

 あぁ、でも。感情論でここまでの悪手を打つのか自分は、とメヴィアは嘆いた。

 少し考えて、でもやっぱりするだろうな、と結論に達した。


「……いいでしょう。良くはありませんが、ひとまずいいでしょう。アナタのワタシへの敵対的な態度は今は許容しましょう」


「再度問います。神、一体何のつもりでルシ子へと接触してきたのでしょうか」


「先ほど申した通りの理由ですよ。胸襟を開いた会話でもどうか、と思ったもので。裸の付き合いというやつです、文字通り胸を開いて話そうではありませんか」


 メヴィアはそう言って、自身とルシファーの胸元を見やった。

 サイズは同程度……豊満とは言えないが、小さくもない。両者共に、下品さのない性的魅力溢れる体型だ。

 いや……僅かばかり、ルシファーのそれは自身のモノより大きいかもしれない。


「……いいでしょう。彼の理想はあくまでワタシなのですから。大きさなんて、それこそ気にするだけ無駄という話です」


 能力面でも、そして胸囲としても下回るという謎の敗北感を感じながらも。

 とりあえず、とメヴィアは提案してみることにした。


「せっかくの露天風呂、そしてこの竹で出来た向こう側には彼がいるのです……少しばかり、覗いてみませんか?」


「……神という存在は、どうしてこうも品性がないのでしょうか。ルシ子は自身の創造主も含め、心底軽蔑します」


「辛辣ですね、ワタシは自身の欲望に忠実なだけですよ。言い換えれば、純粋で素直なのです。そして、性欲は悪いことではありません。アナタの神も述べたことではありませんか。産めよ増やせよ地に満ちよ、と。避妊行為すら違法であった時代もあるそうですね?」


「……ルシ子はその言葉を嫌っています」


「でしょうね。そして、実際ワタシにとっても無意味な言葉です。なにせアンデッドですから。産める体をそもそも持っていないんですよね……確か、設定上はアナタ達天使は生殖能力自体は保有していましたね? 羨ましい限りです」


「ルシ子には不要な機能です。そして、今後ルシ子は繁殖行為を行う予定はありません」


「それを聞いて安心しました」


 今のルシファーの言葉で、メヴィアの目的の八割方は達成された。


 そもそも、彼女へ接近したのは彼に手を出されないように牽制する意図あってのものだ。彼女が繁殖を行わない……つまり、彼に手を出されることはない、ということが確定した。

 牽制すら必要ない。あの魂を覗く行為自体には嫉妬と怒りを抱かないこともないが、自身は寛大な神である。一度のその過ちは赦してやろうではないか。


 浮気を許すのも強者としての度量。そして、彼が自発的に行った行為ではなく、浮気相手にもまたその気はないとなれば、神として赦すしかないじゃないか。


 なんだ、そもそも争う必要なんてないじゃないか。

 そう判断したメヴィアは、ついでに例の件の確認を……この様子だと、ほとんど何もしていなかったと予想されるが、一応しておくとした。


「そうそう。先日、ナイル国付近にてアナタにお願いした例の一件はどうなりましたか? ああいえ、達成されていなくとも構いません、これはあくまでアナタに対するお願いであって、支配、命令ではないのですから」


 彼女の敵愾心を、反逆の意志を煽らぬように慎重に言葉を選ぶ。

 彼女が彼に友好的である以上、この場での暴発の危険は少ないだろうが一応の保険だ。万が一彼女が怒り狂い暴発した際は、自身はともかく彼が傷ついてしまう。


 それは良くない。自らの用意した悲劇で、あるいは彼自身の選んだ行動の果てに彼が傷つくのは許容できる。だが、こんな事故みたいな頭のおかしい女の気まぐれで彼が傷つくことは耐えられない。


 メヴィアは、好いた男が傷つく様を喜ぶような感性を持ち合わせていなかった。

 悲劇も、彼が喜ぶから仕立てているのだ。彼女自身は心から彼の幸福を常々思っている、至極真っ当な恋する乙女なのだ。

 些かそのベクトルがぶっ飛びすぎている、という自覚はメヴィア自身にはないのだが。


 そんな彼女からの言葉に、ルシファーは意外な返答を返した。


「対象と思われる存在との接触は既に完了、情報もある程度分析済みです」


「おや、これは予想外。自分で言っておきながらなんですが、ルシ子ちゃんがワタシのお願いを素直に聞いてくださるとは思っていませんでした」


「ルシ子は対象の保護を放棄しました。その神からのお願いは、ルシ子は聞き入れません」


「ふふっ、でしょうね」


「……そして、ルシ子は対象の情報提供も行いません。ルシ子は、アナタが嫌いです」


「構いませんよ? 存分に嫌ってください。彼に手を出されない……その事実確認だけで十分な成果と言えるでしょう」


「…………情報統合。分析開始――完了。対象、個体名メヴィア。神に対する心理的攻撃が可能であると判断。神が個体名ナナシに執着していることは、そして先の発言から性的対象と捉えていることを理解しました」


「おや、なんでしょうか。ルシ子ちゃんがワタシに精神攻撃を? 人化した状態で扱える魔術など、たかが知れているでしょう?」


「魔術の行使は不要と判断しました。そして、神にとって彼の存在が重要である以上、神自身もこの場で攻勢に移ることはルシ子と同様に不可能であると、そうルシ子は判断します」


 そして、ルシ子は神に――メヴィアに反逆する。

 精神的負荷を彼女に与える一言を発する。


「ルシ子は――将来、個体名ナナシと婚姻関係を結ぶ予定です」


「…………?」


 脳がバグったかと思った。

 ルシファーの言葉が意味するところを、メヴィアは理解できなかった。

 それくらいの衝撃を受けた。


 そして、そんな彼女に対し堕天使はさらなる追撃を与える。


「つまりは、結婚するということです。アナタの支配下から、ルシ子の伴侶へと変わるということです。そして……彼自身、この件を真剣に考えてくています」


 正確には、先延ばしにする『考えてやる』の一言ではあったのだが。

 それを脚色した一撃。


「……………………嘘、でしょう?」


 それに対し、メヴィアは結構本気でダメージを受けていた。

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