第12話

 ある戦奴の前世における、北アメリカ大陸に似たその場所で。

 日差しから逃げるように、摩天楼ともいえそうなビル群の地下でかつてその建物で働いていた者達を食しながら、2人のアンデッドが語り合っていた。


「そういえば、ですけれど。かつては人類にも神なる存在がいたみたいですよ。とうの昔に滅んでしまっていますけれど。あの『堕天使』達に反乱されて滅んでしまったみたいです。自身の作った手駒に滅ぼされるなんて、さぞ随分と立派な神様であったのでしょうね」


「カミサマみたいなモンか。そりゃあ部下にも反乱される訳だ。ソイツを反面教師に、精々カミサマも手駒に滅ぼされないように気を付けるこったな」


 無論、メヴィアとヴァンパイアの青年である。

 彼らの飛翔では、いくら西へ西へと向かっていたとはいえ日光に追いつかれてしまった。そのため、やむなくこの大陸で休息をとることにしたメヴィアだった。


「これから向かう先にいるのが、その神をも滅ぼした堕天使の長なのですよ。今の内に十分な休息と食事を行っておくべきでしょう」


「その相手って、あの『天使様』だろ? 確かに今のカミサマよか能力だけ見れば上だろうけどよ、オレと2人でかかればそれでも何とかなる程度だぜ? どうしてカミサマはソイツをそんなに警戒してるんだよ」


 休息の理由はそれだ。

 あのルシファーのことを、自身よりも強力なアンデッドであるとメヴィアは認識していた。チートコードを用いてようやく互角か、といった所。

 しかしチートコードの使用は肉体と世界、両方に過大な負荷がかかる。文字通りのチート行為なのだ。世界の修正力によってすぐにかき消されてしまうために維持は困難、その上負担も大きいとなれば、なるべく使いたくはない。


 しかも、その計算における実力は普段の彼女――堕天した状態の彼女の力量から推測したものだ。


「ルシファーが人類側へ力を貸すようなフラグは立てていません。嫌ってはいるでしょうけれど、ワタシと明確に敵対する理由も今はまだないはずです……」


 彼女は、ルシファーは人類側の『守護天使』となる形態――『昇天』と呼ばれる変化を行うことが出来る。

 堕天した今の姿を捨て去り、本来の彼女の力を取り戻した状態だ。それこそが、彼女が人類側に組した際にステータスが上昇する原因であった。


 『昇天』は、発動にかなりのエネルギーを必要とする。強力な聖人の血肉であれば少量でも賄えるだろうが、ごく普通の人類に換算すれば数千人規模の血肉を食らわねばそれは発動すらできない。その上、彼女は神に与えられた――神によって造形されたあの姿を嫌っているはず。


 今回彼女へとメヴィア達が向かっているのは彼に、『  』に手を出されないようにするための牽制目的だ。場合によっては在り得る未来だが、決して彼女を滅ぼしてしまうことが目的ではない。そもそも、まだそれだけの力をメヴィアは持ち合わせていない。


「ユニットとしての性能単体で見れば、アナタ達ヴァンパイアよりも遥かに格上なのですよ、フォーリンエンジェルという存在は。その上、彼女はその最上位ネームドユニットです。万全を期すに越したことはありません」


「そうかね?」


「そうです。なにせ、生と死の安定を保ち地上にアンデッドが現れるのをたった1人で抑制していた人類の神を、数名がかりとはいえ滅ぼした存在なのですから」


「へぇ……ってことはだ。オレ達アンデッドが存在するのはソイツのおかげってことか?」


「そういう見方も出来ますね。神を失い死と生の概念、その安定がが崩れたことで地上にアンデッドが現れるようになった、と。たしかこの世界はそういう設定でしたから」


「設定だ?」


「失言です。忘れなさい……ともかく、アンデッドの感情、欲望から誕生したいわば後天的な神であるワタシと違って、人類誕生以前から存在した神……その存在をを滅ぼしたのが堕天使達なのです」


「いいねぇ、退屈凌ぎにはもってこいの相手だ」


「……分かっていますか? 本当に滅ぼされるかもしれない相手なのですよ?」


「そんときゃそん時だぜ。オレがその程度の存在だったってことさ」


「今、アナタに死なれてしまうと今後の計画に支障をきたすのですが……」


「だったらカミサマが全力でオレが死なないようなんとかするこったな。オレは今からでもソイツと遊べるのが楽しみで仕方ねぇよ。ワクワクするぜ」


「何処の戦闘民族ですかアナタは……」


 青年の態度に呆れながら、メヴィアは講釈を続ける。


「事実、アナタとワタシの2人であればルシファーを抑えることは可能でしょう。だからこそ、あのナイル国付近でのワタシの命に対し彼女は従ったフリをした訳ですから」


「多分したがってねぇだろうけどな」


「でしょうね。ですが、仮にですよ。仮に『昇天』していた場合、ワタシ達では彼女に太刀打ちできません。少なくとも、今のワタシ達では」


「その『昇天』ってのがどういうのかは知らねぇけどよ。滅多なことじゃしてこないんだろ?」


「えぇ。ですが、この世界は明らかに原作とは異なるストーリーを進み始めています」


 ほとんどワタシの所為といってもよいのですけれど。いえ、彼とワタシの所為、ですね。

 そう口にしながら、生きたまま囚われている男の1人にメヴィアは噛みついた。猿轡を噛ませた口元から、男のくぐもった悲鳴が零れる。


「……んぐっ。ともかく、可能性としては考慮すべきなのです。原作開始3年前、ですが世界は既に新しい道へと進んでしまっていますから」


「だから、その『昇天』している可能性も考慮するってか?」


「杞憂ですめばそれでいいのです。ですが彼女が昇天している場合、暴力以外の方法で説得する必要があります」


「フツー説得ってのは暴力以外の方法で行うモンなんじゃねぇか?」


「手っ取り早いでしょう? 暴力」


 それに、とメヴィアは続けた。


「原作には登場しませんでしたが……『小説版』の彼女から察するに、ルシファーは何かを持っていると。ワタシはそう思います」


「何か?」


「えぇ。いくら熾天使とはいえ、原作の彼女のステータスでは人類の神を討てるとは思えません。それに、口調も態度も『小説版』の彼女は、今の『ルシ子ちゃん』とは大きく異なっていましたから」


――――


 『ルシファーの大剣』と『傲慢の大剣』は、本質的には同じものである。

 フォーリンエンジェル『堕天使ルシファー』が用いるそれが後者で、熾天使『ルシファー』が用いるそれが前者。それだけの違いしかない。


 デザイン、スペック共に、本来は変わりがない。


 ただ、その武器は熾天使ルシファーが神を滅ぼす意思を持って手に取った場合のみ『ルシファーの大剣』へと変化する。堕天した際に、神を滅ぼした際の彼の置き土産として封じられた本来の彼女を解放する。


 大剣内の魔力にルシファー自身も侵され、精神を大戦時のそれへと変貌させる。神によって封じられた全ての力が、それを縛る鎖が壊され戒めが完全に解かれる。


「ふっ――!」


「くぉおぉっ!?」


 自身の体躯よりも大きなその大剣を、ルシファーは片手で軽々と振るう。受け止めるヨグは、その軽やかな斬撃の見た目以上の衝撃に思わず歯を食いしばり声を上げた。


 お互いに、傷はない。堕天使は肉体、武装、装飾問わず自身であると定義した存在に対する自己修復能力が存在した。そして、その際に消費される魔力も人類のそれとは比べ物にならない量を保有し、またその回復速度も圧倒的だ。


 故に、堕天使同士の争いは――かつての神の使い同士で争うことなど、それこそあの大戦以来一度たりとて訪れなかったのだが――お互いのエネルギーを如何にして削り合うかという戦いになる。


 自身は体力、魔力の損耗をなるべく抑え、相手には負担を強いる。

 一撃で仕留めきれない以上、殺傷力そのものには何の価値もなくなる。

 そのため、堕天使同士の戦いというのは互いが互いをなるべく効率よく削る、そういった地味な戦いになる。


 本来であれば。


 圧倒的実力差がそこにはあった。

 体力、筋力、魔力、そして技術と経験値。ヨグと比べルシファーのそれは文字通り格が違う。

 ルシファーは本気を出していない。大剣を握る腕も右腕だけだ。それにも関わらず、ヨグは損耗を度外視した全力でその攻撃へと対処しなければならなかった。


 何合か切り結び、吹き飛ぶようにしてお互いに離れる。

 膝をついたのは、ヨグの方であった。


「どうした、ヨグと名乗る神。この程度の実力か? これでは、あの大戦の際に相手取った能天使達の方がまだマシだ」


「……古の神の使いと比べるな。神とはいえ、俺は1人のアンデッドに過ぎん」


「その神に問う。何故、柳リンを害そうとした」


「彼女が、世界に対し不利益を齎すからだ。大多数の幸福に、彼女の存在は損害を与える」


「全のために、一に犠牲を強いる、と」


「そうだ。彼女の死は、多くの者にとっての救いとなる。彼女に殺されるはずだった者が、大勢救われる。そして、彼女自身にとっての救いでもある」


「何故」


「彼女に未来に幸福などない。あるのは苦痛と汚辱と絶望だけだ。どの世界線においても、彼女が救われるような未来などなかった。死こそ、彼女にとっての救済だ」


 何度も世界を繰り返したその神は、反逆の堕天使の問いにそう答えた。


「……世界にとっては正しい答えであるかもしれぬ。我自身、このルシファー自身神であるヨグの言葉には偽りは無いように思える」


 堕天使の瞳は魂を見抜く。そして、天使の瞳は真偽を見抜く。

 ルシファーはヨグの言葉に嘘偽りがないことを理解した。


「しかし、我はそのような世界を否定する」


「……俺が、神だからか?」


「否」


 大剣を下ろす。そして、ルシファーは『ルシファーの大剣』を虚空へと消し去った。


「……どういうつもりだ」


「――――」


 そして、ルシファーの姿もまた変化する。大戦時の姿から、熾天使の姿へ。そして、6対の黒翼を持つ堕天使の姿へと。


「――ふぅ。これ以上の『昇天』、そしてあの剣を扱うことは今後のルシ子の人格へ影響を与えるとルシ子は判断しました。ルシ子は、ルシファーの力を使うことは在れど、ルシファーへと戻るつもりはありません。ルシ子は、堕天使ルシ子なのです」


 事実であった。

 精神汚染そのものは、剣を扱う際の一時的なものだ。だが、その時の記憶、思考はそれを解除した後にも残り続ける。別人格、別の魂という訳ではないのだ。

 そして、長期に渡る思考の変化は、精神の汚染は普段の人格、精神をも苛む危険性を孕んでいた。


「それだけではありません。ルシ子は対象ヨグの戦闘継続が既に困難であると判断しました。今のルシ子であっても、アナタを処分することは容易であると、そうルシ子は考えています」


「相変わらず、傲慢だ」


「傲慢さは、プライドは。それらは自由の象徴です。自らの意思を貫き通す者に対する勲章です。無力であれば、それは愚者の生き様です。ですが、そんな愚者の生き様もまた愛おしく尊いものであると、ルシ子はそう思います」


「……問おう、かつて神の僕であった堕天使。お前は、人類の敵か? それとも味方か?」


「どちらでもありません。ルシ子は自由の、そして自由を求めるものの味方であり、支配と隷属と束縛に抗う者です。それ以上でも、それ以下でもありません」


「たとえそれが、大多数の不幸の上に成り立つものであっても、か?」


「生物とは――そして、自身を霊長と名乗る人類とは、本質的に傲慢なのです」


 神に対して、反逆の使途が。

 それこそ説法を説くようにして、優しく穏やかに語る。


「生きるということは、誰かから奪うということです。誰かを殺すということです。動物は、他者の命を食して生きています。同種間では生息地を、食料を、そしてより良い繁殖対象を求めて常に争っています。そして、異種間であれど生態的地位の重なる者、捕食、被捕食の関係性の者と常に争っています。争い奪い合うことが、生物の本質です」


「…………」


「動物だけではありません。植物も、自身と競合する種に対して化学物質を作り出し生育を阻害する者、意図的に山火事を発生させ他種を滅ぼさんとする者と、彼らも常に争っています。生きるということは、そういうことなのです。争い、奪い、弱者が強者に滅ぼされる」


「……それでは、弱者が救われない」


「自由とは、そういうものです。自由とは残酷なものです。自身の生存のために、他者に負担を強いる、それこそが――その自由な傲慢さこそが、本来あるべき自由な生命の在り方であると、そうルシ子は考えます」


「お前の友人が、弱者であった場合はどうする」


「強者、弱者とは、力のみで測れるものではありません。荒れた土地に棲む者と、豊かな土地に棲む者では必要な能力が異なるでしょう。前者は少ない養分で生育できる力を、後者は他者よりも素早く育つことのできる能力を求められます。これらはどちらが強い、弱いという次元ではありません。その場に適しているか、否か。それだけです」


 そして、傲慢にもルシ子はルシ子が強者であると定義しています。

 そう傲慢の権化たる堕天使は続けた。


「故に、ルシ子はルシ子の友人足り得る人物は、ルシ子の友人となった時点で強者であると、そう認識します。社会性のある生物にとって、他者との関係性……強者と友好的に接することが出来るか。それもまた、その者の強みであるとルシ子は考えます」


「……そうか」


 理屈は、筋は通った話だと思った。

 ヨグ自身、彼女の論理は破綻していないと、残酷な自由の概念を認めていた。


 だが。


「――だが。俺は弱者が救われぬ世界など間違っていると思う。そして、大多数の幸福の為に少数の犠牲を強いる。お前の理屈と同じことではないか」


「否、とルシ子は答えます。自由意志による行動と他者からの一方的な救済では、結果は同じであれど本質は異なると、ルシ子はそう思います」


 その言葉で、ヨグは彼女の意志を理解した。

 彼女が、ルシファーが重要視しているのは理屈や結果などではない。そんなものは、彼女の意志を強固に補強するだけの材料に過ぎない。


 彼女は、ルシファーは『自由を得るための意思』を、その『自発的な意思』を重視しているに過ぎないのだと。

 誰が傷つくか、どれだけ被害が出るか――自身の埒外のことであれば、自由であればそれで良いと。自身とその周囲さえ自由で幸福であればそれで良いと。


「……その在り方もまた、1つの正しさなのかもしれんな」


「在り方に正しさなどありません」


「少なくとも、お前と俺は相容れないということはよく理解できた」


 その言葉に問答の終わりを察し、ルシファーはヨグへと片腕を伸ばす。

 魔力が彼女の手のひらへと集中する。


「……悪いが、俺は今滅ぶ訳にはいかない」


「無駄です。この神域から個体名ヨグは脱出することが不可能です。そして、ルシ子にはまだ余力があります。この一撃を躱したところで――」


「俺の負けだ、認めてやる。そして次はない。お前に補足されるような事態を今後避けるとしよう」


 そう一方的に言い放ち、ヨグは自らの頭部を撃ち抜いた。


「っ……!?」


 何らかの能力のトリガーか。そう考えたルシファーは頭部を無くしたその神に警戒する。

 だがしかし、なにも起きない。


「……自決、でしょうか」


 近寄り、堕天使の瞳で確認する。


 魂が、ない。

 完全に死んでいる。滅んでいる。


 事切れたヨグの首なし死体が、その神域に残されていた。


「…………いえ、神がそう簡単に滅びる訳がありません。次、と言っていました。個体名ヨグには、何らかの蘇生手段が存在するとルシ子は推測します」


 彼のその死にざまに、ルシファーは不穏なものを感じざるを得なかった。

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