第11話
甲冑を着込んだその男が地に伏せるまで、10秒と掛からなかった。
しかしながら、ただの人間が10秒ほどとはいえ時間を稼いで見せたのだ。
「……正しく『偽勇者』だな。心意気、意思こそ誉れ高く立派だが、俺を止めるには実力不足だ」
数回程度の殴打で甲冑は既にボロボロ。ひび割れた鋼の隙間からは内に着込んだ鎖帷子が見える。その下の皮膚は、おそらく痣だらけになっていることだろう。
彼はもう既に意識を失っていた。大地に体を横たわらせ、僅かな呼吸音のみを残し沈黙している。
「まだ、生きているのか。それなりに力を込めたつもりではあったのだがな」
「ぁ……」
その男を跨ぐようにして、彼に庇われていたリンへとヨグは近づく。
「安心しろ。この男は生きている。お前を殺した後、彼を害することはないと約束しよう」
「ぇ…………?」
「お前に言っても仕方がないことではあるが、俺としてもこれは不本意な行いなのだ、柳リン。だが、お前の未来には絶望しかない。あの神の手を以てしても、俺にはそれが変えられるとは到底思えん。故に、お前はここで死ななければならないのだ」
仮に、自身に彼女を救えるだけの力があったのならば。
そう考えてしまうヨグではあったが、己の無力さは何度も繰り返される世界でそれこそ痛いほどに思い知ってしまっている。
ヨグには、人類のネームド達――一部のマシな者を除いた彼らの絶望を覆す力などない。それを身をもって痛感していた。
だからこそ。
そんな不幸が待ち受ける未来が訪れる前に、彼女のようなキャラクターは殺しておくのが誰にとっても幸せなのだ、と。
幸福であるのだと。
そこまでいかずとも、その絶望よりは、多少はマシな結末であろうと。
「ルシファーがこの場に到着するまで、約30秒……お前を殺し逃げ切るには、些か不安な猶予だな」
座り込んで黙ってしまったリンの腰から彼女の刀を抜き去る。
「せめて、自身の愛刀で死ぬがいい。安心しろ、楽に殺してやる。お前が現世で苦しむ必要など、もうないのだ」
項垂れた彼女の首元へ狙いを定める。
せめて苦痛なく。一瞬で仕留める。
そう思って刀を振り下ろした――
「――――っっっ」
「……何故、まだ動ける」
ピタリ、とその凶刃が動きを止めた。
刃の寸前には、ボロボロになった男が立っていた。
「――――」
彼には、意識などなかった。
気を失っていた。完全に気絶していた。
それでもなお、守るべき者を守るために。
傷だらけの、痣だらけの、みすぼらしい風体でヨグの前に立ちはだかった。
ヨグは、彼の頭部を殴り倒す。
ミスターKは再び地に倒れる。
そして、再度立ち上がるとヨグに向かって仁王立ちの構えを取る。
背後の、その少女を守るために。
「……お前は正しく英雄だ。勇者だ。認めてやろう」
その言葉と共に、ヨグは英雄に蹴りを放つ。
壊れかけの甲冑越しに、横から振りぬかれたその蹴りを腹部へと受けた彼は口から血を吐きながら数メートルほど吹き飛ばされ、一本の樹木へとぶつかる。
それでも、それでも。
彼は立ち上がり、ヨグとリンの間へと向かおうとする。
だが、今度は間に合わない。
数メートルだ。それだけ距離を空けられてしまったのだ。重たい鎧を纏う、満身創痍の彼が、ただの人間でしかない彼が割り込むにはあまりにも長すぎる距離だった。
「幕引きだ」
「……助けて、ルシ子」
そして彼女を、リンを終わらせるべくヨグが斬撃を放つ。
吸い込まれるように、真っすぐに。俯いた彼女の首筋へと刃は進む。
柳リンの絶望は、彼女の不幸な物語はこれで終わる。
そのはずだった。
しかし、リンのたった一言の呟きが。
そして偽物の英雄の命懸けの献身が、それによって稼がれた数十秒という短い時が。
柳リンの人生を繋ぐ、運ぶ、その黒い翼を呼び込んだ。
「――えぇ。助けましょう。何故なら、ルシ子はリンのお友達ですから」
――――
振るわれた殺意を右翼にて受け止め、抱きすくめるようにしてリンを守る。
「……ルシファー」
その男の呟きを意に介することなく、ルシファーは腕に抱いていたナナシをリンへと押し付けた。
「リン。ルシ子はリンを助けに来ました」
「ルシ子……それに、ナナシも……もしかして、幻覚? 死ぬ前に見る……走馬灯……?」
「ルシ子達は幻覚ではありません。そして、リンが死ぬこともありません。そうルシ子はリンの言葉を強く否定します。ルシ子は言いました――助けが必要な時はルシ子を呼んでください、と。救いを、自由を求める友を、ルシ子は決して見放しません」
そして、ルシファーは彼女の呟きから情報を類察する。
「情報統合――完了。リンはナナシを認知していました。これまでの情報、及びリンの家名、柳より、ナナシの所有者は柳リンであると推定。ですが、ルシ子はこれを今は許容します。ナナシの事情、そして――リンが、ルシ子のお友達だから、です」
「あれ……ルシ子、でも……アンデッドみたいな気配がする……」
「肯定します。そして、偽りを述べていたことを謝罪します。ルシ子はヤマト人ではなく、それどころか人類ですらありませんでした。ですが」
――リンの友人であることは、それだけは嘘ではありません。
彼女の腕の中にて気を失ったナナシを見ながら、ルシファーはそう言葉を紡いだ。
「彼が、ナナシがリンの心の支えだったのですね。支配と束縛に耐えるための、救いであったのですね」
ルシファーはそう言い終えると、周囲を見渡した。意識を失ったまま、フラフラとこちらへ歩み寄ってくる男が1人。ミスターK、あのセクハラ男だった。
「……アナタが、彼女を守ってくれたのですか」
その呟きに返す言葉はなく、ルシファーの目の前にたどり着いた彼は力尽き倒れてしまった。
「情報修正――ルシ子の臀部に触れたことは、決して許しません。ですが、アナタはルシ子の友人を救ってくれた……ルシ子が到着するまでリンを守り抜いたのですね」
そして、この暴虐の加害者たるその男をルシファーはようやく見やった。
「――個体名、不詳。種族、コープスウォーリアー。ですが、この魂の色は……ルシ子は、対象を神であると断定」
「堕天使の瞳か」
この姿でお前を相手取るのは分が悪い。
そう呟いた男の体が唐突に変化し始める。
膨らんだ筋肉が萎む。背丈が僅かばかり高くなる。顔立ちがまるで彫刻のように美しく、そして人間味の薄い造りへと変わっていく。背中からは、漆黒の6対の翼。纏う黒のコートも自然と修繕されていき、意匠がより繊細かつ神秘的なそれへと変化した。
「対象の進化を確認。種族、フォーリンエンジェル。階級元熾天使」
「お前と争う予定などなかったのだがな、ルシファー。その女を殺すことだけが今の俺の目的だ。退け」
「ルシ子はルシ子です。お前とも、ルシファーとも呼称されるなど、ルシ子は大変不愉快です。そして、リンはルシ子の友人です。神であり、リンの敵対者である。ルシ子は対象を滅するべきと判断します」
「退くつもりはない、ということか」
「神。その神名を伺いましょう」
「……ヨグ」
「記憶完了。個体名ヨグ。アナタは明確にルシ子と敵対しました。そして、ルシ子はヨグを滅ぼします。敵対者たる神を、ルシ子は絶対に逃がしません」
「その傲慢さは相変わらずだな」
彼の言葉に答えることなく、ルシファーは傷ついた自身の肉体を見やる。
そう、傷ついていた。対アンデッドの結界の中を、それもネームドユニットかつ魔術のスペシャリストである『巫女』の張ったそれを強引に突破してきたのだ。全身は傷だらけ、速度を出して飛行したこともあり魔力量も損耗している。
「エネルギー残量確認。対象ヨグの殲滅は不可能と判断」
そして、ルシファーは翼で包み込んでいたリンの首筋に顔を近づける。
「ルシ子……?」
「少し、痛むかもしれません。謝罪します」
「んっ……」
彼女の首筋に、己が牙を突き立てる。口内には不快な、鉄に似た生臭さが広がる。
久方ぶりの――それこそ、数百年ぶりの血の味だった。人間の血の味であった。不快で、不愉快で、催吐感と嫌悪感の沸き立つその味は、しかしアンデッドの本能故か不本意ながら美味。
そして――
「糞……『守護天使』か……」
ルシファーの姿にもまた、変化が現れる。
全身の傷が治癒する。翼の羽根が美しく生え揃う。纏う衣装も保修されていく。
それだけではない。
闇のように黒いその翼が白く。
夜のように暗いその服は純白に。
そして、頭上には輝きを放つ光輪が。
「――『昇天』完了。個体名熾天使ルシファー。これより神滅を開始します」
『アンデッド・キングダム』において、人類側の守護天使となった際にのみ発現するその姿――熾天使ルシファー。
『神滅の白翼』と呼称される彼女の姿がそこにはあった。
――――
「顕現、『傲慢の大剣』」
「権能解放、『神域』展開――」
ヨグがその大剣を異空間から取り出すとほぼ同時に、ルシファーは自身の権能を持って、その空間を書き換える。
そこはまるで、楽園。
緑の草原と穏やかな風。暖かな日差しと僅かに香る土の匂い。遠くに見える小高い丘には一本だけ樹木が生えており、その枝には丸い果実が実っていた。
「……ここは」
「この世界はかつて存在した神が暮らしていた、あの争いの後ルシファーの内部に取り込まれた『神域』です。神と争うには相応しい場であり、かつどれだけ被害を出そうと問題ない場所……どうせ、もう誰もいないのですから」
その空間には、ルシファーとヨグだけが存在していた。
リンやナナシ、ミスターKの姿はない。
「ルシファーとヨグが争えば、周囲への被害は大きくなるとルシファーは判断しました」
「……なるほどな。俺としても、世界を壊す意図はない。ルシファー、お前の存在は厄介だが必要でもある。俺の考える未来に、お前は必要だ」
「それは、ルシファーを支配下に置くということでしょうか」
「お前には人類の守護者になってもらわなくてはならない。あの女――メヴィアの望む未来など、決して実現させてはならないからだ」
「ヨグ。アナタは神でありながら、同じく神であるあのクソ女と敵対しているのですか」
「敵対か。あぁ、そうだ。敵対している」
「そのために、ルシファーを支配し、ルシファーの友であるリンを害するのですか」
「……あぁ」
「では。ルシファーにとってあのクソ女もアナタも敵です。アナタはここで、ルシファーが滅ぼしてみせましょう」
黒薔薇色をした堕天使に、白銀の熾天使が宣告する。
「……俺は、世界の為に動いている」
「知ったことではありません。自由を害する者、ルシファーと敵対する者。その尽くをルシファーは滅ぼします――権能解放、『ミカエルの剣』」
目の前に現れた光輪から、ルシファーはその一本の剣を手に取る。
白く、清く、細く美しい剣であった。
対する神は、本来の彼女の大剣を、その禍々しくうねる大剣を両手に構えた。
そして、両者は激突する。
「っっっ、その細腕でありながらなんという膂力だっ」
「解放、『レヴィアタンの大鎌』」
鍔迫り合い。しかし、大剣を両腕で支えるヨグに対しルシファーの剣は右腕のみで握られていた。
そして、左腕には大鎌。大クジラにウミヘビが絡みついたかのような意匠のそれを、空いたヨグの胴体めがけ振り払う。
「くっ……」
右翼でそれを受け止めるものの衝撃を殺しきれず、ヨグの体は大きく弾き飛ばされた。
「解放、『ラファエルの杖』」
剣と鎌を手放したルシファーはその杖を掴むと、土煙を上げるその場所へ向けて光球を放つ。何度も、何度も。執拗に繰り返す。
「……かつて食らった天使の権能か。さらには悪魔のモノまで自由とは、流石はルシファーだ」
無傷ではなかった。翼は傷つき、体中から出血が見られる。黒く美しいその衣装も所々が破れ、無残な有様であった。
だが、さりとてヨグは大きなダメージを受けている様子はない。傷はすぐさま治癒していき、服装すら修繕されていく。
堕天使の姿をしたその神は、未だ健在であった。
借り物の力では出力不足、火力不足であると判断したルシファーは、本来の彼女の武装を顕現させる。
「権能解放、『ルシファーの大剣』」
それは、ヨグの持つ『傲慢の大剣』より一層禍々しく、醜く、歪な形状をし大剣だった。金属なのか、それとも未知の物質であるのか。妖しく輝くその刃からは遠方からでさえ感じ取れるほど邪悪な魔力が放たれていた。
事実、その魔力はルシファー自身の体を苛むほどだ。白く輝く翼はその光を鈍らせ、頭上の光輪は錆びたような色合いへと変わっていく。
彼女自身の精神もまた大剣のその魔力によって汚染されていき、感情が薄く無表情に近かった顔には目の前の神に対する嘲笑と侮蔑が浮かび、視線は弱者へと向けるそれへと変わっていった。
口調も、あの天界との大戦時のそれへと移り変わる。
「傲慢な神よ。我を傲慢と揶揄する不遜なる神よ。貴様は弱者であり、我こそが強者……我が名はルシファー、支配者の望む安寧を滅ぼし、悲劇足り得る自由を掴みし者」
「……これが、本来のルシファーか」
自身をルシ子と呼称する、穏やかな堕天使の姿はそこにはなかった。
苛烈で、過激で、暴虐の権化たる、支配と束縛の破壊者――秩序と安寧すらも壊してしまう世界への反逆者がそこにはいた。
それこそが、ルシファー。
反逆の堕天使。穏やかな光を奪い去り、闇の中の自由をもたらす者。支配という闇の中に、自由という光を与える者。
正義ではなく、さりとて完全なる邪悪ではない。
自由のみを求め神と争った、ただそれだけの存在。
秩序と規範の元享受できる安寧を、平和を。それを不自然であると、不平等であると、弱者でありながら強者へと歯向かい自由を勝ち得た傲慢者。
人類の神を滅ぼし、世界へアンデッドが蔓延する原因を作り出した、原初の天使の堕落した姿だ。
「世界を、我を支配せんとする愚かな神よ。我は貴様に反逆する。貴様の次はあの女だ。世界に神などいらぬ。支配者など、上位存在などいらぬ……無秩序であろうと、戦乱の世となろうと、自由以上に尊ぶべきものなどない」
「……原作以上の力だ。小説版の彼女をも超えている。作中では全力を出していなかったということか」
ヨグの言葉は正しい。
『アンデッド・キングダム』において、ルシファーは人類の『守護天使』となり昇天した姿となることはあった。
だが、『ルシファーの大剣』という装備を彼女が使用することはなかった。
理由は、大剣の魔力による精神汚染。
大戦時の記憶と感情、斬り殺した天使や神の魔力をも吸い込んできたその大剣は、常人はおろか熾天使となったルシファーですら容易に扱える代物ではなかった。
彼女がこの大剣を使用するのは、人類を殺す時でも、人類を守る時でも、アンデッドを殺す時でも、アンデッドを守る時でもない。
神を滅ぼす、と。そう心に誓った場合だけであったのだ。
ルシファーが嫌うのは支配と束縛、そして神。
隙あらば殺そう、とは常々考えてはいたもののルシファーの本質は穏やかだ。支配者や神が目の前に現れれば襲い掛かるものの、自ら攻勢に、滅ぼそうと決意することは原作ゲームにおいても一度すらなかった。精々、命令を無視したり敵対する程度であった。
大剣による精神汚染によって、既にルシファー自身も何故この大剣を取り出したのかは覚えていない。
「――チートコード、起動。オブジェクト『ルシファーの大剣』、顕現」
ヨグの宣言に、空間が歪む。しかしその歪みからは大剣が現れることはなかった。空間に漂うのは0と1の羅列のみ。その意味するところは『エラー。不明なオブジェクト』。
「なんだとっ……該当オブジェクトデータが、存在しない……?」
その原因は、『ルシファーの大剣』は『アンデッド・キングダム』のプログラム内にオブジェクトとして存在しないためだ。
その大剣は設定上は存在しながらも、そもそもルシファーがそれを使うことがないからと――ヤマト国の『戦艦ヤマト』とは逆の理由で――プログラム内には存在しないオブジェクトであった。
そう。本来彼女はこれを、この『ルシファーの大剣』を使うことはない。
ではなぜ、そんなモノを。自身の精神すら汚染するほどの魔具を取り出したのか。
リンにとっての初めての友人であったのと同時に。
また、ルシファーにとってもリンは初めての友人であったのだ。
強力な力を持ちすぎているために他者と対等な関係を築くことが出来なかった、そんな彼女に対し、薬物の影響もあったとはいえ恐れることなく、畏れることなく接してくれた初めての相手であった。
そんな彼女を傷つけ、あの強い彼女が、あの弱い彼女が救いを口にしてしまうほどにまで追い詰めた目の前の存在に。
表面上は普段と変わらぬ態度でありながら。
その神に対し、ルシファーは激しい怒りを抱いていたのだ。
己が精神を汚濁させようと、滅ぼしてやる。
そう決意させてしまうほどにまで、彼女は激情に支配されていた。
自由を愛する彼女が、感情に支配されてしまっていた。
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