第10話
鋼鉄製の鎧を容易く切り裂いたその刀は、ミスターKの肩に深く食い込んでいた。
甲冑の下では傷口から血液が流れだしており、彼はその激痛を感じていた。
彼の肉体はアンデッドではない。痛覚は常人のそれと同じだ。そしてまた、人類の進化種たる聖人でもなかった。
ただ、肉体の頑丈さだけが取り柄の、それこそただの男だった。
額に汗を流し、それでもなお痛みを感じさせない表情で立ちはだかる彼にヨグは問う。
「……お前がこの国にいることは、まあいい。あのルシファーのことだ、気まぐれで何を起こすか知れぬ彼女の行動に疑念を抱いていたらキリがない。だが、お前自身はどうだ」
「ワタシが、なんだって?」
「何故、お前はその女を助ける。何故、この場所まで辿り着いた。お前はただの人間だ。そして、彼女は戦士……弱者を救う英雄であろうと、お前の救う対象ではないはずだ。違うか?」
ふっ、と軽く鼻を鳴らしてその男は答えた。
「この場所まで来ることが出来た理由は……実は単なる偶然なのさ!」
「……どういうことだ」
「ワタシはとある少年と共に、黒い翼を持ったレディを探していてね。彼女を探している最中にこの森へ迷い込んでしまったのさ、つまりは迷子だ! そんな中、何処からか剣戟の音が聞こえてくるじゃないか」
ルシファーによって脱衣所に放り込まれた彼だったが、その後持ち前のタフさによって数分で目を覚ました。最上級アンデッドの一撃から数分で、だ。
そして、目を覚ました彼は一度温泉に入り酒を嗜んだ後、出会い頭に自身を殴りつけてきた彼女を再び探し始めた。
理由は殴られたことに対する報復などではない。女性から暴力を受けることには慣れている。此方に非があろうとなかろうと、ミスターKは女性からの暴力に対して非常に寛容な男だった。
彼女を探している戦奴の少年がいる。そして、彼の表情が真剣であった。それだけで、ミスターKにとってそのレディを探す理由には十分だった。
……そうして探し回り都の外をうろつく過程で、こうして森の中で迷ってしまったという訳だ。
「ハッハッハッ! 偶然にしては実にナイスなタイミングだったみたいだ! ワタシは無神論者だけど、こうも絶妙な奇跡を目の当たりにすると、思わず神の存在を信じてしまうそうになるね!」
「そうか。原作……いや、サイドストーリーたる小説版が舞台のお前もそうだったな。救うべき者がいる場合、奇跡的なタイミングで偶然遭遇する。そういう男だった」
事実、彼がこの場面に――柳リンが殺される寸前に介入してきたことは偶然でしかなかった。
偶然森に迷い込み、偶然その場所へ向かい、偶然そのタイミングで割り入る。
ミスターKとはそういうキャラクターだったことを、ヨグは脳裏で思い出した。
「……ルシファーが気まぐれを起こしたことも、お前のその性質故であったのか」
あの堕天使の行動は、神たる自身ですら操ることが出来ないというのに。
そういった意味合いにおいては、目の前の男は自身以上に盤面を動かす能力に長けていると言えそうだ。尤も、その全てが偶然によって引き起こされるが故に彼自身の意志、意図は介入されない奇跡ではあるのであろうが。
「そして、キミは今彼女が戦士であると言ったね?」
「……あぁ。お前は人類の英雄、救世主、勇者を自称しているが、その庇護対象は弱者であったはずだ」
「自称ではなくワタシは英雄であり救世主であり、そして勇者だけれどね。それに、ワタシが守るのは弱者なんかじゃない……守らなくてはならない者達だよ」
ミスターKは、そう言うと優し気に微笑んで見せた。
自身の背後にいる、その血に濡れたレディに向かって。
「彼女は戦士じゃない。優しく、穏やかで、そして美しいレディさ。ワタシの守るべき人間達の1人だよ」
「その女は、戦士だ。事実、お前よりも強い。俺と渡り合うことが出来る程度には強者だ」
「強い、弱い……戦うことが出来るか、そうでないか。そんなことは関係ない」
自身の体に未だ食い込んだままであったその刀を。
既にリンが柄を手放していたそれを外す。刀身にて抑えられていた出血が勢いを増して傷口から溢れるが、それを意に介さずミスターKはその刀をリンへと手渡した。
「戦いたくないものが戦わなければならない。そんな世界は間違っている。だから、ワタシが戦うのさ。何の力もないワタシでも、誰かを守る盾にくらいは成れる。これでも体の頑丈さには自信があるからね」
男に、ヨグに向き直る。その表情からは先ほどの優し気な微笑みは消え失せ、真剣さを感じさせる男のそれへと変わっていた。
「……何故、彼女が戦いたくないと、そう思った。普段の彼女は戦いを好み、殺戮を好み、暴力を愛するような女だと、そう見えたはずだ。それに、彼女は何度も殺人を犯している。お前が彼女を守る理由など、ないはずだ」
「胸さ」
「……なんだと?」
籠手に包まれた右腕をミスターKはヨグに向ける。
「ワタシはこう見えて、今まで多くのレディ達の胸を揉んできていてね。その度に殴られたり蹴とばされたりしてきた……けれど、その経験はワタシの中である才能を開花させるに至ったのさ」
「…………」
「そう、ワタシは胸を揉めば、揉んだ相手の心の内を……そのレディの本質を感じることが出来るのだよ!」
「……………………」
ヨグは絶句した。
何度も、何度も繰り返されてきたこの世界ではあったが、彼にそのような能力があるなど知りもしなかった……その上、力の内容があまりにも馬鹿げていた。
「……胸を揉めば、相手の本質が分かる、だと?」
「あぁそうさ!」
内心、ヨグは頭を抱えた。
いくらなんでも、それはないだろう、と。
原作がそういうゲームだからと言って、コメディリリーフにそういう能力を与えるのか、と。
「だからね。ワタシはこのレディの味方なのさ。たとえ彼女がいくら人を殺していようと、傍から見て頭がおかしいように見えようと、ワタシは彼女の味方であり盾となるよ。なぜなら、ワタシがミスターKだからね!」
――――
刀を受け取ったリンは、それを腰に携えた鞘へと納刀すると目の前の意味の分からない言葉を繰り返す男に視線を送る。
胸を揉んだ、とか聞こえた気がしたが、はて。自分は彼にそのようなことをされた記憶はない。そもそも、彼の存在自体が記憶にない。自分と彼は初対面であるはずだ。
そして――味方であるとかなんとか言っているが、彼の存在は何の役にも立たないであろうことをリンは察していた。
望んで手に入れた才能ではないが、柳リンは一流の、超一流の戦士であり剣士である。故に、彼の実力が一目見ただけで理解できてしまった。
彼は、ミスターKと名乗ったその男はただの人間である。聖人ですらない、ただの人間だ。
自身の剣を受けながら――幕引きのための、全力ではない一撃であったとはいえ――未だ立ち続けていられる耐久力は凄まじいと言えるだろうが、それだけだ。
そも、彼は武器を手に持っていない。甲冑こそ身に纏っているものの、攻撃のための武装は彼は持っていない。
ただの人間。それも、武器すら持っていない。
彼の体に食い込んでいたリンの刀も、彼が自身へと返してしまっていた。
殺される。
自分と一緒に、彼も殺されてしまう。
「無理よ……アナタには勝てないわ……」
思わず、リンはそう口にしていた。
そして、その言葉を彼自身肯定する。
「そうかもしれないね」
「……アタシのことは、もういいの。今までいっぱい人を殺してきたわ。きっと、その報いなのよ……したくて、やったことじゃないけど、いっぱい殺しちゃったの……」
リンの脳裏には朧気ながらその記憶が残っていた。
戦場で狂乱状態となりアンデッド共々味方を斬り殺してきた。気に入らないことがあれば柳家の家人をも斬った。つい先日は、異父とはいえ妹さえ本気で殺そうとした。
「だから、だからね……アタシがここで死んじゃうのは、仕方がないことなのよ……アナタはここから離れて……? きっと、アナタは助かるから……」
襲撃者たる男は、ミスターKが現れてから攻撃をしてきていない。つまり、彼の狙いはあくまで自身であり、目の前でリンを庇う彼ではない。彼を害する意図は襲撃者には無いように思える。
だが、それもあくまで現状の話だ。男の視線は冷たく暗い。必要であれば、誰であろうと殺すことのできる者の視線だ。ミスターKがリンを庇い続けていたら、きっと男は自身と共に彼を殺すだろう。
「悪いけれど、その頼みは聞けないよ、レディ」
今逃げればきっと、男は彼を追わないはず。そう思っての、死への恐怖心と全身の痛みを堪えつつ絞り出した良心故の提案だった。
だがしかし、ミスターKはそれに否と返す。
「ワタシも死ぬことは怖い。痛いのだって嫌いさ。だけどね……ワタシはミスターKなんだ。英雄で、救世主で、勇者なんだよ」
「えっ……?」
「いいかい? 英雄、勇者ってのは強いから、戦えるから、勝てるから英雄、勇者なんじゃないんだ」
諭すように、そして慰めるように。
穏やかで優しい言葉を彼はリンへと投げかける。
「強いから、カッコいいから勇者なんじゃない。強くあろうと、カッコよくあろうとするから勇者なんだ。出来るか、出来ないかは関係ない。そうあろうとする者が勇者なんだと、そうワタシは思うよ」
だからね、と。
『偽勇者』と、そう呼ばれた彼はこう続けた。
「ワタシがミスターKである以上……勇者でありたいと、英雄でありたいと思っている以上、ワタシが君を助けずに逃げることなんてできないのさ」
――だって、レディを見捨てて逃げ去るような男は紳士的じゃないだろう?
「……無理よ。お願い、逃げて……?」
その言葉を聞いてなお、リンは彼に懇願した。
その言葉に、男は振り返らなかった。
どうしよう。
どうしたらいいのだろう。
リンは、彼が止まらないことを悟ってしまう。
自分の所為で、1人の命が犠牲になってしまう。
今更――今まで殺してきた者達の数を思えばそれこそ今更、たかが1人。しかし、常識的で良識的な、心優しく穏やかで争いを好まぬ本来の彼女には重すぎる1人の命だ。
リンは必死になって記憶を探った。
何か。何かこの状況を打破できるなにかはないか、と。
自分はいい。もう、自分の命は先ほど諦めた。
けれど、自分のために身を投げ出すような行為に及ぶ彼くらいは。
そう考え、懸命に記憶の海を、濁流まみれの荒波を掻き分け必死に解決策を探る。
戦いの記憶。日常の記憶。修練の日々。ナナシとの邂逅。薬を飲んだ直後の僅かな安定した記憶――
――そして、ミスターKから香る僅かな酒精から、その記憶が呼び起こされる。
無意識だった。
彼女が来ても、この状況は変わらないかもしれない。むしろ、彼女まで殺されてしまうかも。
そんなことを考える暇などなく、無意識の内にリンは口にしていた。
――その、共に入浴を楽しみ自身を友であると、そう呼んでくれた初めての者の名前を。
「……助けて、ルシ子」
小さな呟きだった。
誰にも聞こえない程の、極々小さな呟きだった。
それこそ、黒コートの男にも、目の前の甲冑の男にも聞こえぬ程の小さな呟き。
だが、その一言で辺り一帯の空気が変わる。
「――なにっ!? この気配はルシファーだと!?」
キョウの都に甲高い警報音が鳴り響く。高位のアンデッドの気配を感知した結界が、自動的にキョウの都を覆うように防護壁を展開する。先日の襲撃を受けて『巫女』が改良を施したそれが、作動する。
上級――最上級アンデッド特有の威圧感が、キョウを挟んで正反対の位置に存在する森林から押し寄せてきていた。
「事情が変わった――ルシファーがこちらへ向かっている。悪いが、殺させてもらうぞ。俺を存分に恨むがいい、ミスターK」
「知ってるかい……? レディを守る勇者ってのは、どんな英雄よりも強くてカッコいいんだ」
そして、その異様な空気感の中。
コートの男が甲冑の男へと拳を繰り出した。
――――
「――結界ですか。迂回する余裕はないと、ルシ子は判断します」
キョウの都を覆うように展開されたその防護壁を、ルシファーは強引に突き破る。
同行を訪ねた際に是と答えた彼――ナナシは沈黙している。ルシファーが先ほど黙らせた。飛行速度が速い、気配をもう少し抑えろと喧しかったことが理由である。
「結界突破。対アンデッドと想定される空域に侵入。出力、6パーセント減少。人類にしては強力な結界であると、ルシ子は称賛と同時に煩わしく思います」
キョウの都は人類にとって重要な拠点の1つだ。ヤマト国においては、それこそ最重要であると言っても良いかもしれない。
その上、先のアンデッドの襲撃を受けた直後だ。普通であれば襲撃の被害の補填等で様々な事柄が疎かになってしまうはずであったが、ある男の存在によって都は被害をまるで受けていなかった。故に、迅速なアンデッド対策が都に施されることとなった。
痛みと重さを全身に感じながら、沈黙したその少年を抱えてルシファーは飛ぶ。
真っすぐと、助けを求めて言葉を口にした友の元へと向かう。
位置と距離は、人化を解いた堕天使の瞳によって補足済みだ。
「推定、30秒で目標地点へと到達――生きていてください、リン」
入浴の際、そして直に魂を閲覧した際に、ルシファーは彼女の力量は把握していた。彼女は聖人、その中でもかなりの力量を持つとルシファーは判断していた。
そんな彼女が救いを求める相手だ。実力も、存在も計り知れない。
目標地点には、リンの他に小さな人間の魂が1つ。そして――
「――コープスウォーリアー……中位のゾンビ系統アンデッド。リンが、アナタがこのようなアンデッドを相手に苦戦するとはルシ子には思えません。異常個体、突然変異種、あるいは――」
目標地点まで、残り20秒。
その時間は、彼女が過ごしてきたどの20秒よりも長く、永く感じられた20秒だった。
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