第11話
「チクショウ、忌々シイクソ女メ……折角ノオレノ楽シミヲ邪魔スルノカ。ダガ、マァイイカ。コノ体ハ弱イ、シカシ死ヌコトハナイ。アノ女ガ死ヲ許ストハ思エン。イズレマタ、スグ現世ニ戻レルダロウ」
脳内でそんな声が聞こえた気がした。
「アァ、シカシ楽シカッタ。ヤハリ暴力ハ良イ。強者トノ戦イ等デハナク、弱者ヲイタブルコトノナント愉快ナコトカ」
しかし、その声は脳内に響いたものではなかった。
しゃがれた、低い男のその声は、俺のすぐ近くから聞こえてきた。
「ガハハ、精々足掻クガイイ。苦シムガイイ。紛イ物デアルオレタチノ想イナド知ラヌ愚カナ神ヨ。オマエノ想イガ叶ウコトナド無イ。クタバレ、クソッタレ」
俺の口がその言葉を吐いているのだと、そう気が付いたのと同時。靄がかかっていたかのように曇っていた意識が急速に覚醒する。
胸が熱い。痛い。
いや、胸だけではない。全身が灼けるようだ。
「本当に、何なのだ貴様は。一体何が起こっている」
その問いのような声に目の前を見やると、笠で顔を隠した法衣の男。
柳ラサダ。
「…………」
――俺は、意識を失っていたのか?
周囲を見やる。
まるで台風のような災害にあったのでは、と言わんばかりに墓所は荒れ果てていた。墓は壊され、地は抉られ、辺りにはかつてアンデッドであったと思われる者共の肉と骨が散乱していた。
己の胸部を見やる。
1本の日本刀――いや、この世界ではヤマト刀だったか。その大太刀が俺の心臓に突き刺さっていた。長い刃は胸を突き破り、地面にまで達している。
まるで昆虫標本に使われるピンのようだ、と。
何処か他人事のようにそう思ってしまった。
「ぅう……ぁぁぁああ……」
呻き声に背後を見ると、肩口から大量に出血したユイが倒れ伏していた。
「……何が起こったのかわっかんねぇ。けど、まだどうにかしなきゃならないってことだけは、分かったぜ」
アンデッドの肉体でありながらもやけに痛む胸の傷から、強引に体を捻ることで刀を外す。その動作で左胸が大きく裂け、肉や骨の欠片、大量の血飛沫が俺の周囲へとぶちまけられる。
……傷口から煙が上がっている。普段の刀傷と比べて熱感と痛みも酷いものだ。痛覚の鈍いアンデッドであるからこそ耐えられはするが……キツイな。これは、刀がアンデッドに効果的ってだけじゃない、この刀自体がアンデッドにとって有害な何かであるのか。
そういえば、柳リンを倒した時に手に入る武器にそんな感じのものがあったような覚えもある。
それがどうしてここにあるのか。
そんなことを考えている余裕は今の俺にはなかった。
己の血で濡れたその刀の柄を握り、地面から引き抜く。
何かしらの暴虐があったのであろう、俺達を取り巻くアンデッドはその数を減らしていた。しかし十数体ほどだろうか、未だ健在な個体の姿も見られる。
『――期待していますよっ、ワタシの特別なアンデッドさんっ!』
突然、頭の中でそんな声が聞こえた。
鈴の鳴るような、愛らしい女の声だ。
意識を失う直前に聞こえた響きと同じ声色。
神を名乗る……いや、設定上は事実としてアンデッドの神であるあの女の声だ。
「これは、主人公様の手助けだったって訳か……? 手荒い救援だな、おい」
周囲を見回すが、彼女の姿は何処にも見えない。
だが、声が聞こえたということは何処からか俺のことを見ているのだろう。
プレイヤーキャラなだけあって、他のゲームの無色透明な主人公と同じように、『アンデッド・キングダム』内でほとんどその人格に関しては描かれなかったメヴィアだ。彼女の行動原理は、動機はまるで分らない。
だが、状況から察するに彼女に助けられたのは間違いないだろう。
それにしては、ユイの負傷が気になる所だが。アンデッドに噛まれでもしたのだろうか? 随分と雑な手助けもあったものだ。
『――今のアナタは、以前より少し強くなっていますっ、この困難を乗り越えられるはずですよっ! さぁっ、カッコいい所を見せてくださいねっ!』
「……勝手言ってくれる神様もいたものだな。いや、日本における神ってのは元々制御できない自然の擬人化みたいなものだからか。神らしいっちゃ神らしいのか」
彼女の言葉通り、気を失う前と比べて俺の体は少しだけ強くなっているみたいだった。
いや、強くなっているというよりも、成長した、というべきだろうか。
かつて棒切れのようであった骨ばった四肢には、今は少しだけ肉がついている。上腕に触れてみると、柔らかくも強靭な筋肉の感触があった。心なしか、背丈も少しだけ伸びているような気もしないでもない。
「……戻りおった。以前の少年の姿に。ハーフアンデッドとは何なのだ。貴様は何者なのだ。拙には分からぬ」
ラサダは俺に視線を注ぎつつも狼狽えていた。
その様子には、何処か怯えが混じっているようにも見える。
俺が意識を失っている間、本当に何があったんだ。あの女、何をしたんだよ。
内心メヴィアにそう問いつつも、俺は握りしめた刀の切っ先を彼へと向けた。
――境遇を思えば、ってか、ゲーム内でもアンデッド側の視点だったからな。彼の気持ちも分からないでもないんだが。それでも、人類を滅ぼさないためにも柳ユイの生存は必要なんだよ。
哀れみの感情こそ抱くが、相容れない。
彼はアンデッドで、俺もアンデッド。
だが俺の中身は未だ、何処までも人間なのだから。
周囲のゾンビやグールの数は数十体。そして、ラサダはその性質故に、柳家の縁者ではない俺に対して有効な攻撃手段を持たない。幻術は人間の精神に働きかける魔術だ。俺達アンデッドへはほとんど通用しない。
つまり、実質相手取るのはアンデッド共だけだな。
……それでもムリゲーくさいんだけどなぁっ! チクショウ!
最下級に近いっていっても十数対1人だぞ!? それに俺、刀なんて扱ったことねえし! 筋力が増したのかこんだけ長い大太刀でも握るだけならなんとかなるけどよ、これ振り回して上手く立ち回るなんて無理があるんだが!?
それでも何とかしなくちゃならないんだよなぁ、まったく!
裂けた体を髪の毛を使っていつものように縫合しつつ、克己心を振り絞るように俺は叫ぶ。なるべく偽悪的に、無理矢理気分を上げるべく声を張り上げた。
「かかってこいよ死体共がっ! 腐ってもこちとらリーダーユニットの体なんだぜ、お前等モブゾンビとは体の出来が違うんだ! 別に腐ってねえけどよ!」
「……人格も、先ほどの少年のモノに戻っているのか」
「ゴチャゴチャうるせぇっ! 黙ってさっさとかかってこいっ、全員ぶっ殺してやるっ!」
痛みと興奮のせいで溢れた脳内麻薬が、少しだけ俺をおかしくしていたのか。
何言ってんだ俺は、と。頭の中の冷静な部分でそう思いながら、俺は刀を振りかぶってアンデッドの群れへと飛び込んだ。
――――
「……どう思いますか?」
「どうってそりゃあ……死ぬんじゃねぇか?」
「ですよね。声援こそかけてみましたが十中八九ダメでしょうね。ああですが、いいものです、これ。あんなにボロボロになって、必死に戦っていますよ。可愛らしいと思いませんか?」
「スゲェ感性してんのな相変わらず。アレを可愛いと感じんのはサドかサイコパスくらいだろ」
「え、普通に可愛くないですか? ほら、技術も何もなく刀を振り回す様なんてとても可愛らしいです」
「悪趣味なこって。いいのかよ、お気に入りの男なんだろ? あのままじゃ本当に死んじまうぞ」
「その時はその時ですが、良くはありませんね」
地上から遥かに高い上空にて、彼らは墓所の戦いを眺めながらもそんなことを言い合っていた。
気軽に、気楽に。さながらスポーツ観戦でもしているが如く。
少年が文字通り命懸けで動く様を、幸せそうな表情でメヴィアは見ていた。
それをヴァンパイアの青年は呆れた眼差しで見やる。
ダメだこいつは。
そう言わんばかりの表情とため息だったが、肝心のメヴィアは一切その態度を改めない。普段の無表情も心なしか明るく、僅かばかり声も高い。まさにウキウキ気分だ。彼と直で接したあの時ほどではないのだが、確かに彼女の気分は高揚していた。
「それに、全裸で血濡れってとってもセクシーだとは思いませんか? ワタシの眼には、今の彼はとても魅力的に映るのですけれど」
「セクシー……いや、分からんな。そも男の魅力なんざ興味もない。血も濁ってマズそうだしよ」
「アナタ達ヴァンパイアは血液のこととなると味の話ばかりです。美しさは感じないのですか? 一切?」
「それこそ知るかよ」
「センスのない男ですね。それでは女性からモテませんよ?」
しかし、はて。
いい塩梅であったと思ったのだが、どうにも自分はまた加減を少し間違えたらしい。
メヴィアは首を傾げた。
想定よりも彼の力が弱かったのか。はたまた、投げつけた妖刀の力が強すぎたのか。あるいは想定外の他の要因か。いずれにしても、どうも予想以上に愛しの彼が押されている。
苦難は良い。悲劇は良い。きっとそれを彼は望んでいるのだから。
だが、物事には限度や程度というものがあることをメヴィアは知っていた。
「ここで死なれてしまうのは少々困るのですよね。あの妹の方も、原作程ではなきにしろ酷い目に遭いそうですし」
「少々程度で済むのな……なぁ。その偶に出る原作だとか本来の歴史だとか、そういうのは一体何なんだよ。いい加減教えてくれよな」
「アナタが知る必要のないことです。ですので、ワタシが話したくなったのならばその時に」
「必要となったら、とかじゃねぇのな」
「……? ワタシが話したい時、がその情報が必要な時でしょう?」
「マジかよ」
相変わらず独善的で自己中心的なカミサマだ。
青年はそう独り言ちたが今更だ。彼女と行動を共にした年月は長い。永い。それこそ数百年前、彼女が本当にグールであった時からの付き合いなのだ。
自分本位に動く彼女の思考回路など、むしろ平常運転。
正直慣れつつある自分がいることもまた事実であった。
「まぁ、この程度は誤差の範囲でしょう。構いません。そのための保険はいくつも用意しています。むしろ、その手間が無駄にならずありがたいくらいですよね」
神は無駄に前向きであった。
自身の最愛の人物の命の危機を、それを招いた不測の事態を誤差で済ませる女はそうはいないだろう。
さらに、今回の件はそもそも彼女が妖刀を投げつけたことが原因だ。もう少しだけでもアンデッド側の彼を自由にしておけば、彼は今ほどの苦労をせずに済んだであろうに。
青年はそう指摘してみたのだが、
「アレが彼を押しやって外に出ているという事実そのものが気に入りません。ワタシの行動は間違っていませんでした。なぜなら、ワタシがそうすべきと思ったのです。これは神の意志、神の言葉ですよ?」
「それがあの男の不利に働くとしても、かよ」
「アナタは彼を知らぬからそう言うのです。この程度の苦難、悲劇とはとても呼べません。ワタシとしては愛らしい彼を眺めていられるので楽しく思えますが……きっと、彼は満足しないでしょうね」
「……ホントかよ」
暖簾に腕押し、糠に釘。
メヴィアは彼女の中の正しさしか信じていなかった。自身だけが絶対的な正しさ、過ちさえも己がものであれば許容する。
故に、青年の指摘は謎の感情論で殴り飛ばされてしまった。
「では、その保険を」
「……またかよ」
少しばかりえずきつつ、メヴィアは口から何かを吐き出した。
青年はまた嫌そうな顔になった。とても嫌そうだった。こればかりは、付き合いが長くとも慣れそうにない。そもそも、何故彼女は自身の胃袋にものを入れたがるのか、はたしてどれだけのものがそこに仕舞われているのか。
考えて、別に知りたくもないことだなと青年の表情はさらに渋顔を浮かべる羽目になった。
「……ふぅ。流石は仕立ての良い布ですね、普段から胃液を抑えているつもりですが、溶け出していなくて安心しました」
「なんだよ、それ」
彼女が手に握るのは、彼女自身の体液と思わしき液体に塗れた巾着であった。手のひらに収まるほど小さなそれは、果たしてなるほど、彼女の言の通りに仕立てが良いのか汚れてもなお上品な一品であった。
胃液と唾液に塗れたそれは普通に汚い。青年はそう思ったが。
「知っていますか? 幻術とは、相手の精神状態に合わせて魔力を操作して行う魔術です。高等な技術を持った術者であれば、対象に様々な、それこそ現実と錯覚するほどの幻覚を見せることが出来るみたいですね。視覚だけではありません、嗅覚、味覚、聴覚、触覚と、ありとあらゆる幻の感覚を操ることが出来る、と」
「その程度知ってるさ。なんだよ突然」
「ここで重要なのが、幻術は相手の精神状態に合わせる必要があるという点です。たとえ話ですが、丸なら丸の、三角なら三角の、星型なら星形の精神に、それぞれチューニングして術式を組まなくてはならないのです」
巾着の口を緩め、メヴィアは匂いを嗅ぐ。
「おぉう、これは中々強烈な。アンデッドであるワタシですらここまで感じる臭気とは。これを菓子程度の感覚で貪るあの姉の方はやはり頭がおかしいのでは」
「……だから、それは何だっていうんだよ」
「幻術対策のとっておき、ですよ。あぁ、ある意味現実対策、でもあるのですかね?」
デーモンはゴースト系に属するアンデッドである。故に、霊体化と呼ばれる状態へと移行することも出来る。これは文字通り、物質的な肉体をエレメント体へと変化させることだ。
どういう原理であるのか、その際身に着けていたもの等まで霊体化は影響する。
その霊体化を行うと、気配を消しつつメヴィアは地上へと降り立った。
歩み寄るは、妖刀を必死に振るいアンデッドと戦う彼の元――ではなく。
その後方、守られるような位置にて呻く1人の少女の元へ。
「……もしかして、ワタシは嫉妬深い質なのでしょうか。こうして彼に守られているアナタが、今はどうにも憎らしくて仕方ないのですよ。おかしな話ですよね、理不尽な話です。なにせ、この状況を生み出したのは他ならぬワタシ自身なのですから」
語り掛けるように呟くと、僅かばかり霊体化を解く。
「デーモンは強力なアンデッドです。聞くところによると、強すぎる女性は男性から可愛らしいと思ってもらえなくなるそうですね。それは困ります。この姿を彼に見られるのは少しばかり不都合です。ですので、手早く済ませてしまいましょうか」
目分量で、適当に巾着の中からそれをつかみ取る。
はて、確か体重比によって投与すべき量が異なるのであったか。まぁ、死ななければそれでよいか。
雑につかみ取ったその量は、明らかに多すぎた。
それは彼女の姉ですら、大柄な柳リンですら適量は1回あたりたったの一粒なのだ。当たり前のようにオーバードーズしている彼女が異常なだけであり、本来の用途容量では一粒で十分な代物なのだ。
「気に食わないことでしょうが、飲み干してください。物理的にも、感情的にも。ええ、気に入らないでしょうね。なにせこれはアナタの姉から借りてきたものですから。そんなものに頼りたくはありませんよね? 不愉快ですよね? ですが我慢してくださいね?」
虚ろな視線を宙へと向ける柳ユイ。彼女の首を掴み強引に上を向かせると、優し気な口調で、しかしメヴィアは苛立ちを隠さずに言い切った。
「ワタシも今、不機嫌なのです。彼に守られるアナタが不愉快でなりません。ですから、アナタもその不満を耐えなさい。ワタシも耐えているのですから、アナタも耐えるべきです」
そして、1掴み分のその丸薬を彼女の口腔へとぶち込んだ。
「借りた代償は、色んな意味でアナタが返しておいてくださいね。あの妖刀も、この丸薬に関しても」
突然喉の奥へと侵入してきた異物に対し反射的にユイはそれを吐き出そうとした。だが、それをメヴィアは許さない。吐き出させまいと口元に両手を押しやり頭を抑えつけた。
やがてゴクリ、と。喉の嚥下の動きを確認すると、ようやく彼女はユイを解放した。
「幻術への一番の対抗策。それは、術者が波長を合わせられないほどに精神を混濁させることです。簡単ですね? お薬なんて、大抵の場合飲まないに越したことはないものみたいですけれど。ですが代償を支払うのはワタシではありません。別にどうだっていいことですね」
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