第10話

 人間にしては鋭く伸びた犬歯が、その少女の薄く柔らかな皮膚を切り裂く。

 食らいついたのは肩口。聖人である少女の肉体は頑丈であった。しかしそれ以上の顎力によって、僧帽筋にまで達した牙はその筋繊維を容易く引き千切る。


「――――っ!?」


 痛みからか、声にならない悲鳴がユイの口から漏れ出した。しかし、その声を気にする者などこの場には誰もいない。


 少女に食らいついた少年の口内に溢れたのは、生臭い鉄の匂いと人間の肉の味だ。柔らかく上質な、文字通りアンデッド垂涎の極上の血肉。

 自身の中でかつて満たされたことのなかった欲望が満たされていく。


 ほとんど咀嚼もすることなく飲み込む。大きな固形物が食道を押し広げながら胃の底へと落ちていく感覚がたまらなく甘美であった。


 自身を内側から食い破らんとするその快楽に、彼は抗うことが出来ず声を上げる。


「あぁ……ぁあぁぁっぁああぁっ!」


「な、なんだというのだ……」


 ゾンビやグールで構成されたアンデッドそ集団が近づいてくる最中行われたその奇行に、思わずラサダは狼狽える。

 そして、気が付いた。彼の魔力量が大きく膨れ上がっていくことに。


「……待て」


 警戒心からアンデッド達の動きを止めさせ、奇行に走った少年の様子を窺う。


「アガッ、ガァアアァッ!?」


 突如叫んだかと思うと、少年は蹲りその身を掻き抱く。痛みに堪えるように呻き声を漏らす。その度に、彼の中の魔力量が大きく上昇していく。


「……なんという重圧なのだ」


 そして同時に、プレッシャーともいうべき得体のしれない気配をもラサダは彼から感じていた。

 アンデッドとしての格の違いとでもいうのだろうか。強さではない。そのような物理的な基準ではない、もっと名状しがたき何かの差を感じていた。


「ゴアアァァアッ!?」


 一際大きな叫び声を上げ、少年は仰向けに地面へと倒れこんだ。


 脈動していた。

 その胸部が、奇妙に脈動していた。


 孵化するように。羽化するように。脱皮するように。

 寄生虫が宿主から飛び立つべく、その体を破るが如く。


 脈動は次第に大きくなっていく。

 彼の胸骨や肋骨をへし折り、胸筋や肋間筋を裂き、皮下脂肪を破壊しながら、その脈動は大きくなっていく。


「なんだというのだ、あのアンデッドは……拙は知らぬ……」


 そして、脈動は肉体の耐久限界値を超えた。


 肉が裂け、皮膚が裂け、少年の胸部を突き破り、そのアンデッドは現れた。


「――ァア、久方ブリノ現世カ」


 身の丈2メートルはあろうかという全裸の大男であった。全身の皮膚は捲れ上がり肉は爛れ、所々は骨が見え隠れする奇妙な大男だ。

 全身を腐った筋肉で覆い、長い黒髪はベッタリとした血潮に塗れ、その体からはアンデッドを基準としてなお酷いと評すべき異臭を放っている。


 『アンデッド・キングダム』におけるハーフアンデッドという種族は、ステータスだけ見るならば決して強力なアンデッドではない。

 特徴として、人間性ともいうべき理性が比較的高く、知性も高く、そしてアンデッドであると人間には感知されない。

 それだけの、特殊なだけのアンデッドであった。


 そのような特殊なユニット性能を持つが故に、活用すべくは戦場外の人間社会。要人の暗殺や補給線の破壊等の内部工作要因として人間社会へと送り込むことを想定されたユニットであった。


「ガァッ!」


 少年の体から謎の大男が現れたことに動揺したためか、ラサダの制御を離れたゾンビの1体が彼へと飛び掛かった。


「邪魔ダ」


 その1体を、何の感慨もなく大男は一瞥し腕で払いのけた。

 それだけだった。動作はそれだけであったはずだ。


 その1体はたかがゾンビである。最下級のアンデッドである。しかし、ゾンビといえどもそれは数十キロにも及ぶ肉の塊だ。それだけの重量の肉塊なのだ。


 大男の腕は、その払う動作だけでそのゾンビを粉砕せしめた。

 かつてゾンビであった肉塊が墓所へと飛び散る。


「感慨ニ浸ル余裕モ無イノカ」


 金属を擦り合わせるが如く耳障りな低い声で呟きながら、男はその肉片を一瞥すると周囲を見回す。

 彼の周りには、依然としてゾンビやグール、アンデッド達が犇めいていた。


 大男はつまらなさ気にそれらを眺めた後に、足元にて呻く少女へと目を向ける。


「ナルホド、ネームドノ人類ユニットカ。コノ肉ヲ食ラッタノカ」


 そう吐き捨てると、彼は正面に立つ笠の男、ラサダへと視線を向けた。


「オマエガ遊ビ相手カ」


「……何者だ、貴様。貴様のようなアンデッドなど、拙は聞いたことすらない」


「種族ハ、ハーフアンデッド。名前ハ、ナナシ」


「……ハーフアンデッド、だと? 知らぬ、拙は知らぬぞ」


「当然ダ。オレハ、製作陣トヤラガ救済措置トシテ設定シタ、所謂隠シキャラクターダカラナ。人類ノ戦力ヲ内部カラ低下サセ、ゲーム難度ヲ下ゲル。ソノタメニ造ラレタ種族ガオレタチハーフアンデッドダ」


「どういう意味であるか」


「説明シタトコロデ、オマエニハ理解出来ナイ。ソレヨリ、早クシロ。遊ブノダロウ?」


 ハーフアンデッドには、ゲーム内では語られなかった隠された特徴があった。裏設定、というやつだ。

 それが、完全なるアンデッド化。


 ハーフアンデッドは普段は不死性を持つことを除けばごく普通の人間とほとんど変わらない性能しか持たない。個体によってはそれ以下の能力値の者もいただろう。

 それでは、どのようにして破壊工作を行うのか。

 それがこのアンデッド化である。


 トリガーとなるのは人間の捕食。

 ハーフアンデッドは生きることそのものに際して人肉食を必要としない。食人欲求こそあれ、高い知性と人間性によって普段の彼らが食人行為を行うことは稀である。

 しかし、プレイヤーが要人の暗殺等の破壊工作を仕掛ける際、コマンドが選択された後にハーフアンデッド達は人類として対象に接近、あるいは補給線等の現場へと赴いた後に食人を行う。


 完全なるアンデッド化したハーフアンデッドも、人間形態と比べると力が増してはいるがそこまで強力なアンデッドではない。しかし、彼らがアンデッド化する状況を思えばその程度の能力であっても十分強力だった。

 なぜなら、アンデッドが存在しないと想定される場所でこそ彼らは暴れまわるのだから。


 奇襲というものは戦力差が大きく開いていた場合においても有効に機能する。なにせこちらが戦闘準備を整えた状態で、相手方は襲撃すら想定していない状況だ。ゲーム内においての彼らは乱数次第ではあるものの、時にはネームドユニットすら殺してみせるほど強力だった。

 仮に暗殺や補給路の破壊等を失敗したとしても、ハーフアンデッド達は置き土産を残していく。疑念だ。襲撃に遭った対象は、自分達の内部にアンデッドが潜んでいる可能性を潜在的に抱え続けることとなる。

 疑心暗鬼に陥った人類側は、様々な意味で迂闊な行動が取れなくなるのだ。


 これらは『アンデッド・キングダム』内では乱数による任務の達成の可否、及びその後の人類側へのデバフとしてしか描かれていなかったのだが。


「遊ぶ、だと?」


「コノ状態ニナルト、軽イ興奮状態ニナルンダ。折角ノ現世ダ、次ガ何時ニナルノカモ知レヌ。小娘1人ヲ殺スヨリモ、オマエラヲ殺ス方ガ楽シソウダ。サァ、遊ボウ」


 幻術によるショックと肩の肉を食い破られたことによる痛みで蹲り呻くユイを見やりつつ、大男はそう誘う。


「……やれ」


 ラサダは目の前の相手が会話の成り立たぬ存在であると把握し、そう命令を下した。


 ゾンビが、グールが、数多もの低級アンデッド達が大男に対して群がる。


「ガハハ」


 軽い笑い声と共に、自身へと迫るアンデッドを彼は迎え撃つ。


「――加減を間違えましたか」


 ――そんな彼らを上空から眺める人影が、2つ。


「へぇ、カミサマでも間違うことがあるんだな」


 ヴァンパイアの青年と、メヴィアである。


「ええ、ワタシも間違えてばかりですよ。この世に完全なものなどないのです。ワタシのような神でさえ、そうなのです。そして、不完全であるからこそ、完全を目指す様が尊いのです」


「珍しくカミサマらしいコトを言うじゃねぇか」


「……それは普段のワタシが神らしくない、という皮肉でしょうか。いえ、別に構いませんが」


 軽口を叩き合いながら、2人は地上で行われる戦闘を眺める。


 ナナシの体から現れた謎の大男――彼もナナシと名乗っていたが――が、圧倒的多数の下級アンデッドを相手に大立ち回りを繰り広げていた。


 殴る、蹴る、食い破る。己が肉体を用いて行われる可能な限りの暴力をもって、数多ものゾンビやグールをぶちのめしていた。

 その姿は実に楽し気だ。


「……許せませんね」


「あぁ? 何がだよ、カミサマ」


「彼の行動全てが、ですよ。アレでは台無し所ではありません」


 無表情で平坦な口調ではあった。しかし付き合いの長い青年には分かる。その内心が苛立ちに満ちていることを彼は察していた。


「あぁ、本当に加減を間違えました。食べさせ過ぎました。以前の接触の際、食らうことをかなり拒絶していましたからね、強めに暗示をかけ過ぎてしまいました。あんなに沢山食べたらこうもなるでしょう。血を少し吸う程度でも十分だったというのに」


 アンデッドは、人間を食らえばより強力となる。

 それはこの世界において絶対不変の真理である。なにせ、アンデッドが人類を滅ぼすべく作られた箱庭の世界なのだ。


 そして食らう人間が強ければ強いほど、より強く強靭になっていく。


 ゲームだ。『アンデッド・キングダム』はゲームなのだ。

 RPGゲームでもそうだろう。一部の効率の良いものを除けば、より強力な敵を倒すと多くの経験値が手に入り、レベルが上がり強くなっていく。

 それと同じことだ。


 人類のネームドキャラクター、それも柳家のボスとして設定されている柳ユイ。ゲーム開始時点と比べれば幼くその力も未成熟。とはいえそのような大物の血肉だ。

 それを食らえば、どれだけアンデッドとして強くなるのか。


 本来の歴史において、下級アンデッドを用いて凌辱し間接的にユイの力を奪ったラサダでさえかなりの強化を果たしたのだ。それを、種族柄そこまで強力な力を持たぬとはいえ、リーダーユニットとしての最低限のステータスを持つ彼が直接摂取したとなれば――


「これでは悲劇の舞台には相応しくありません」


 そうだ、相応しくない。

 圧倒的暴力による無双など、彼女の神は望んでいない。

 彼が望んでいるのはこんな陳腐な寸劇などではない。濃厚で濃密な悲劇のはずなのだ。


「でもよ、今のアイツはメチャクチャ楽しそうじゃねえか? それはこの暴れっぷりがアイツの望んでるコトって訳じゃねえのかよ」


「はぁ……いえ、すみません。アナタには理解できずとも当然のことですね。今のため息は失礼でした」


「どういうことだよ」


「アレはワタシが想う彼ではありません……本来のナナシというアンデッドです」


「……すまんが違いが分からねぇ。説明してくれねえか?」


「説明しても理解できるとは思えませんが……まあいいでしょう」


 メヴィアは舌打ちを1つ、それだけ鳴らすと語りだした。


「元々、ナナシという名のハーフアンデッドが存在していました。そこに、彼が入ってきたのです。ナナシというアンデッドはその種族柄、2つの人格を持つアンデッドでした。人類の時と、アンデッドの時と……人格というと大げさすぎますね。機嫌が良い時と悪い時、空腹な時と満腹な時では誰しも思考回路、判断基準が多少異なるでしょう? それの少し激しい形だと思ってください」


「へぇ……妙なアンデッドもいたもんだな」


「ヴァンパイアも十分奇妙な種族ですよ、能力は高いですが弱点も多い、実に扱いにくいユニットです」


「なんだ、嫌味か?」


「素直な所感です。話を戻しましょうか。彼が入ってきたのは、その人類の人格、とも呼ぶべき側でした。そして、今のアレはそうではない側、つまり元のアンデッドとしてのナナシの人格が現れていたのです」


「彼が入ってきた、ってのはどういうことだよ。そこがまず分からねぇ」


 メヴィアは青年の疑問を無視した。


「食べさせたのが良くなかったのでしょうね、食らいつくさなければ平気と判断しましたが……あの程度の肉片でも切り替わりのトリガー足り得るのですか。勉強不足でした、ワタシのミスですね。あぁ、それにしても苛立たしい」


「……さっきからカミサマは何に苛立ってんだよ。その悲劇がどうたらってやつか?」


「違います。悲劇はいくらでも用意できます。1度のミス程度、ワタシは気にしません」


「多少は気にしろよ、ミスってんだから」


「この感情は、あのナナシ……アンデッドとしてのナナシに対してのものです。あぁっ、本っ当に苛立たしいっ! なんで表に現れているんですかあの男はっ! 粗野で、単純で、暴力的なあの男がっ! そもそも彼を内に抱えていること自体が腹立たしいっ! 本当ならば、ワタシがこの身に彼を受け入れてあげたかったというのにっ!」


 ブワリ、とメヴィアから魔力の波動が放たれ空気を揺らした。

 彼女の激情に合わせ、彼女が発する魔力の濃度が上がっていく。


 それと同時に、彼女自身の肉体にも変化があった。

 グール特有の赤黒い肉体が、青紫を帯びた黒い皮膚に包まれていく。背中からはコウモリを思わせる飛膜状の翼が、頭部からはヤギのように捻じれた角が伸びていく。


 変化は数秒の出来事だった。


「おう、どれだけ苛立ってんだよ。素が出ているぞ」


「いいのです、どうせ彼に見られることはないのですから」


 メヴィアの変化したそれは、『アンデッド・キングダム』においてデーモンと呼ばれる種族のアンデッドであった。

 ゴースト系の上位アンデッドである。ゲーム内ではゾンビ系のグールからでは絶対に進化することが出来ない種族のアンデッドであった。


「それに、この姿も素ではありませんよ」


「……マジかよ、まだ進化するのかカミサマ」


「これでも神ですから」


 ふぅ、とメヴィアはため息を吐いた。進化とそれに伴う魔力波によって多少は気が紛れた。人間に例えるなら、それは大声で叫びながら枕を殴るような行為であった。


「しかし困りました。これでは簡単にこの状況を突破されてしまいます」


「別にそれでいいじゃねえか。さっきカミサマ自身も言ってただろうが、悲劇はいくらでも用意できる、1度のミスは気にしないってよ」


「撤回します。折角準備したのです、台無しにされるのは不服ですから」


「カミサマのくせに1言が軽いなおい。それじゃあ信者は振り回されっぱなしだぜ」


「知ったことではありませんね、ワタシは神なので」


「どんな論理だ」


 だが、悩ましいのは事実だ。

 柳家に赴き、様々な伏線を張り、準備を整えた舞台なのだ。

 この舞台そのものもまた、今後の伏線の1つだった。その筋道が潰えてしまうのは、やはり少しばかり惜しい気がする。

 いや、普通に惜しい。滅茶苦茶惜しい。勿体ない。


「では、これでも使ってみましょうかね。こういった意図で持ち出したものではなかったのですが」


 おえっ、と。いつものように口から何かを吐き出すメヴィア。それを見た青年はこれまたいつものように嫌そうな表情を浮かべる。


「……きったねえ」


「神の唾液と胃液ですよ、神聖なそれに汚いとはなんですか」


「カミサマのモノだっていっても汚ねえモンは汚ねえよ」


 吐き出されたのは、鞘に収まった一本の刀であった。この世界で言う所のヤマト刀、メヴィアの心酔する彼の前世における日本刀のようなものだ。


「んで、なんだよその刀は」


「柳家の姉の方から借りたものです。銘は忘れましたが、なんでもアンデッドの力を封じる効果のある妖刀だとか。結構な名刀だそうですよ」


「借りてきたって、窃盗じゃねえかよ」


「盗んでいません。後で返すので、これは借りただけなのです。神の言葉ですよ、疑うのですか」


「軽く撤回されるのが神の言葉だろうが。少なくともカミサマのはそうだろ」


「……失礼な男ですね。まあいいです。その程度の無礼を許せない程狭量な神ではありませんので、ワタシは」


 言い合いつつも、メヴィアはその刀を鞘から抜き放つ。

 赤く煌めく妖しい魅力を秘めた、美しい刀であった。


 その刀身をおもむろに、彼女は自分の腕へと撫でるように滑らせた。


「……痛いです。ちょっと涙が出そうなほどです」


「そりゃそうだろ。何やってんだカミサマ」


「いえ、どの程度強力なものか確認せねばと思いまして。アナタで試しても良かったのですが、この刀の力次第ではアナタが死んでしまうかもしれない、と思ったもので。話し相手を失うのは困ります。寂しくなりますから」


「今オレは殺されかけてたのかよ。こわ」


 ふむ、とメヴィアは頷いてその刀を改めて握りしめた。


「この程度であれば、まあきっと平気でしょう」


「適当だな」


「今更です。それに、想定内よりも異常事態のほうが楽しいのが人生ですから」


「人生って。オレらはアンデッドだろうが」


 妖刀を握りしめた右腕を軽く持ち上げた。


「えいっ」


 そして、刃が標的へと突き刺さるように狙いを定め、メヴィアはその妖刀を投げおろした。

 真っすぐと空気を切り裂きながら、その妖刀は一直線に進む。


 そして、


「――ガァッ!?」


 下級アンデッドと戯れていたナナシの心臓を貫いた。

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