第8話

 アンデッドを相手にするとして、武器に刀剣を選択するのは一見不合理であるように思える。


 戦闘というのは当然ながら、相手から距離を置いて一方的に攻撃出来る方が有利だ。拳より棒切れや刀剣。それらよりもリーチの長い槍や薙刀、さらには弓や火器のような飛び道具を使った方が安全かつ合理的に戦うことが出来るだろう。文明が進んでくれば、艦砲や艦載機の機銃、ミサイル等を用いるのが適切かもしれない。


 普通の人間を相手にする時でさえそうなのだ。

 それに加えてアンデッドは、汚染、感染、浸食といった物理的接触をトリガーとする能力を持っていることも少なくない。なるべく近づかずに戦いたいと誰しもが考えるだろう。事実アンデッド発生前の予防的措置として、火薬や刃物、魔術等を組み合わせた罠をアンデッド発生の高リスク帯へと設置し、アンデッドが現れた際に彼らと接触することなく処理する対策が取られている地域もある。


 まあ、それはあくまで高リスク帯でのみ行われる予防措置だ。維持管理に費用が掛かる上、そもそもアンデッドは何処にでも発生する。その全ての範囲を罠でカバーするには無理があるのが現実だ。人手も資源も無限ではない。


 さて、ではなぜそれでもアンデッドと戦う者達は刀剣を用いる場合もあるのか?

 答えは簡単、刀剣がアンデッドに対してダメージを与える上で最も有効な武器だからである。


 どういう訳か、『アンデッド・キングダム』のゲーム内で刀剣類はアンデッドに対する高いダメージ倍率が設定されていた。それも、槍や飛び道具、魔術と比べても数段高い設定だ。魔剣や妖刀の類であれば、本来物理攻撃の効かないゴーストやレイスといったアンデッドに有効なものまで存在する。

 それ故に、人類側のネームドキャラクターは刀剣を武器にしているキャラクターが多かった。


 作中では、刀剣がアンデッドに何故効果的なのかは結局明かされなかった。謎のままだ。

 だが、実際のところそれらの武器が彼らに有効である理由なんてきっと大したことなくて、製作陣に刀剣オタクがいたのではないか、というのが俺の推論だ。刀剣が好きだから、そういったものを扱うキャラが好きだから優遇した、という訳。所詮ゲームだし。俺自身そういうのとても好きだから気持ちは分かる。めっちゃ分かる。


 そういう訳で、アンデッドと戦う者達というのはたとえそれがゲームとして設定されたものだからという背景があったとしても、基本的に合理的な行動を好む。

 論理的で合理的な、正解に最も近い選択肢というのを好む。


 ……一部の頭のおかしな例外を除いて。


「臭い! 汚い! なんかもう、生理的に無理!」


 俺に向かって先ほどから罵倒を飛ばす彼女の取った選択は、どう考えても合理的とは程遠いものだった。


……なんでコイツ、俺をおともに連れてこんな所まで来ているんだよ。


 夕暮れに照らされた広大な墓地――前世と異なりアンデッドが存在するこの世界では、その発生を管理しやすいように死体はなるべく一ヵ所へと纏められる傾向にある。そのため墓地は自然と大きく広いものになりやすい――を、俺はどういう訳か主人である柳リンの異父妹、柳ユイと共に散策していた。


 俺の手足は鎖で拘束されて自由が利かなくなっている。喉元につけられた首輪からも鎖は伸びており、その先端はユイが握っていた。

 さながら犬の散歩のようだ。二足歩行だけど。


 周囲には俺達以外の人影は一切ない。世話役の者達は墓地の外で駐められている馬車の元で待機させられ、戦奴はそもそも俺以外連れられていない。

 完全な2人っきりだ。


 ゲームで何度も見てきた美少女キャラと、場所が墓地ではあるけれど2人っきりである。字面だけであれば、それこそ夢のような展開だ。彼女がこちらに向けてくる罵倒の言葉も嫌悪の表情も、そういうキャラクターであると理解している故に特段不快であるとは感じない。


 同時にそんな嬉しくもないのだけれど。

 原作の彼女に対する特殊勝利条件故、この墓地という状況が実に不穏である。


 尤も、あの勝利イベントはリンが死亡していることも発生条件だったはずだ、それに対する不安は感じなくても良い……はずだ。


「私の他の戦奴達もそうだけど、どうして戦奴ってこうも不快なのっ!?」


 流石は良いところのお嬢さんだ。ユイは戦奴としては比較的身綺麗な我が身が気に入らないらしい。

 不平不満を口にしながら鎖の許す限界距離まで俺から離れる彼女は、小柄な体格もあってただの女児のようにしか見えなかった。


 その内面がどのような色を描いているのかは知れたものではないのだけれど。


 柳ユイの精神性はよく分からない。

 それが俺の正直な所感であった。


 勿論腹にドス黒い何かを抱えているのだろうな、という程度であれば俺も理解している。しかし、その詳しい内容がさっぱり分からん。

 原作ゲームではいくらネームドキャラであるとはいえ所詮1人の敵キャラに過ぎなかった彼女だ。その内面はあまり描かれていなかった。そして今世においても今まで俺は彼女と関わる機会なんぞほとんどなかったのだ。

 印象に残っていることと言えば、やっぱ姉に対する異様な執念と……AIがバカだったのか、戦闘時に通常攻撃ばかりで特技や魔術をあんまり使わなかったことくらいか?


 ぶっちゃけ、彼女のことをあまり知らないのだ。よく分からなくて当然だった。


「そろそろ、なんで俺がこんな所まで連れてこられたのか教えてください」


「……やっぱり、普通に話せるんだね。薬の影響がほとんどないのかな」


 ユイにそう尋ねると、呟いた彼女は心底嫌そうな顔をしながらこちらへと近寄ってきた。

 おおう、美形は嫌な顔を浮かべていても可愛いな。


 顔が良いってのは本当にズルい。

 俺は面食いなのか、どうも顔が良い女が相手だと大抵のことを許せてしまうんだよな。


「くっさいなぁ、もうっ。結構可愛いかもって思ってたのに幻滅だよっ、まったく。なんていうか、可愛い動物に近づいたらメチャクチャ獣臭がしてうわーっ、ってなった、みたいな? そんな気分だよ」


 臭いのは戦奴の身分故に身を清める機会が少ないことが原因だ。俺にはどうしようもないことなのだが、実に散々な言い草である。嫌なら近づかなけりゃいいのに。


「うへぇ、汚い……うわっ、これって抗呪の術式? こんなのまであの女は……そこまでコレが大切なのかな、分からないや」


 右手を俺の胸元に押し付けた彼女は首を傾げた。


 抗呪の術式? ……そういえば、今回の出立前日にリンに体を弄りまわされてたっけ。それのことだろうか。

 彼女が俺の体をどうこうするのはいつものことと言えばいつものことだし、そもそも戦奴たる俺は彼女の所有物なのだから気にもしていなかったが、そんなものを刻んでいたのか。

 普段の待遇といい、想像以上に俺は彼女に大事にされているのかもしれない。


 まあ、日常的に殺されてもいるのだが。アンデッドで良かったと思える数少ないポイントだ。


「まあいいか。で、なんでここにキミが連れてこられたのかだっけ?」


 再び鎖の限界ギリギリまで離れたユイは、俺に触れた手のひらを布巾で清めつつそう口にした。


「すっごく簡単に言えばあの女に対する嫌がらせなんだけど……そういうことじゃないよね、うん。私ね、今回のコレが初めての任務なの。柳家の人間として取り組む初めての任務。内容は墓所の点検って簡単なものだけど」


「へぇ」


「でも、やっぱり初めてって不安でしょ? 何事もそうだよね? だけど柳家ってけっこー厳しいから、こういうのはメチャクチャ大変な任務以外は1人でこなさなくっちゃいけないの。それで、墓所の点検は簡単な任務だから当然1人……あ、勿論戦奴は使えるけどね?」


 さらっと人扱いされていない戦奴。まあ今更ではあるか。


「だから、とびっきり優秀な戦奴に手伝ってもらいたいなって思ったの。お姉様と何度もアンデッドを討伐しに行って何度も生きて帰ってくるくらい、それくらいとびっきり優秀な戦奴に」


 と、まあ。これは建前の理由なんだけどね?

 そう言って、リンは可愛らしく微笑んだ。


「面倒で回りくどいのは嫌いだし、簡潔に言うね? 一度しか言わないから、よーく聞くんだよ?」


 じゃらり、と俺の首に繋がる鎖が鳴る。


「私に飼われてみないかな? 戦奴扱いじゃなく、ペットとして。今よりもっとずぅーっと、いい暮らしができるよ?」


――――


 幼い頃、自我が目覚めたての頃に最初に気付いたことはそれだった。


 ――ワタシは、姉に、柳リンに対する保険なんだ。


 美味しいものは好きなだけ食べれた。欲しいものはなんだって貰えた。ワガママをいくら言っても諫められることなんてなかった。

 自分が一番大切にされている。そう勘違いしていられたのなんて、ほんの数年だけだった。


 姉は3つになる頃には武芸や魔術、戦術を教わっていた。

 自分が3つになった時、それを教わることはなかった。


 姉は10に満たない年でアンデッドの討伐に向かうようになった。

 自分はもう15だというのに、アンデッドそのものすら見たことがなかった。


 今回もそうだ。

 与えられた仕事は墓所の簡単な見回りだけ。

 実質アンデッドの発生を抑制する結界や、アンデッドが発生してしまった際に起動する仕掛けの類の点検だけだ。


 誰だって出来る、それこそ命令を与えれば戦奴にだって熟せてしまうかもしれない簡単な仕事。

 強請って強請って、それでようやく与えられたのがこんな仕事だ。


 理由は分かっている。理解している。納得している。


 ――せっかくの保険のための体が傷つくことなんて、許されないから。


 あくまで自分は、姉にもしものことがあった場合の保険、そのために産み落とされた存在でしかないのだ。


 武術は稽古をつけてくれるような者がいなかったためにさっぱり分からない。だが、魔術、戦術、人心掌握の術はどうか。

 柳家がそれなりに古い歴史を持つ名家ということもあり、それらが記された書物はそれこそ星の数ほど存在した。


 付き人であった女中の手も借り、ユイはそれらの様々な書物を読み漁った。

 知識を貪った。理解できない箇所は他者に教えを乞うたこともあった。柳家直系の次女ということもあり、積極的ではなかったにしろその要求自体は素直に通ることがほとんどであった。


 知識を得た彼女は密かにそれらを少しずつ実践し、己の血肉へと変えていった。

 才能があったのか、書物に記された魔術、呪術のほとんどは扱えるようになった。人員を用いたアンデッドとの戦い方も覚えた。人心掌握だけはうまくいかなかったのだが。生来の気質故か、どうにも知識を上手く活用できなかった。


 これらは彼女が己の力で手に入れたものだ。他者の助力も、与えられたものではなく求めたが故のものだった。


 彼女はアンデッドハンターとしても、家督相続人としても、人間性はともかく優秀な存在となったのだ。それも自ら求めて、努力を重ねて、飢えに飢えた結果であった。


 ――それでも、彼女を見る者達の眼は変わらなかった。

 少なくとも、ユイ自身にはそう感じられた。


 保険。スペア。

 あのクソ女の、もしものための代わりでしかない!


 異父姉が憎くて仕方がなかった。

 求めずとも全てを与えられるがまま育ち、自身よりも大切にされる姉が憎らしくて仕方がなかった。


 周囲が自分を見る時の眼が嫌いだった。

 あのクソ女と比較して見つめてくる視線が大嫌いだった。

 自分に与えられるもの全てが、自分が姉の代替品として機能するように、それに必要であったから与えられてきたのだと理解した時は吐き気すら催した。事実、胃の中身に留まらず喉が灼けるほどの胃液をも嘔吐した。


 そして何より気に入らないのが姉の視線だ。

 妹である自分を、まるでいないものであるかのように、そこらの石ころ以下の価値しかないもののように無関心なあの眼だ。


 殺してやろうと何度だって思ってきた。

 殺そうと行動に移したことも数えきれない。


 だが、事実として姉は優秀だった。

 天才といってもいいかもしれない。


 柳家の輩出する聖人達、その中でも飛びぬけた麒麟児であった。

 故に、本気の殺意を受けつつも彼女は生きている。

 それどころか、リンは未だにユイを見ないのだ。


 自身を殺そうとしてくる妹を、姉は認識すらしていないのだ!


 殺したい。いや、殺すだけでは気が済まない。

 自分の方が上なのだと、妹よりもお前は劣っているのだと理解させた上で嬲って辱めて、苦しませてやりたい。


 ……今のところ、あの姉を殺せる未来などユイには一切見えないのだけれども。


 そんな姉のお気に入りの戦奴を前に、墓所でユイは彼を見ながら考える。


 果たして、今し方告げた誘いに彼は乗るのだろうかと。


 なるほど、本人を前にしてユイは頷く。これは確かに気に入るかもしれない。

 顔立ちは10前後という年もあって幼く可愛らしい。栄養失調気味なのか投与される薬物の影響なのか体は酷く貧相で背丈も低い。

 汚れと臭いは酷いものだが、まあきっと洗えば何とかなるだろう。洗うのは女中か誰かであって自分ではないのだし、今しばらくの嫌悪感さえ我慢すれば、まあいい。

 あとは服装と髪を仕立ててやれば、愛らしい玩具になるのでは。


 それに何といっても彼は聖人。

 貴重な天然物の、それも死なないという稀有な能力を持った聖人なのだ。


 あのクソ女が気に掛ける訳だ。自分のことは見ないくせに、こんな少年には目敏く関心を持つ。幼子好きの色ボケじゃん、変態。そうユイは内心にて毒づいた。


 こうして実物に会うまでは正直この誘惑こそ行いはすれど、誘いに乗った場合適当なところで処分しようかと考えていたユイ。当然だ。姉のお気に入りを奪いたかっただけなのだから。だからこそ、弁舌を並べこうして彼を自身の仕事へと付き添わせている。

 だが彼女は珍しく、少しばかり考えを改めることとした。


 欲しい。

 姉のものだから、ではなく。

 彼自身が欲しい。


 その目が、視線が気に入った。


 姉の戦奴であるにも関わらず、姉を通さず自分を見てくれている。

 不思議とそんな気がしたのだ。


 戦奴故に柳家の事情を知らぬから。そういう理由が背景にはあるのかもしれない。

 けれども、それでも。

 彼の視線は今も自分を見ている。


 柳リンの妹を見ているのではない。

 柳ユイを見ているのだ。


 その視線に、どういう訳だか親しみを覚えた。

 人間関係の構築が下手糞である自覚はある。しかし、なんだか彼となら、と。


 だからユイは思ったのだ。

 ――ホントに飼ってあげてもいいかも?


 そんなことを考えていた時。

 いや、そんなことを考えていたが故に、気付くのが遅れていた。


「――えっ?」


 ふと我に返ると、そこは既に墓所ではなかった。


 このヤマト国には似合わぬ仕立ての建物だ。レンガの積み重なった、どこかで見たかのような建物だ。朽ちつつある、年月を感じさせる崩壊しかかったあの建物だ。


 いつかのあの日。

 夢で見た廃教会の中。


 違うのはただ一点。


「今すぐ結界を張れっ!」


 身分の差故の言葉遣いを崩し、必死な形相で叫ぶ彼が隣にいた。


 ――正夢、であったのだろうか。

 いつの間にか、ユイは1人の戦奴とともに月明かりに照らされるその教会へと囚われてしまっていた。

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