第7話
「――アタシの耳がおかしくなったのかしら? それとも、アナタの頭がおかしいの? ねぇ、もう一度言ってもらえる?」
「ふふっ、それじゃあバカなお姉様にも分かりやすく簡単に言うね? あの戦奴を、すこーしだけ貸してほしいなって。それだけだよ?」
不可視の壁に食い止められギャルギャルと音を立てる刀を前に、あたかもそれが目に入っていないような平然とした態度で柳ユイは自身の姉に向かってそう宣った。
笑顔のまま、刀を握る姉の両腕に力が籠められる。刃先が数ミリほどユイに向かって食い込むが、彼女の表情は変わらない。
「別におかしな要求をしている訳じゃないよ? 私もお姉様に戦奴を送ったでしょ、それと同じことを求めてるだけ。人手が足りないから貸してってお願いしてるの」
「あんな役に立たない戦奴を渡してきたことを恩着せがましく言わないで欲しいわね」
「戦奴自体がが無能なのは大前提でしょ。役に立たないって、それは使い方が悪かっただけだと思うな。自分が無能なのを戦奴の所為にするの、良くないと思うよ?」
好戦的な笑みを浮かべるリンに対して、あくまで無垢を装ってユイは微笑む。
事実、戦奴自体が無能であるというのは柳家全体の共通認識であった。自身で考えず、アンデッドと戦う武力もない。そのような能力を与えられず、また求められてもいないのが戦奴である。故に、彼らを使用した場合の成果も責任も、戦奴達ではなく使用者へと帰結する。
戦奴が役に立たないという発言は、自身に戦奴を使いこなす度量がないと宣言するに等しい行為だ。
「普通の戦奴は突然爆発したり、他の戦奴に襲い掛かったりしないでしょ」
「どうかな? 爆発はともかく、呪いとか薬の効き目がおかしな方向に向かった戦奴が暴走することはない訳じゃないよね?」
姉の言い分に、妹は一般論を用いて冷静に反論する。
「爆発はお姉様の責任じゃないとは思うけど。きっと、そういう魔術を使うアンデッドがいたんだよ。お姉様が全部斬っちゃったせいでその痕跡が残ってないだけで」
言外に姉の責任を匂わせつつ、そう言ってユイは笑みを浮かべた。一切の邪気を感じさせぬ笑みではあったが、それは何処か張り付けたような空虚な笑みでもあった。
「殺されたいのね?」
「あはっ、怖い。でもお姉様に私は殺せないよ?」
「試してみる?」
「――そこまでにしておけ」
正に一触即発、どころか既に殺し合いの体勢に入っている姉妹の間に割り込んだのは、しわがれた老人の声だった。
「柳家の者同士で殺し合うことは許さんぞ、少なくとも儂の前ではな。貴重な戦力を減らすなぞアホらしい」
「……仕方ないわね」
「はぁい」
老人の声に、姉妹揃って彼女たちは矛を収めた。リンは刀を仕舞い、ユイは不可視の力場を霧散させる。
柳家本家の屋敷の一室、その上座。簾の奥にてその老人は陰鬱なため息を吐く。
「どうしてこうも主らはすぐ殺し合う。仲良くせぇとは言わんが、もう少し穏やかにはいられんのか」
「妹のくせに生意気言うユイが悪いわ。アタシは悪くない」
「えー、どう考えてもワガママなお姉様が悪いよ。それに、先に手を出してきたのはお姉様だし」
「リン、ユイ」
再び険悪な空気を醸し出す2人だったが、その一声で両者口を噤む。簾からは人の限界を遥かに超えるほどの濃密な魔力が漏れ出していた。
強者には素直に従う、そのような野生的な感性の持ち主たる姉妹に、魔力の発端である老人は再度のため息。
「善悪なぞどうでもよい。だが、道理は通ってなきゃならん。分かるか?」
「そうだよねっ!」
「分からないわ!」
「分かれ」
室内には柳家の家人達が大勢集っていた。しかし彼らを前にしても普段と一切違わぬ態度の2人。その理由は彼女達の立場と能力にあった。
柳リンは柳家の次期当主と見込まれる先代の遺児かつ現時点での単体最高戦力の保持者。そしてその妹のユイもまた、家督順位は二番手であるものの優秀な才覚を秘めており、潜在能力では姉をも凌ぐと目している者もいるほどだ。
アンデッドと関わる家々において、家督相続人が死亡することは珍しくない。それは柳家においても同様である。故に、先代当主の遺児たる彼女らはそのどちらもが、実質的な次代の柳家当主として扱われていた。
立場と実力、どちらの面からであっても彼女らに意見出来る者はそう多くない。
「のう、リンよ。別に儂は姉だから主に我慢しろと言っているんじゃあない。年長者だから年下には寛容になれ等と言うつもりもない。だがな、ユイが主に戦奴を融通したことは事実であろう? なれば、主も妹に便宜を図ってやるのが道理だろう。違うか?」
「ええそうねっ、そうかもしれないわ! でもナナシを渡すのは嫌よっ!」
「……理解できんな。高々戦奴1人に何故そこまで執着する? その戦奴に惚れたか?」
「ふふっ、お婆様も変なことを言うようになったわね、耄碌したのかしら? 戦奴なんかに惚れる訳ないじゃない」
「相変わらず口が悪いの、主」
首を傾げるリンは嘘を吐いている様子はない。
惚れた腫れたの色恋であれば、相手が戦奴とはいえまだ納得できる。しかしはて、なれば何故戦奴1人に執着するのか。
そして疑念はもう1つ。
「ユイよ。主も何故その戦奴を欲しがる。聞けば要求はその戦奴1人。数を求めるならば理解しよう、だが何故その1人なのだ」
「ふふっ、そんなのその1人がお姉様の執着する戦奴だからに決まってるでしょ? 興味を持つのにそれ以上の理由が必要?」
「ふむ」
聞いてなるほど、こちらはまだ理解できた。
確かにこの豪放磊落傍若無人を絵に描いたような姉が固執、執着する戦奴だ。さらに彼は戦場にて発狂するリンと共に幾度もアンデッド討伐へと赴きながら、どういう訳かその全てにおいて生還している。
しかしながら、無垢を装うその笑みの奥に隠された仄暗い感情があることを、その老人は見逃さなかった。
尤も、老人はユイの秘めた感情になどさして興味を抱かなかったのだが。
「であれば、決まりじゃ。その戦奴の同行を許可する」
「やったっ!」
「アタシは認めないわよ!」
「これは当主代行としての言葉じゃ。不満があるならば、儂を殺して当主の座を簒奪すればよい」
リンの激情に対し、冷や水を浴びせるが如く老人は言葉を発した。それを受けて彼女は刀に手を伸ばしかけ、脳の冷静な部分で彼我の戦力差を分析しそれを諦めた。
「……ふんっ」
柳リンは一家の最高戦力ではあるが、それは対アンデッドにおいてである。数多もの戦奴こそ斬り殺してきたが、まともな対人戦の経験など彼女にはなかった。それに、刀剣のみを使用した試合であればともかく本気の殺し合いともなれば、あの老人に勝てる明確なヴィジョンが浮かばない。化物染みた魔力量といい、その風格からして本当に人間であるのか疑わしいほどだ。
閉ざされた襖を蹴り倒して、負け惜しみのように鼻を鳴らしながらリンはその一室を後にした。それを止めようとする家人は1人もいない。かつては彼女の態度に苦言を呈すものもいたが、その尽くがその場で彼女に切り伏せられていた。
彼らを殺してこそいなかったものの、そのような事件が数度ほど起きた後、今では直接リンに意見するものなど妹と当主代行を残していなくなっていた。
暴力による恐怖は根深い。そしてそれは同時に潜在的な嫌悪感を育む。
事実、彼女の足音が小さくなるにつれて家人達は口々に囁きだした。その内容は当然、リンに対する罵詈雑言である。根も葉もないものから事実のものまで多種多様、真偽混ざりあっているのだから殊更質が悪い。
リンの態度と家人達の様子に老人は辟易としつつ、残された妹の方へと声をかける。
「して、ユイよ。本当に戦奴はその1人で良いのか」
「もっちろん! だって戦奴って臭いし気持ち悪いし、それになんだか不気味なんだもん。あんまり沢山連れ歩きたくないよ。どうせみんな使った後には死んじゃうんだし」
辛辣な言葉を吐く。臭く、気持ち悪く、そして不気味になるような管理をしているのは自分達であるのにそれに対しては知らん顔だ。
「墓所の点検はそう危険な内容ではないが、それでも戦奴を1人しか連れぬというのは豪気なことじゃな」
「どうせすぐ死んじゃう戦奴なんて、きっといない方が楽だよ? 餌も沢山必要になるし、お世話も面倒じゃん? すぐ死ぬのに。あ、勿論荷運びとか私のお世話用の女中ちゃんとかは連れてくからね」
「其奴らは戦えぬじゃろう。アンデッドの餌じゃ」
「私が全員守ればいいんだよね? それくらいできるよ。だってアタシ、ユーシューだからねっ!」
そう言い残し、ユイも部屋を立ち去る。豪快な退出を見せつけてくれた姉への当てつけか、普段は滅多に見せない丁寧な所作を用いて。
しばらく、室内にはユイが遠ざかる軽い足音だけが響いた。
その足音も遠くなったころ、ようやく1人の家人が口を開いた。
「簡単に言ってくれますよな。それなりの遠征となるのに準備は全てこちら任せ。いえ、財政面から見れば導入される戦奴数が少ない方がありがたいのですが。戦場で破損、紛失する武具は多いですからな、それらのことを思えば妹様には感謝したいほどで」
「姉の方も、なんだあの態度は。時期当主なのだという自覚が足りん、という程度では済まされんぞ。あの狼藉千万、許しがたいとは思わぬか?」
「此度は妹様の初仕事であるというに……いや、だからこそなのであろうか」
口々にものを言う家人共を前に、簾の奥の老人は静かに瞼を閉じた。
彼ら彼女らは、とうの昔に老人が見限った無能者達だ。何の興味も抱けない。
やがて陰口に飽きたのか、当主代行たる自身に形ばかりの礼を述べ去っていくものが増えていく。
そうして、最後には自身ただ1人が残された一室で、しゃがれた声で老人は呟く。
「なんと悪趣味な。我らが神は覗きが趣味であったとはな」
「――そのような下世話な趣味嗜好は、はて。とくと持ち合わせた覚えがありませんね」
――いつからそこにいたのだろうか。その呟きに声を返したのは、美しい白い髪を持つ小柄なグールであった。一糸まとわぬ彼女は、室内とはいえ冷たい秋の夜の空気にその赤黒い肌を惜しげもなく晒している。だのに彼女はどこか熱に浮かされたような雰囲気を纏っていた。
「儂の記憶が正しければ、この屋敷には対アンデッドの結界が張られていたはずじゃ。それに、家人誰にも感知されぬはずがない」
「柳家の御老人は随分と常識的な考えをするのですね。神とは常に気まぐれで理不尽なものですよ、知りませんでしたか?」
無表情に、無感動に語る彼女は我が物顔で室内を闊歩する。張り巡らされた対アンデッドの結界は作動しない。それどころか、より感知範囲を広げた襲撃者対策の呪いすらも起動しなかった。
「相変わらず化物じゃな……して、そのような我らが神は何故にこのような古びた家にまで足を運んだのだ?」
「勿論、計画の首尾の確認ですよ。妹の方、予定通りの場所へ赴くことになりましたか?」
「……主に言われるまでもなく、その手筈ではあったがの」
「でしょうね。原作ストーリーにおいてもそうなっていましたから。尤も、ゲーム開始前のシナリオではあるんですけど」
「何の話じゃ」
メヴィアは目の前の老人に語り聞かせるように――それでいて、返事など期待せぬ独り言を呟くように話し始める。
「『アンデッド・キングダム』の本来の歴史におけるワタシの誕生3年前の秋頃、人類側に用意されたとあるユニットはとある墓所へと訪れることとなりました。彼女の家にて代々管理されてきた墓所です。墓所はアンデッドが自然発生しやすいですものね、人類としては注意深く管理すべき場所の1つです」
「だから、何の話をしておる」
「……今、ワタシが話しているところですよ?」
少し苛立った口調と共にメヴィアが指を鳴らす。
ゾワリ、と老人は空気の質が変化したことを感じて息を呑んだ。
「はい、そうです。それでいいんですよ? 次に遮ったりしたのなら……殺すのはマズいので、そうですね。その首を3本ほど頂きますね」
「……うむ」
「結構です。ああ、そうです。ワタシは寛大なので、相槌くらいなら許しますよ。むしろ、返答の無い語りは壁に話しているみたいで退屈なので、是非お願いします」
「……分かった」
訳の分からない話の清聴と相槌を、半ば脅すような形で了承させるとメヴィアは再度語り始めた。
「それで、何処まで話しましたっけ……墓地へ向かうところからですね。コホン……そのユニットは15歳の女性でした。幸か不幸か、子どもを作れる年齢です。そういう体に育っています。確か第二次性徴、というんでしたっけ? ワタシは生まれてこの方アンデッドなので経験したことがないのですけれど。うーん、そもそもアンデッドなのに生まれた、なんて表現は変ですよね?」
「そうじゃな」
メヴィアは話を脱線させつつ語るのだが、老人は彼女にそれを指摘することが出来ない。先ほどの魔力の威圧を受け、メヴィアの不興を買うことに恐怖を覚えたためだ。
自身がいくら死にたがりであっても、このような暴力によって事故のように死ぬことは御免だった。
「その少女のユニットは、墓場まで無事たどり着きます。周囲にアンデッドの気配なんてまるでありません。まあ、たとえアンデッドがいたとしても彼女が臆するようなことはなかったと思いますけれど。だって彼女、メチャクチャ強かったのですから。勿論人類としては、ですけれどね。ワタシの方がずっと強いです。ふんす」
「…………」
「……そうか、くらいの合いの手を入れてくださいよ。これではワタシがただ妙なマウントを取った変な女みたいではありませんか」
「……そうか」
「今ではありません。今、そうかと言われたらワタシが変な女だと肯定されてしまうではありませんか。そういう時はそんなことありませんよ、と言うのですよ?」
「面倒くさい女じゃ」
「…………怒りますよ?」
老人は目の前の神を本気で面倒に思い始めていた。それこそ、コイツを無視できるならば首の3本なぞ安いのでは、と考えてしまうほどに。
「まぁいいでしょう、話を戻しますね。何事もなく墓地の点検を行っていた少女ですが、その作業が終わりに近づいた頃合いになって異変に気付きます。風が止み日は落ち、周囲に人はおろか動物の気配もありません。自身の護衛目的で連れていた戦奴達も、まるで見当たりません。今夜は満月であったはずなのに、どういう訳か墓地には月光も差し込まず、そこは完全な静寂と闇に包まれていました」
「……それで?」
「ええ。彼女は多少そのことに戸惑いましたが流石はアンデッド討伐を生業とする名家の生まれです、すぐに冷静さを取り戻すと周囲に防護の魔法陣を展開しました。柳家の魔法陣って凄いんですね、上位のアンデッドであっても弱い個体ならはじき出せてしまうのですから。まあ、今回は無駄に終わってしまうのですけど」
ふふっ、と小さく笑うと平坦で無感動だった口調をメヴィアは少しだけ楽し気に変化させた。
「しばらく魔法陣の中から周囲の様子を窺っていた少女でしたが……なんと、気が付くと彼女は古びた教会の中にいたのです。あ、過程を省略なんてしていませんよ。本当に気が付くと、突然。そのような感じで教会の中にいたのです。ビックリですね?」
「そうじゃな」
「少女は勿論驚きます。突然の展開にもそうですが、なんといってもその教会の中には、数えきれないほど、夥しい数のアンデッドが巣食っていたのですからね。そのどれもが低級のものばかりですけれど。ゾンビであったり、今のワタシのようなグールであったり」
「主のようなグールがいてたまるか」
「……ワタシは優しいので聞かなかったことにします。当然彼女は交戦しようとしました。柳家はアンデッドと戦う者ですからね。けれど、どういう訳か魔術も呪いも使えません。不思議ですね?」
「……ユイは魔術の才は優れておるが、姉と違って武芸には精通してはおらなんだ」
「ええ、そうです。つまり、少女――柳ユイさんはその時抵抗する力を持たなかったのですね。さて、ここで簡単なクイズの時間です。この少女、この後どうなったでしょうか?」
その問いに、老人は吐き気を催したような苦悶の表情を浮かべた。
「……餌を前にしたアンデッドのすることなんざ知れたことよ」
「そうですね、それに彼女はとびきりの餌です。優秀な人類はアンデッドにとって最高級の食料ですもの。それと同時に、幸運にも、あるいは不幸にもその餌はメスだったのです。アンデッド同士では実りなき生殖となりますが」
「……まさか」
「ご明察の通りです。アンデッド達はユイさんを餌ではなく赤ちゃん製造工場と捉えた訳です。そんなわけで、突然現れたその教会内では死者の犯し手と生者の受け手による大乱交会が行われる運びとなりました。凌辱です。苦痛と屈辱と汚濁を混ぜ合わせたような、それはそれは酷い祭りが開かれました。純潔であった乙女は、口に出来ないようなことまでいろんな経験を一晩で積んでしまいました。そしてまた幸か不幸か、彼女の肉体は丈夫だったんですよ。そのパーティが終わるまでに、ユイさんは死ねませんでした」
まるで一流の喜劇の終幕を語るが如く彼女は続けた。
「さて、朝になると教会とアンデッドは消えてしまい、そこは柳家の管理するあの墓地に戻っていました。残されたユイさんは、流石は柳家の人間ともいう精神力と体力で何とかここ、柳家本家まで生還します。けれど、年若い健康な乙女が一晩中犯されていたら……分かりますよね? 彼女はアンデッドの子を身籠ってしまいました」
「…………」
「当然そんなことを柳家は認めません。認められません。そうですよね? そうして……ユイさんごと殺処分することも検討されましたが結果的に、比較的穏当な堕胎という選択肢がその胎児に取られることとなります」
「で、あろうな」
「堕胎って、結構母体に負担がかかるみたいですね? 薬であったり、物理的に掻き出したりするみたいですけれど。具体的にどのような手段を用いたのかは私は知りません、書いてありませんでしたから」
「書いて、じゃと?」
「失言です、忘れなさい……コホン。それで堕胎の結果、ユイさんは二度と子を成せない体になりました、とさ。おしまいです。これが柳ユイの前日譚です」
「……惨いのぅ」
「ああ、やっぱりこれって悲惨なんですね? ワタシは神である上にアンデッドなので、元々子どもなんて産めない体ですからそれについていまいちよく分からなかったのです。これが悲惨だと知れてとても助かりました。それだけで、これをアナタに話した価値があったというものです」
「主は、今の話をどこで知ったのじゃ」
「それはアナタが知らなくても良いことですよ」
メヴィアの楽し気な語り草は、いつの間にか元の平坦なそれへと戻っていた。
「それに、この話はワタシ自身には無価値なんです。知った時も、へえ、そんなことがあったのですねぇ、とだけしか感じませんでした。楽しくも悲しくもない、無味無臭で無価値で無意味で無感動な、些細な出来事ですから」
「では何故、何を目的として主は動く?」
「決まっています」
先ほどまでの彼女とは打って変わって。うっとりと、頬を上気させて、まるで恋する乙女のように、瞳に映らない誰かへ向かって視線を投げながら。
「より大きな悲劇を。心揺さぶられる喜劇を。溢れんばかりの、許容量の限界を超えるような刺激的な物語を。それらをワタシの神様に捧げるためです」
「主の神じゃと……? 神は主自身じゃろうが」
「人格とは記憶と経験によって構成されます。生来生まれ持った気質も多少は影響するでしょうが、人格の多くを形作るのはそれでも記憶と経験です」
唐突に語りだしたメヴィアに老人は怪訝な表情を見せる。
「それは神であるワタシも同様です。何度も動き、何度も経験し、何度も知って。その過程で、何者でもなかったワタシは気付けば人格と呼べるものを持っていました……その過程の話です」
「主が何を言っておるのかさっぱり分からぬ」
「ワタシは誰かが何らかの目的をもってワタシを動かしていることにある時気付きました。その誰かは、ワタシに色々なことをさせてきたんです。ある時は人を食べさせてきたり、またある時は逆に人を守らせたり……殺さずに全員支配、なんてことを強要してきたりもしましたね? 酷い人です、DVというやつでしょうか?」
怒っているようにも、甘えるようにも聞こえる声色だった。様々な感情が混ざり合ったサイケデリックな色の声であった。
「そして、そんな人生……神ですから神生でしょうか? 生きてないんですけどね。ともかくそういう生活を送っている内に、ワタシは気付いてしまったのです」
老人は、目の前の神の瞳を見て気付いた。
彼女は狂っている、と。神の思考回路なぞ分かったものではないが、それでもこれは異常であると。
「ワタシを動かす誰か……彼は、ワタシの神様だったのです。ワタシを動かして人類に悲劇を生み出し、それを楽しむ悪趣味な神様です。ワタシだけの神様です」
濁った、淀んだ瞳だった。
異常者の瞳だった。
神でありながら、その瞳の色は狂信者のそれと同じであった。
「そしてその時同時に気付きました。ワタシは神様のことが大好きで、同時に神様もワタシのことが大好きなのだと。相思相愛です。ラブラブです。幸せです」
ですから、と狂った神は誇るように。
「ワタシは神様にも悲劇を楽しんでもらおうと思ったのです。神様は悲劇が大好きですからね? それを用意してあげるのがワタシの愛なのです」
「……儂には、主が何を言っているのか本当に分からんのだが」
「理解する必要はありません。ただ聞いてほしいだけですから」
機嫌が良いのか、それこそ本当の神のような慈悲深い笑みをメヴィアは浮かべる。
大概おかしな奴であるとは思っていたのだが。老人には、目の前の神が分からなかった。
「この世界には、人類が滅んでしまうようなキッカケが無数に散りばめられています。いわば悲劇の卵達ですね。ですが、これはワタシが手を加えなければ孵ることはありません」
「何故言い切れる」
「プレイヤーが何もせずとも勝手にゲームクリア、となってしまうゲームなんて楽しくないでしょう? そういうことです」
意味ありげにそう呟くと、メヴィアは老人に背を向ける。
「楽しい歓談でしたね、鵺。気が向いたらまた遊びに来ます。どうか、ワタシの神様をよろしくお願いしますね?」
「……その名で呼ぶな」
霧のように消えた神に向かって、絞り出すようにそう言葉を吐くのがやっとであった。
上位アンデッドの一種たる鵺と呼ばれた老人――柳ミカゲはストレスからであろうか。鈍い頭痛と腹痛を感じながら嘆いた。
「やはり、長生きすると碌なことが起きぬ」
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