第3話

 戦奴という存在は、ゲーム的な視点で言えばいわば経験値である。


 人類側に存在するユニットの中で最も性能が低く、簡単に捕食できる上にアンデッド化させることも容易。さらには数も多くあらゆる戦場に投入されるため、多くのプレイヤーが戦奴を狩りまくった。

 設定上も犯罪者や孤児等からなる使い捨ての駒であったこともあり、ネームドのキャラに感情移入し殺害することを躊躇うような人であっても戦奴の死に関してはただの数字としてしか見ていなかったであろう。尤も、そもそもこのゲームのプレイヤーがキャラの死を気にしたりするのかは甚だ疑問ではあるのだが。


 そんな戦奴の扱いというのは作中でも実に雑だった。


 この雑というのは、作中における待遇という意味でもそうなのだが、そもそもあまり取り上げられないという意味で雑であったのだ。

 それもそのはず。メタ視点で見た際、狩られるために用意した存在の戦奴、そんなモブキャラ以下の彼らの様子を事細かに描写する理由など製作陣にはない。プレイヤーからしても、そんなテキストを用意するくらいなら狩ることのできるヒロインをもう1人増やせと言う意見を出す者がほとんどであろう。

 故に、その存在こそ(経験値として)好意的に考えられている戦奴だが、その詳しい実情を知るプレイヤーはほとんど存在しなかった。


 だが、現実に戦奴として生きる俺はというと、当然身をもってその実態を理解している。


 雑穀類を水でかさ増しした粥と汁物の合いの子のような食事を摂りつつ、俺は1人座敷牢の天井を見上げた。


 小さな明り取りの窓が1つだけのこの部屋は日中でも薄暗い。しかしながら、俺には天井の梁に浮かぶ木目すらもはっきりと見ることが出来た。


「……足りないな」


 薬品臭い食事を終えてなおも空腹を訴えてくる腹部を撫でつつ、そう独り言ちる。

 正確なことは分からないが今のオレの年齢は凡そ10と少し。第二次性徴を控えた肉体はそれに備えているためなのか、より一層の栄養分を欲している。

 だが、この飢餓感がそれだけに由来するものではないこともまた事実。

 いくら食事を摂ろうとも、この飢えは満たされることはないのだろう。


 あるモノを食べない限り。


 アンデッドというのも、これまた融通の利かないものである。

 食事は食事なのだから満足してほしい。切にそう思う。


 ごろり、と布団もなにもない畳の床に転がった。リンによって持ち込まれた本の1冊を枕にしそのまま目を閉じる。


 動くと腹が減る。ただでさえ食事が足りていないのだ。余計な動きで空腹感を増やすようなことはしたくない。

 本を読むことも飽きた。前世から読書は好きだった。だが、俺が好むのは物語の類であって、まるで教科書のように知識を詰め込ませるためのものは嫌いだ。そしてリンが置いていった本の数々はどれも後者であった。少し読んで、すぐに辟易とした。それに、頭を使っても腹は減る。


「他の戦奴みたいに、考えられない方が楽なのかもしれないよな」


 決してそちらの方が幸せであるとは思わないが、楽であるかといわれれば楽そうだな、と思う。


 薬によって思考力を奪われた戦奴達は、多くの場合家畜小屋にも似た住居に押し込まれ管理される。

 奴隷のような、というか奴隷以下の扱いの彼らだ。食事は薬物の混ぜられたものが最低限、娯楽はなく居住スペースも狭苦しい。与えられる衣類は襤褸切れだ。衛生面だけは管理者も人間であることから感染症を恐れてそれなり程度に清潔に保たれているのだが、それでも人が生活する環境としては劣悪であると言わざるを得ないであろう。


 しかし彼らは不平不満を口にはしない。それを考えるだけの頭を持ち合わせていないためだ。

 管理側としても、死を想定して手軽に消費される彼らの生活にまでコストをかけるのは無駄が多い。どうせすぐに死ぬのだ。安く済ませられるものは安くしようと考えるのも当然である。


 そんな彼らよりも自身のこの待遇は圧倒的に良い。良いのだが、それでもなお辛いものは辛いのだ。

 なまじ前世の記憶を持っている、そしてその記憶というのが飽食の時代とも言われる21世紀の日本での暮らしであるが故に、どうしても今を辛いと感じてしまう。


 戦奴となったことは正直早まったかもしれない。ネームドキャラの多い柳家に関わるにはこれくらいしか手段が思いつかなかったんだが……


 アンデッドであるという身の上を考えるとなおのこと早まったと思う。柳家は全員がいわばアンデッドハンター。アンデッドの天敵だ。

 アンデッドの体は便利な面も多いのだが、狩られる恐怖が常に付きまとう。メリットとデメリット、天秤がどちらに傾くのか俺には判断がつかない。


 それに、どうせアンデッドに生まれ変わるのであれば、プレイヤーキャラに生まれたかった。そうでなくとも、ヴァンパイアみたいな高位のアンデッド。どうして俺はこんな扱いに困るようなアンデッドに……


「…………?」


 そんな益体もないことばかり考えていると、この座敷牢の扉が開く音がした。

 体を起こす。その動作で手足と首に繋がれた鎖が耳障りな音を響かせた。


 扉から室内に入ってくる2名の人影。両者とも襤褸切れを纏った痩せた男だ。手には古びた刀が握られている。

 虚ろな目をしたその2人はゆらゆらと体を揺らしながら、ゆっくりとした動きでこちらへと近づいてきた。


 俺の目の前で両名は止まると刀を大上段に構える。そして――


 振り下ろされた凶刃を、俺は僅かに頭部を逸らす以外の抵抗をせずにその身で受けた。

 ローマ字のXを描くように、縦方向に歪んだ十文字の傷が胸部へと刻まれる。肩口から胸部を通り脇腹までを駆け抜けた鉄刀は、その刃を欠けさせながらも骨を砕き肉を裂き、それらの内にて守られていた臓器を破壊した。


 血に塗れ倒れる俺をやはり虚ろな目で無感動に眺めると、すぐに男達は部屋を後にした。

 部屋唯一の戸が閉ざされる。室内にむせかえるような血の匂いと静寂だけが満ちていた。


 それから少しして、周囲に人の気配がないことを確認してから俺は再び体を起こす。


「痛てて……相変わらず容赦のない……」


 出血の止まらぬ刀傷を手で押さえつつそうボヤく。

 痛てて、では済まない重傷のはずであったが、そこは腐ってもアンデッド。胴体を斬りつけられた程度ではそうそう死にはしない。腐っても、とはいっても本当に腐っていたりする訳ではないのだが。

 痛覚も人間と比べればはるかに鈍い。圧倒的に鈍い。今回の傷も精々紙で指を切った程度――とまでは流石にいかないけれど。それでも、耐えられる程度の苦痛でしかない。本来なら致命傷であるような傷を受けてこれだ、自身が人外であることを改めて実感する。


 傷の見た目と受ける感覚のギャップには相も変わらず慣れない。……いや、正直ちょっと慣れつつある自分がいる。主人であるあのバーサーカーであったり今回のような下手人であったりと、柳家に来てから斬りつけられる機会には事欠かないが故に。


 体内に宿る不可思議の力、魔力を用いて今し方受けた傷を癒していく。


「……やっぱり、完治は無理か」


 低級のアンデッドどころか、一般人以下の魔力しか持たない俺の力では、当然のように傷が治りきることはなかった。それどころか、骨は砕けたままだし傷からは血が滲んでいる。切り裂かれた臓器をみてくれだけ誤魔化すのが精いっぱいだ。


 高位のアンデッドであれば再生能力を持っているような種族も珍しくはないのだが、生憎俺にそんな便利パワーなどない。悲しいことに。


「痛て、ててて」


 流石に腹を開いたままにしてはおけない。

 まるで自由意志を持っているかのように蠢く髪の毛が、胸から脇腹にかけて広がる傷口を縫っていく。その度に、チクリチクリと小さな痛みが肌を刺す。


 勿論、髪が独りでに動いている訳ではない。俺が動かしている。

 この化け物染みた肉体操作もアンデッドであれば特段珍しいものではない。筋肉もない髪がどのように動いているのか俺自身にも分からないのだが、どういう訳か自由に動かすことが出来る。

 不自然なことではあるのだが、それをいうならば死体であるはずのアンデッドの存在がそもそも不自然だ。

 ゾンビ映画で被害者が髪に絡めとられるような描写が時折見られる。きっと、製作陣がそれを参考に髪も動かせる設定にしたのだろう。


「傷も増えたものだよな」


 縫合を終えた後、俺はそう呟いた。


 俺の体には、今回の傷の他にも多くの縫合痕が残っていた。

 腹部、腕部、脚部……背中にも。先日の首の切断痕も、未だ完全には癒えていない。首元に触れると組織液の滲む湿った感触があった。


「しかし、懲りもせずに何度も襲ってくるものだよな。俺が死なないことは既に分かっているだろうに」


 襲撃者は戦奴であった。

 戦奴が自由意志にて俺を襲ってくるようなことはまずない。彼らは薬物と呪いによって思考力を奪われている上に、普段は彼らの住居に押し込められている。そこから脱出した上で俺を殺しに来るとは考えにくい。


 となれば、戦奴を使用した何者かがいる訳だ。

 そして、柳家のものでしか開けないはずの扉が開いたことを考えると、おおよそその候補は絞られる。

 柳家の人間か、扉の呪いを無視できるほどの者か。


 鵺……ではないよなぁ。

 彼……あるいは彼女であればこの扉なんて簡単に開けるだろうし、俺がアンデッドであることも見破れる。だが、動機がない。アイツが俺に興味を示す理由も殺す理由もないのだ。

 それに、鵺が俺を害そうと思ったならば直接殺しに来そうな気がする。


 ならば妹様だろうか。


「もしそうだったなら動機は……姉、か」


 ゲーム内でも散々姉を敵視していた彼女だ。高々戦奴でしかない我が身だがその姉の所有物であることを考えると、彼女がこちらにも敵意を向けてくることは十分にあり得るだろう。

 繰り返される蛮行が戦奴による襲撃ばかりであることから、自身がアンデッドであると見抜かれた可能性は低い。もし見抜かれていたならば、このような手緩い対応などされず殺されているはずだ。


「仲良くできないものかねぇ……無理だよなぁ」


 血塗れズタズタになった襤褸切れをどうするか。そう頭を悩ませつつため息を吐く。


 そんな姿を窓の外から眺める小さな影に、終ぞ俺が気付くことはなかった。


――――


「やっぱり死なない」


 使役した使い魔と視界を共有して、少女はその戦奴を眺めていた。


「傷は受けてるみたいだし、特段治りが早いって訳でもない。ってことは、防御とか回復系じゃなくって死なない、っていう概念系? なんにしても珍しいね」


 クスクスと可愛らしい笑い声を上げるその少女の名は、柳ユイ。

 対アンデッドの名家柳家の次女、齢にして先日15になったばかりの彼女は虚ろな表情で頭を垂れる目の前の2人の男に向かって笑いながら語る。

 男達は先ほどナナシを斬りつけた戦奴であった。


「あんな傷を受けて生きているのもだけど、大した反応もしないんだよね。ほら、とっても痛そうなのに叫び声も上げないの。普通、とっても痛いと思うんだけどな」


 ユイはそういうと、右手に持った細長い棒を男の1人に向かって振るった。


 その男は突然立ち上がると、腰に差した刀を振りかぶり隣にいた男に向かって斬り下ろした。


 舞い上がる血飛沫。そして室内に木霊する男の絶叫。


「そうだよね。痛いよね、叫ぶよね? それが普通だよね? でも、だったらどうしてアレは平気そうな顔をしてるのかな?」


 その断末魔の叫びをなんてことないように聞き流して、ユイは首を傾げる。


 彼女の姉とは対照的な青みがかった黒髪を真っすぐと伸ばしたその少女は、その体躯と所作も相まって実年齢よりも幼く見えた。

 背丈は低く、二次性徴を迎えてなお起伏に乏しい肉付き。コロコロと色を変える表情は喜怒哀楽が分かりやすい。声色もまた幼く、そこに含まれるのは可愛らしさだけで色気は欠片すら匂わない。

 とても愛らしい少女であった。純真で、無垢で、この世界の醜さを知らぬような清らかさを持つ少女であった。


 しかし、そんな少女の眼前にて今し方行われた行為を思えば、その性格が外見から受ける印象とは乖離していることが容易に理解できよう。


 少女は冷酷であった。残酷であった。そして、異常と評される程度に嫉妬深かった。


「ズルい。ズルい。ズルいズルいっ! どうしてあの女は、いつも私にないものを見せつけるように……あぁ、イライラするっ!」


 瞬間、先ほど刀を振るった側であった戦奴の頭部がはじけ飛んだ。

 血液と共に脳や頭蓋骨が破片となって部屋を汚す。


「……あ、いけない。うっかり魔力を送りすぎちゃった」


 まるで、些細なミスを犯しただけのように。面倒そうにユイは呟く。

 事実それは、彼女にとって戦奴の頭をつい破裂させてしまうくらい、本当に些細なことであった。戦奴の命は軽く、また彼女にとっては無尽蔵ともいえる程自由にできる消耗品に過ぎないのだから。

 その1つが壊れたところでなんだというのだ。精々、掃除が面倒だな程度の感想が胸中に浮かぶばかり。尤も、掃除をするのもまた別の戦奴であるのだが。


 血の匂いに顔を顰めつつも、まあいいかとユイはナナシと呼ばれる戦奴の観察に戻った。既に彼女の意識から目の前で絶命した2人の男のことは消え去っていた。


「あ、縫ってる。糸は……髪の毛? 変なの」


 姉のお気に入りの戦奴は自身の髪を用いて傷の縫合を行っていた。

 針を使って手作業で縫っている訳ではない。彼の髪が独りでに動き、深く刻まれた刀傷を縫合していた。


「んー、死なないこととか髪の毛とか、まるでアンデッドみたい。でも――」


 魔力を用いて、使い魔越しに1つの術式を発動させる。

 それは、アンデッドを見極めるために用いられる鑑定の術であった。


 低級のアンデッドであれば、その外見的特徴から容易にアンデッドであると判断できる。しかし、一部の高位アンデッドはそうではない。

 ヴァンパイアやリッチといったアンデッドは、外見のみでは人間と見分けがつかない。鋭く伸びた犬歯であったり肌の色等の特徴はあるが、わざわざじっくりと口内を確認できることなどそうはないだろうし、肌色に関しては色素が薄い体質であると言われればそれまでだ。疑うことは出来るが、確信を持つには至らない。


 それ故に生み出されたのがこの術式である。生者と死者を判別する術。現在確認されているアンデッドは全て、これによって特定することが可能であった。


「――やっぱり人間。まあ、当たり前といえば当たり前なんだけど」


 術式は、件の戦奴を人間であると表していた。

 当然である。ここは対アンデッドの名門柳家なのだ。アンデッドが敷地内にいるはずがない。

 と、いうことは。


「とっても死ににくくて髪の毛を操れる人間、ってことだよね。すっごくアンデッドみたいな聖人ってトコかな?」


 聖人というのは人類から稀に誕生する、生まれつき特殊な力をもって生まれた進化者のことだ。多くの場合、その力を用いてアンデッドと戦うこととなる。

 アンデッドは人々から穢れたる者、魔に通ずる者として認識されている。そのため、それらと戦う進化者のことを人々は聖人と呼ぶ。穢れや魔の対極に位置する者達という意味を込めて。


 ユイやその姉のリンも聖人である。

 聖人というのは確実ではないものの遺伝する形質だ。柳家は代々聖人を当主として定め、またその伴侶も聖人を向かい入れてきた。


 基本的に、柳家のような聖人の家系からしか聖人は誕生しない。だが例外的に、突然変異的にごく普通の過程から聖人が誕生することもない訳ではない。


「……ズルい。やっぱりズルい。あの女だけ聖人の戦奴を持ってるなんておかしい」


 憎悪の視線を使い魔越しに注ぐ。当然その戦奴はその視線に気付くことなどない。その様が、自身の存在を軽んじられたかのようにユイには思えて仕方なかった。


「壊してしまうのは簡単だと思うけれど、それじゃつまらないよね……あっ、そうだ!」


 しばらく悩んだ後、彼女は口の端を歪ませた。その表情は悪意に満ち、見る者が見れば淫蕩さすら覚えるほど妖艶であった。


「うん、アレが欲しいなっ! あの女から奪い取ろうっ、私のモノにしようっ!」


 どういう理由であるのかは知らないが、姉があの戦奴に執心していることは目に見えて明らかだ。アンデッドとの戦場に連れて行っても必ずアレが生存して帰ってきていることがその証左である。

 いくら死ににくい性質を持った聖人であってもイカれた姉のあの暴力性をその身に受ければ死なない方がおかしい。なれば、彼が死なないのではなく姉が殺していないと考えるのが道理であろう。


 自身の執着するお気に入りを、妹である自分に奪われたなら。その時あの女はどんな表情を浮かべるだろうか。

 悲しむだろうか。絶望するだろうか。惨めに情けなく泣き崩れて欲しいが、お気に入りとはいえ戦奴では流石にそこまでは期待できないだろうか。無反応ということはないだろうけれど。


 その瞬間を思うと、興奮で全身が疼くようであった。


「奪った後は私の子飼いにしてあげよっ。死ににくいコトっていろんなことに使えそうだし」


 手にしたオモチャをすぐに壊すなんてもったいない。姉から略奪した後もしっかりと使いつぶしてあげよう。ああ、自分はなんて優しいんだろう。

 ユイは本気でそう思っていた。


「うんっ、私よりも年下で小さいってトコもいいねっ。貧相なのがとっても可愛いっ! それに年上って気に入らないんだよね、早く生まれたってだけで、偉そうに調子に乗って……」


 あの女、きっといつか殺してやろう。


 ユイは、異父姉に対する殺意を新たにするのだった。

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