第2話

 21世紀の日本において、『アンデッド・キングダム』というゲームが発売された。


 このゲームはタイトルからも察することが出来るようにゾンビゲームと呼ばれるジャンルのゲームだ。しかし、一般的なゾンビゲームとは少しばかりそのコンセプトが異なる。


 日本でゾンビゲームといえば、まず想像されるのがサバイバルホラーだろう。あるいは、ガンアクションだろうか。数多の迫りくるゾンビから逃げる、あるいはそれらを打ち倒していく。そういった、人間が生き残るために動くというゲームが一般的であろう。


 しかし『アンデッド・キングダム』はそうではない。


 ジャンルは戦略シミュレーション。そして、そのテーマはアンデッドによる人類の殲滅というなんとも不謹慎極まるものだ。


 プレイヤーは1体の弱小アンデッドを操り、そいつに人類を捕食させて成長させていく。その過程で自分よりも下等なアンデッドを配下に従えたり、あるいは人類をアンデッド化させることで仲間を増やす。そして、最終的に全人類を飲み込み世界を滅亡させる。そういったことを目的としたゲームなのだ。


 ゲーム内はアンデッドが存在すること以外にも現実と乖離した世界観が広がっていた。

 世界は現実の世界地図が流用されている。だが、そこに存在する各国はそれぞれデフォルメされたステレオタイプな特色を持っているのだ。

 例えば、日本をモチーフとしたヤマト国は武士や忍者がゾンビから人々を守る職業として存在しているし、エジプトをモチーフとしたナイル国なんかは支配者がファラオであったりする。


 そんな国内で数十万本を売り上げ、後に海外展開もされ国内以上に人気を博したこのゲームだが……なんと、18禁ゲームなのだ。

 エロゲなのだ。


 あらゆる種類のアンデッドを駆使し人類を駆逐していく過程で、当然人類側もアンデッドに抵抗する。その抵抗戦力の主力達のほどんどは、どういうわけか可愛らしい女の子。彼女たちは所謂ヒロインキャラだ。

 そんなヒロインに対してゾンビをけしかけエログロ満載な凌辱シーンを展開するのがこのゲーム。

 ゾンビの集団に犯されたり、食われたり。それどころか食われながら犯されたりとよく発売出来たなと妙な感心を覚えてしまうようなシーンがテンコ盛りだ。


 濃厚かつ刺激的なそういうシーンの数々は一部のマニア達に大好評であった。

 根幹がシミュレーションゲームであるが故に、本作にはメインストーリーと呼ばれる主軸となるシナリオはない。だがその代わりにヒロインそれぞれに対してクオリティの高いシナリオが用意されていた。ゲームがゲームだ、先も言ったように内容は当然エログロ満載。ヒロインのほとんどはプレイヤーキャラに敗北してしまうと悲惨な末路を迎えることとなる。この要素から、シミュレーションゲームとしてだけでなく鬱ゲーとしても高い評価を本作は得ていたりする。いや、むしろそっちをメインとして考えているプレイヤーの方が多いかもしれない。


 勿論人類側だけでなくアンデッド側にもヒロインは用意されていた。ヴァンパイアであったりリッチであったりデュラハンであったり。そういった彼女らとは凌辱ではない純愛も楽しむことが出来た。アンデッドだから色々グロかったりするのはご愛嬌。


 そんな楽しくも憂鬱な雰囲気で世界を崩壊させるゲームだが、実際この世界で生きたいかと問われれば誰もが首を振るだろう。

 なにせ、人類がアンデッドに滅ぼされるゲームなのだ。


「ふふっ、できたわ!」


 そう嬉しそうに目の前で微笑む女もまた、このゲームの世界で生きる者の1人である。


 何が楽しいのか悩みなんてなに1つもないというほどに陽気な笑顔を俺に向けてくる彼女であったが、それに対し俺は好意的な感情を抱けないでいた。


 当然だ。

 彼女の手に握られている鎖の伸びる先にはオレの両手両足、そして首があるのだから。


「……リン様」


「あら、なにかしら?」


「何故私は鎖に繋がれているのでしょうか」


「アナタが逃げられないようにするためよ」


 どうしてそんなことを聞くのか分からない。そう言いたげに首を傾げながら彼女は答えた。


「……いや、逃げませんよ。そもそもこんなものがなくとも私は逃げられません」


「そうね。アナタはこれがなくても逃げないし逃げられない。でも、こうして繋いでいれば分かりやすいでしょ? 物理的にも、視覚的にも。ああ、コイツはここから逃げられないんだ、って」


 カラカラとリンは笑う。その様は実に楽しげだった。

 ゲームをプレイ中、画面越しに眺めた表情と同じ笑顔だ。その表情が描かれるシーンは決して多いとは言えなかったのだけれど。


 柳リンは『アンデッド・キングダム』に登場するネームドヒロインの1人だ。

 真っ赤な長髪に真っ赤な瞳。テーマカラーなのか暖色系の和装を好む彼女はその腰にいくつもの刀剣を常に携えている。勝気で豪放磊落然とした表情を常に浮かべたその顔貌は、流石はヒロインだと感嘆するほどに整っている。背丈も高くさらにはスタイル抜群。まさにカッコいい女性とは、と問うた場合の最適解。


 日本をモチーフとしたヤマト国にてアンデッド討伐を生業とする名門柳家。柳リンはその長女にしてアンデッドに対する最高戦力でもある。獲物は妖刀や魔剣の類。刃物ならどのようなものであれ使いこなせるらしい。まあ、ユニットとしての性能であれば柳家には彼女以上の戦力が少なくとも2名他に存在するのだが。


 平時の彼女は常に明るく快活。人類にとって決して安寧とは言えないこの世界で生きているにも関わらず常に前向きで朗らかな彼女は、良くも悪くもプレイヤーの印象に残りやすいキャラクター性をしていた。


 その最たるものが、つい先日も戦場で発揮されていた異常性。

 彼女は、戦場では我を失う。

 目に入るものは人間だろうとアンデッドだろうと、はたまたそれ以外の何かであろうと切り伏せる。そんなバーサーカー染みた気質を持っているのだ。

 ゲーム内でもその設定は反映されていて、彼女は人間、アンデッド問わず射程内のユニットを攻撃するという特性を備えていた。そして下手に性能が高いがために彼女が現れた戦場は多くの場合彼女だけを残して更地となる。

 公式に設定された二つ名は『味方殺しの剣姫』。


 ゲームのキャラとしてはそれなりにありがちな設定ではあるが、ことこれが現実の人間であると考えてみれば彼女はただの恐怖の対象でしかない。

 なにせ普段は理性や知性を備えている味方が、戦場という命のやり取りをする状況において自身を殺しに来るのだ。しかもそいつはめっちゃ強い。

 怖い。いくら相手が美少女であっても怖すぎる。実際に斬られた経験のある身からすれば、猶のこと恐怖が湧き上がる。


「何か不満でもあるの? 戦奴の扱いとしては、これでもかなり上質だと思うのだけど」


 俺の態度に何を思ったのか、リンは少しむくれるように頬を膨らます。


 確かに、自らの戦奴という立場を思えばその言は正しい。

 与えられた部屋は広く食事は1日2食、3日に1度は簡単な湯浴みすら行える。他の戦奴に知られれば羨望の眼で見られること間違いないだろう。彼らにまともな判断能力があれば、ではあるが。


 だが、この部屋はどう見ても座敷牢である。


 部屋には明り取りのための窓が1つと出入口の扉が1つ。窓は格子で覆われており、また扉も柳家のものでなければ開くことが出来ない呪いがかけられている。

 さらには、オレの体から伸びリンがその手元に握る鎖の終点が壁に取り付けられている。その長さは室内で過ごす分には苦労がないが、さりとてそれ以上の余裕はなかった。


 当然ながら俺は罪を犯した覚えなどない。戦場で戦うことなく隠れていたことは罪といえば罪なのだが、俺と目の前のイカれた女を除いてあの場にいた者は全員死んだ。この女が俺の所業を認識していない以上、実質無罪だろう。


「……いえ。不満なんて」


「そうよね!」


 俺の答えを聞いて、パァっとリンは笑顔を見せる。


 戦奴、というのは文字通り戦うための奴隷である。

 何と戦うか?

 決まっている。アンデッドと、だ。


 最下級のゾンビやスケルトン、ゴーストといったアンデッドであれば、その対応策さえ知っていれば一般人でも対処が可能である。

 しかし、それは相手が単体であったらという前提だ。また、それら最下級のアンデッドよりも少しでも高位のアンデッドが相手ともなると、訓練された兵、あるいはアンデッド専門の戦士でもなければ討伐は困難。


 その上で考えてみよう。アンデッドの数、種類、あるいはそのどちらもが不明な場合どのようにしてアンデッドと戦うのかを。


 必要となるのは情報だろう。当然アンデッドの種類とその規模を把握しなくては、どの程度の戦力があれば対応できるのか判断することが出来ない。

 しかし情報を得ようにも、迂闊な行動はいたずらに犠牲を生みだしてしまう。


 そこで使われるのが戦奴という訳だ。


 犯罪者や孤児、口減らしのために売られた者等で構成される戦奴は、薬物や呪いによって行動や思考を管理され、必要に応じて消費される。

 その主な用途はアンデッド対策ではあるが、人権という概念を持たされていない戦奴はその他にも河川の工事であったり未開域の開拓であったりと危険な仕事に駆り出されることも少なくなかった。


 そして悲しいことに、俺もまたその戦奴なのであった。


 出自故に思考を縛るような薬物の影響こそは受けていないが、この身に刻まれた呪いは効力を保っている。

 その呪いが具体的にどのようなものであるのかは分からない。分からないが、戦奴にかける呪いである以上ろくでもない上に人体に配慮などされていないものだということは想像に難くない。

 怖いね。


「じゃあはい! 今日の分よ!」


「リン様」


 目の前の女の声で思考の海から現実へと引き戻される。


 俺の目の前には、うず高く積まれた本の山があった。


「ええっと、これが山の動物について。こっちが北方の建物の様式についてね。あ、それとこれは……なんだったかしら? まあいいわ!」


 多種多様、適当に選んだのではないかと思えるほど雑多な種類の本の数々を手に取りながら彼女は俺にそれを押し付けてくる。


「今日中に全部読みなさい!」


「……いや、でも」


「いいわね!?」


 ずい、と顔を近づけてくる。ふわりと得も言われぬ香りを彼女から感じた。香かなにかの匂いだろうか。


 黙り込む俺の反応を肯定であると受け取ったのか。返事を聞くことなく彼女は俺から体を離すと再び能天気そうな笑顔を浮かべた。


「それじゃあ、アタシは今回の討伐の報告に行くからね! いい子にしているのよ?」


 戦場でのイカれ具合とは打って変わって、俺には彼女のその態度がまるでごく普通の正常な人間であるかのように見えた。

 きっと、こちらの方が彼女の素なのだろう。いや、そうであってほしい。

 脳みそのネジが全て抜け落ちているかのような、あの狂人の姿が本性であると言われたら……こうして関わるのも恐ろしくなりそうだ。


 バイバイ、と手を振って彼女はこの座敷牢を後にした。


 完全に部屋の扉が閉まりきったことを確認すると、俺はため息を吐く。


「あぁ……怖かった」


 そう。彼女が眼前にいる間、俺は常に怯え続けていたのだ。

 理由は言うまでもない。数日前に、俺は彼女に首を落とされている。それだけではない、それ以前にもアンデッドの討伐に駆り出される度何度も斬りつけられている。

 いくら普段の彼女がまともであるからといって、恐怖を感じないわけがないだろ。


 しかし、ゲーム通りの筋道でこの世界が動くのだと考えると泣き言も言っていられないのだ。

 柳リンは『アンデッド・キングダム』のヒロインだ。高確率で今後酷い目に合うことが予想される。

 例えばあるエンディングではアンデッドに殺害された後、体中のあらゆる穴という穴に携えていた刀剣を突っ込まれて凌辱されていたり。また、アンデッドの危機を乗り越え生存しても味方殺しの罪状によって四肢切断の上で苦界へと堕とされたり。

 そういった未来が存在するキャラクターなのだ。


「見知ったキャラ……というか、見知った人達がそういう目に合うって分かっていて放置出来るほど、割り切れないんだよな」


 ゲーム内では散々彼女を凌辱し貶めてきた俺だが、あくまでそれはゲームの話。現実でそういったことを受け入れられるような胆力は俺にはなかった。


 実に消極的な動機だった。


「しかし、こうして牢に入れられるってのは警戒されているってことか?」


 リンの二つ名である『味方殺しの剣姫』。この異名は決して伊達ではない。

 彼女と戦場を共にした存在は、そのほとんどが彼女に殺されるという結末を迎えている。

 俺はそんな彼女と幾度とアンデッドの討伐に向かい、その全てにおいて生存している。


 これが優秀な戦士であったりすれば、まだ理解できるだろう。

 だが、俺はただの戦奴だ。無力な存在だ。死ぬことだけが求められている捨て石だ。


 疑われているのではないか?

 死なない存在――すなわち、アンデッドであると。

 だからこそ、他の戦奴とは異なる待遇を受けているのでは?


 戦場で豹変するリンは俺の異常性に気付いていないようだ。

 だが、周囲はどうだろうか。違和感を覚えている者がいてもおかしくはない。


 ゲーム内での自身の末路の1つを思うと身震いしてしまう。

 もしもアンデッドであることが知られたならば。それすなわち、俺の死を意味する。


「しかし妹様や鵺の存在を思えば今の立ち位置は捨てられんよなぁ……頭の痛い話だ」


 目の前に積まれた本の山から適当な一冊を手に取ってそう呟く。

 他の柳家のネームドキャラのことをも考えると、本当に頭痛がしてきそうだった。


――――


 後ろ手でその扉を閉めた直後、堪えていた吐き気に耐えきれなくなり早足で自室へと駆け込んだ。


「うっ――うぇっ、げほっ……」


 部屋に入るとほぼ同時に本当の限界が訪れ、畳の上に戻してしまった。

 あまり食事を摂れていなかったためか、広がった液体のほとんどが胃液であった。喉が灼ける感覚と鼻につく臭い、舌の上を転がる不快な味覚により一層の吐き気が誘引され、何度もえずいてしまう。


「はぁ……はぁ……」


 その衝動が収まったのは、収縮した胃袋が悲鳴を上げだすのとほぼ同時だった。彼女は苦し気に腹部を抑えながら、這うようにして部屋を進む。自身の吐瀉物で衣服が穢れるのも意に介さず向かった先は古めかしい木の階段箪笥であった。


「ごめんなさい……ごめんなさい……もう嫌、嫌なの……」


 うなされるように呟きながら、その箪笥の最下部へと手を伸ばす。

 引き出しの中にはいくつもの小袋が仕舞われていた。


 その1つを掴むと、乱雑な動作で手のひらにその中身をぶちまける。いくつか畳の上へと零れ落ちてしまったが、リンはそのことに気を留めない。


「んっ、ぐっ……んん」


 彼女はそれを口にする。一度に一粒、朝夕の食後に飲むよう薬師に言われていたそれを、手のひらに乗せられていた全てを。


 水も使わずに飲み込まれたそれは胃酸によって荒らされていた喉を刺激する。不快感を黙らすように、無理矢理嚥下した。


「はぁ……ふぅ……ふふ、あはは……」


 変化はすぐに現れた。

 始めに感じたのは、なんだが全身の力が抜けるような感覚。ふわふわとして、五感の全てが滲んで1つになってしまうかのよう。

 思考も柔らかくとろけていく。先ほどまで感じていた不安や罪の意識が消えていく。後に残るのはなんだか幸せな心地よさだけ。


 気付けば視界が一段と明るくなっていた。既に時刻は夕方なのに、部屋の中が眩しいほどに明るい。少し目が痛いほどだ。


 落ち込んでいた気分が次第に明るくなっていくのが自覚できた。


「ふふ、何を悩んでいたんだっけ?」


 そう呟いて、思い出した。ああ、また沢山殺してしまったことを自分は憂いていたんだった。

 けれど、どうして憂いていたのかリンは思い出せない。


 殺されるのは、殺される方が悪いのよね。

 殺されたくなければ、殺せばいいのよ。


「あ、討伐の報告に行かなきゃいけないんだった」


 そのことについてもリンは憂鬱に思っていた。

 思っていたのだが、どうして憂鬱であったのか今の彼女には分からなかった。


「ま、いいわ。何を言われようと、どう思われても。どうせ皆、アタシが斬れば死んでしまうものね」


 究極的に、命のやり取りを行えば自身の方が強い。その暴力的な考えの元、彼女は人間関係に悩まない。


 その戦奴の男は知っていた。

 彼女が強い女であることを。


 その戦奴の男は知らなかった。

 彼女が弱い女であることを。


 『アンデッド・キングダム』というゲームはアンデッドが人類を殲滅するゲームである。故に、作中で人類側の視点で描かれる描写はほとんどない。

 だが、人気を博した本作は様々な外伝やスピンオフ作品が後に作られた。そこで本編では知ることのできなかったキャラクター達の真の姿が数多く描かれていた。


 その男は確かに、前世で『アンデッド・キングダム』を楽しんでいた。あらゆる要素を遊びつくしていた。

 だが、それまでであった。外伝作品やスピンオフ小説等の媒体には一切触れていなかった。

 彼は、原作至上主義の原作厨であった。


 故に、彼が気付くことはない。

 思い至ることはない。


 命が軽い世界。アンデッドという脅威にさらされるような世界。

 そんな世界で、アンデッドと戦う少女の精神が異常をきたさない訳がないのだと。


 それは、柳リンに対しても同様であった。


「誰がどう思おうと、アタシの知ったことじゃないわ。だって、アタシにはナナシがいるんだもの、ね?」


 それは、決して恋心のような甘い感情ではない。


 戦奴には呪いが刻まれている。必要に応じて刻まれる呪いは千差万別。

 ナナシと呼ばれる戦奴にも、数種類の呪いが刻まれていた。

 その内の1つが服従の呪い。

 主人を裏切ることが出来なくなる呪いである。


「ふふっ、ふふふっ、あははははははっ!」


 絶対に裏切らない戦奴。死ぬのが当然の中、どうしてだか必ず生き残るその戦奴。


 裏切らないと信じてしまえる彼に依存するな、というのは無理な話であった。

 なにせ、信じることが出来る存在なんて彼女にはいなかったのだから。


「――っ!」


 リンは唐突に、腰に携えた妖刀の一本を投擲した。

 その妖刀が向かった先は、リンの自室に備え付けられた唯一の扉。

 刀はその扉を貫通する。直後、女性の大きな悲鳴が上がる。


「――こんな所で眠っているだなんてどうしたのかしら? あははっ、可笑しいわね?」


 部屋を出たリンは、目の前に倒れる女中に対して不思議そうに声をかけた。

 彼女の胸からは先ほど投げられた妖刀が生えている。明らかに致命傷であった。


「あら、これは何かしら……短刀? それも、毒が塗られているわ」


 愉快気な口調でそう言いながら、リンは女中の懐を弄り一本の短刀を取り出した。

 女中はパクパクと口を動かしたかと思うと、何も言うことなくそのまま事切れた。


「ふふっ、残念。誰からのお使いだったのか、聞きそびれちゃったわ」


 いつもの日常に対して、やはり朗らかに、楽し気に彼女は笑う。


 彼女にとって、この世界は正気では生きていけない世界であった。

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