第4話

 薄暗い森の中。

 それは西洋風の技法によって建築された教会であった。


 朽ちかけたステンドグラス越しに差し込む月明かりだけが、その教会の内部を照らす。経年劣化なのか、それともそれ以外の何らかの影響であるのか。レンガの壁は崩壊寸前であり、備え付けられた祭壇は既にその機能を失っている。


 その教会内、身廊の中心付近には1人の少女が自身の身を掻き抱くように蹲っていた。

 月の光に照らされて青く輝く黒髪のその少女は、自身に迫る複数の人影に怯えていた。恐怖のあまり叫び声を上げそうになるが、飽和した恐怖心のせいで上手く喉が動かない。擦れるような小さく高い声が僅かに漏れるばかりであった。


 人影が足音を立て一歩ずつ近づいてくる。その度に少女は震え、身を縮こませる。両の瞳からは既に涙が溢れていた。


 嫌、嫌と彼女は這うようにして後ずさる。迫る影から少しでも離れようと、動きにくい和装故にもたつきながら。

 と、彼女の背中に柔らかな感触。湿っていて不快な肉の感触だ。


 涙で滲む視界を向けると、そこには腐りかけた体から腐臭を放つアンデッドの姿があった。少女の口から声にならない悲鳴が上がった。


 少女がその男から離れるよりも早く、まるで逃がさないというように伸ばされた両手が彼女の肩を押さえつけた。腐りかけた両腕とは思えない膂力によって地面へと引き倒される。その腕から滴り落ちる血と膿が、悪臭を放ちながら彼女の上質な着物を汚していく。


 狂ったように手足を振り回して少女は逃れようとするが、彼女へと近寄る別の男達によって動きを封じられる。その者達もまた、全身を腐らせつつあるアンデッドであった。


 完全に身動きできなくなった少女は猶も暴れる。そんな彼女の正面に、一際大柄な男が進み出る。

 その男の全身は真っ赤に染まっていた。全身の皮膚が削げ落ち、露出した筋繊維と脂肪が血に塗れていた。口からは異常に伸びた舌が覗く。血走った両目は妖しく爛々と輝いていた。

 それは、グールと呼ばれるゾンビよりも上位のアンデッドであった。


 グールは少女の纏う和装へと手を伸ばすと、強引にその布地を引き裂いた。彼女の上半身が夜の冷えた空気に晒される。

 羞恥と屈辱、恐怖が綯い交ぜになった感情がその表情に浮かぶ。涙で濡れそぼった頬の紅潮がその心境を如実に表していた。


 起伏に乏しい彼女の胸部へと、そのグールは舌先を伸ばした。冷たく柔らかく、まるでヒルやナメクジが這うようなその感触に刺すような嫌悪感を覚える。肌を流れる舌は、まるで塗り込むようにして唾液と膿と血をその道程に残していく。

 少女は不快感に身もだえるが、数多くのアンデッドに押さえつけられた体は僅かに揺れるばかり。その受け入れがたい事実に、彼女の思考は絶望感に埋め尽くされた。


 そのグールだけではない。いつの間にか少女の周囲には数多くのアンデッドの姿が。まるで芳醇な香りを漂わせる果実へと群がる蠅のように、数えきれないアンデッド達が集っていた。


 彼らの腕が、舌が、少女へと向かう。衣類を剥ぎ取られ、全身余すところなく弄ばれる。抵抗しようにも彼女に出来ることといえば僅かに体を揺することと小さな叫びを上げることだけ。その少女は無力であった。


 その凌辱の最中、少女は気付いてしまう。

 まともな衣類を纏っていないアンデッド達の下腹部。怒張した姿を晒すその欲望に。


 自身に向けられる下卑た情念とこれから行われるであろう行為を理解してしまったが故に。おぞましく受け入れがたいその行為を想像し、彼女は半狂乱となって叫ぶ、藻掻く。

 しかしながら現実は無情、その彼女の抵抗は一切の意味を持たなかった。


 覆いかぶさるようにして、グールが少女へと迫る。


 やがて教会内は死者による狂瀾の宴が開かれた。


 そこで奏でられるは幼さの残る少女の絶叫と肉と肉がぶつかり合う卑しい響き、淫らで厭らしい水音によって彩られた狂気の旋律。生に縋りよる死者の欲望によって演奏されるその音色は、聞く者の正常な精神をも犯すほどに破滅的であった。

 小柄な少女に代わる代わる重なる腐肉達。その絶望は、その冒涜的な行為は建物内に差し込む光が太陽のそれへと移り変わるまで終わることはなかった。


――――


「――――はぁっ、はぁっ……!?」


 目が覚めてから、彼女が今しがた体験したそれが夢の中の出来事であったと理解するまでにはそれなりの時間を要した。

 それほどまでに、その夢は現実感を伴って彼女の脳裏に刻まれていた。


 森の中に建てられた見知らぬ教会。アンデッドの群れに飲み込まれ、凌辱の限りを尽くされる自身の肉体。穢される純潔と尊厳。肌をなぞる不快な肉の感触――


「うっ……おぇ、ごほっ」


 あまりにも生々しい感触に吐き気を催す。事実、彼女は嘔吐した。

 口内に広がる苦みと生臭い臭い、喉に張り付くようであったその粘つく感触。夢であったはずのその白濁の記憶から誘因される催吐感が消えない。

 口から吐き出されたのはその汚らわしい体液ではなく、自身の胃の腑から分泌された酸だけであった。その事実が、いくらか彼女に冷静さを取り戻させる。


「夢……そう、夢に決まってるよね……なんて酷い夢……」


 言い聞かせるように呟くその言葉が頭に染み入る度、柳ユイはそれが夢であったことを実感していく。同時に彼女は安心感と怒りを覚えた。

 夢で良かった。どうしてこんな夢を見るのか。その相反する感情に対して深呼吸することでどうにか折り合いをつける。


「ただの、夢……そうに決まってる。だって、私があんなアンデッドに……ゾンビとグールになんて、そんなことありえないんだからっ……!」


 落ち着きを取り戻したユイであったが、彼女の思考はすぐさま激情に支配された。


 不愉快であった。自身があんな低級のアンデッドに、あのような浅ましい行為を強要されるなんて。あろうことか、死にたくないと、殺さないでと泣いて許しを請い、彼らの求めるがままにこの身を差し出したなんて。

 夢であろうと許せるものではない。彼女の誇りが、尊厳がそれを許さなかった。


 しかしながら、相手は夢の中の存在だ。現実には存在しない。この感情を向けるべき相手は何処にもいない。


 故に、彼女の怒りは最も昇華しやすい形で発露されることとなった。彼女が最も嫌う相手に対してその矛先が向けられる。

 分かりやすい八つ当たりだ。


「……そうだ。あの女も、今の夢みたいな目に合えばいいんだよ。そうだよ。だって私だけこんなに辛い思いをするなんておかしいもの」


 そういえば、つい最近ゾンビとグールからなる集団の討伐依頼が柳家に持ち込まれていたな、と。そのことを思い出しユイは口元を歪める。


 あの女が、姉がゾンビやグールに後れを取るとは思えないが、それでも別に構わない。今の彼女はただ、己が内で消化しきれない感情の嵐の憂さ晴らしがしたいだけであったのだから。実際に姉が被害を受けずとも、少しは気が紛れるであろう。

 理不尽なことである。だが、彼女にとってそれは間違った行動ではない。


 そうだ。むしろ正しい行いだ。人類はアンデッドの脅威に晒され続けているのだ。それを取り除くべく、戦えるものを戦場へと送り出すことの何が間違いであるというのか。


「でも普通に討伐するだけじゃつまらないよね? やっぱり何事も楽しくなくっちゃ!」


 そう。例えば情報や物資を制限したり。戦奴の中に裏切る者を紛れ込ませたり。

 楽しい楽しいサプライズ、というやつだ。


「そうと決まったなら急がなくっちゃ! ふふっ、驚いてくれるかな?」


 悪辣な、それでいて実に楽し気に。昆虫の羽根を毟り取って遊ぶ幼子のような無垢な残酷さを表情に浮かべて。

 柳ユイは姉を陥れるべく動き出すのであった。


――――


 時刻は正午を迎えようかという頃合い。

 暑くもなく寒くもない秋の風を受けながら、俺達は碌に整備もされていない獣道のような街道を歩いていた。


 天候はまさに絵に描いたような秋晴れ。雲一つない青空の元をゆっくりと進む。しかしながら、俺の心境はその空模様とは対照的な陰鬱としたものであった。


 ……いや、そもそも戦奴である俺が外を歩いている時点で陰鬱になると言えばそうなのだけど。

 戦奴が使われるのは重労働、もしくは死の危険が伴うアンデッド絡みの何かだ。

 主人であるリンからの話によれば、今回のお仕事はアンデッドの調査であって討伐ではないから危険はない……らしいけど、それもどこまで信用できるか分かったものではない。


 背後を歩く淀んだ瞳の集団を見ながら、俺はため息を吐いた。

 彼らの半数程はリンの所有している戦奴ではなく、その妹のユイから送られてきた戦奴達だ。


 柳ユイ。彼女もまた、『アンデッド・キングダム』に登場するヒロインの1人である。

 外見は純真無垢の小柄な美少女。ファンからの愛称は柳リンの妹ということもあって『妹様』。パーソナルカラーである暗めの青を好み、髪も瞳も同様の色合いをしている。言動に幼稚さが垣間見えることもあるが、その実かなり賢く策謀家な一面も持ち合わせていたりもする。まあそれでも根っこの部分は外見通り感情で動くタイプなんだけど。


 んで、この柳ユイなんだが。

 こいつが結構な曲者なんだよな。

 

 原作ゲームにおいては、姉である柳リンを殺害、あるいはアンデッド化することによって登場するユニットで実質的な柳家攻略におけるラスボスだ。

 登場が姉の後ということもあり、各種ステータスは姉よりも高く設定されていた。剣術等の物理的な暴力性ならば姉の方に軍配が上がるのだが、それ以外のステータスは全てユイの方が優れている。特に魔術関連の性能は圧倒的。攻撃、回復、バフデバフとあらゆる魔術を使いこなす。ゲーム内には登場しなかったのだが、設定上は使い魔の使役や呪いの類に精通しているらしい。

 姉と違い、戦場で暴走するようなデメリットもない。人類側のユニットとしてはかなり使いやすい性能をしていると言っても良いだろう。


 まあ、彼女には特殊勝利イベントが用意されていたから攻略自体は簡単なんだけどな。まともに戦おうとすれば確かに骨が折れる相手ではあるけれど。


 そんな柳家の次女たる柳ユイは、長女である柳リンに対して並々ならぬ感情を抱いているらしい。

 らしい、と断言できないのは、作中で彼女の直接的な心理描写が描かれていないためである。あくまで『アンデッド・キングダム』はアンデッドが主役のゲームだからな、推測交じりになってしまうのも仕方がない。


 柳家の後継者である柳リンに対し、嫉妬心なのか、それとも柳家当主の座を狙ってなのかは定かではないが、ユイは度々嫌がらせを仕掛けたり直接的に刺客を送り込んで殺害しようとする。実際にゲーム内では特定のアンデッドユニットを獲得後に彼女と接触し唆すことでリンを暗殺することも出来た。

 人類生存エンド、すなわちアンデッド側のバッドエンドにおいても彼女はリンの暴力性から彼女を弾劾、最終的に四肢切断の上で苦界へと堕としたりもする。

 その程度には、ユイは姉のことを嫌っているのだ。


 ……人類生存エンドでは、その後彼女自身も大概な目に合うんだけど。どうあがいても人類側のヒロインが幸せになれないのがこのゲーム、製作陣は頭のおかしいリョナリストの集まりに違いない。


 現在俺の背後で付き従うように闊歩しているのが、そのユイがわざわざ姉に分け与えた戦奴達である。

 名目上は、先日のアンデッド討伐で減少した戦奴の補填である。親愛なる姉君に妹からの心づくしという訳だ。


「信用するか? 普通」


「ナナシ? どうかしたの?」


 俺のその呟きに、集団の先頭にて馬に乗っていたリンが振り返った。


「いえ、なんでもありません」


「そう?」


 首を傾げるリン。


 頭の痛いことに、彼女は妹が自分を害そうと考えていることに気付いていない。原作でもそうだった。なまじ実力があり襲撃を容易に撃退出来てしまうため、彼女はそれらに対する危機感が薄いのだ。故に妹を疑うことをしない。きっと、彼女は自分と妹の中は良好であると認識していることだろう。送られた戦奴に関しても感謝しているに違いない。


 どれだけ能天気なんだこの女。そんなんだから簡単に暗殺されたり謀殺されたりするんだぞ。


 とはいえ、彼女がそういう性格であることは分かりきっているし今に始まったことではない。ただの戦奴でしかない俺にどうにか出来る問題でもない。


 人類の守護者という意味でも姉妹としても、仲良くしてくれるのが俺としては助かるんだがな……


 無理か。無理だろうな。

 ゲーム内でも、どんな行動をしようと終ぞ姉を受け入れることがなかったユイだ。姉の方はともかくとして、彼女がリンと友好的に接する姿はどうにも想像できない。


 決して嫌いではない、どころかむしろ好きなキャラではあったんだけど……実際に関わるともなると、やっぱり面倒だわ妹様。


 街道を進んでいくと、やがて農村が見えてきた。

 山から流れ出てくる川に並ぶように作られた小さな村だ。斜面を棚田にして水稲を栽培している。季節は初秋だがいくつかの田では既に収穫が始まっているようで、それらには刈り取られた稲の株だけが残されていた。また、少し離れた平地にも畑が広がっておりそちらではイモ類が育てられているようだった。


「さてと、アタシは村で話を聞いてくるからナナシはここで待ってなさい!」


「分かりました」


 少しだけ離れた場所でそう言い残し、馬に乗ったリンは依頼の詳しい内容の確認のために1人だけで農村へと向かっていった。


 戦奴はアンデッドと戦うために使いつぶされる人材だ。

 俺の前世の日本と同じ穢れの概念が存在するこの世界では、アンデッドと関わりの深い俺達戦奴は穢れている存在として認識されている。そのため何処の村だろうと町だろうと、戦奴が入ってくることを嫌っている。直接的に死に近い身分であるということも関係しているのだろうな。


 だからこそ、こういった状況では村の内部へ入るのはリンだけだ。俺達戦奴は彼女が戻ってくるまでの間、こうして待ち続けることとなる。


 今回の仕事はたしか、この近辺でアンデッドらしき存在が目撃されたからその調査をして欲しい、だったっけ?

 正直、調査の依頼がリンに来ている時点で違和感満載なんだよな、ホントに。


 柳リンはバリバリの武闘派だ。ゲームでは『味方殺しの剣姫』の二つ名の表す通り、戦闘特化型のユニットだった。

 この世界は完全にゲームの世界と同じ、という訳ではないのだが、それでも彼女が調査や諜報といった分野よりも戦うことに適した存在であることは間違いない。


 そんな彼女にアンデッドの調査依頼。


 どう考えても、裏がある。

 もし素直にこれをリンへと依頼したのだというのなら、それこそ依頼主や柳家で仕事を管理している者はアホだとしか言えないだろう。


 これはゲームのイベントなのだろうか? それとも、いつものようなごく普通の日常としての1コマなのか?


「人類側のイベントは把握できてないんだよ……そもそも描写されてないものも多いだろうし」


 アンデッド側の視点のものであれば、俺はそのほとんどを空で言える。発生条件からその内容、分岐、結末までパーペキだ。

 しかし、人類側のそれはそうはいかない。そもそも描かれていない、知りようがないものだ。


 リンはきっと、この依頼に対して何の疑問も抱いていないだろう。なにせ、本来薬で思考力を奪われているはずの俺と当たり前のように会話するような女だ。

 彼女の危機感や注意力といったものは信用に値しない。本人の実力が高いが故に必要となる機会がこれまで訪れなかったのだろう。強者であることの弊害だな。


 実際、並大抵のことは平気で乗り越えてしまうのが柳リンという人物である。

 ゲーム内で彼女を攻略する正攻法が、大量のアンデッドの物量で動かなくなるまで戦い続けさせるであったような化物なのだ。妹の仕掛けた陰謀の数々も、プレイヤーが手助けしなければ彼女が死ぬことがない。


 今回のこの依頼が柳リンを陥れる陰謀であったとしても、なんとかなってしまいそうな気はする。


「……リンは無事でも、俺はとばっちりを受ける羽目になりそうなのがまた。困ったものだよな」


 拭いきれない嫌な予感に、本日何度目かのため息を吐いた。

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