第29話 風光明媚なテントスの川
「……あれ以来で、ござるな」
馬車の手綱を器用に操りながらグリンボが神妙な面持ちで口を開いた。ビヨルンはその言葉に無言で頷く。
ものすごい緊張感が走っているのを一瞬感じたが、テントスの川は穏やかだ。花が咲き、鳥のさえずりが響きピクニック日和といったところ。
デンガー国にもこうした風光明媚な川や山はけっこうある。ハーブティーやハーブ酒に使う野草を探しに出かけたついでに家族と一緒に出掛けたのも懐かしい思い出だ。
よくダナも連れて行ったったけ……。
難産の末に生まれたダナは、自分の命と引き換えにお母さんを亡くしている。そのこともあり、娘のように両親は可愛がり姉妹のように時を過ごした。
こうして馬車に揺られると過去の楽しい思い出が次々に頭に浮かんでくるから困ったものだ。
小さい頃は無邪気でも、成長し邪心がそれを食い尽くしてしまうこともある。そんなことを嫌というほど学んだ。
普通なら人間不信に陥るが、ビヨルンのおかげで短期間で色々なことが起きそんな暇もない。
「よし、この辺りの河原ならテントを張りやすいだろう」
「旦那様、了解でござる」
馬車を止めて河原へと向かう前にビヨルンが杖を一振りするとなだらかな坂道が出来た。これで馬も楽々と降りられる。
「その技術があれば、お城ひとつも簡単に出来上がるでござるのに」
語尾がいつもと違うグリンボが、もったいないという感じでビヨルンに声をかかるが同感だ。杖を振りかざせば出来ないことなんて何一つなさそうだ。
「そんなことをして、宮廷お抱えの大工たちの仕事を奪いたくはない。それに、人前で杖を使うことはジット家では禁じられている」
「さようで、旦那様」
確かに王宮に招かれた際、『ビヨルン・ジット公爵』として参上していた。
魔術師ビヨルンは絶対に知られてはいけないもう一つの顔。杖は隠し持っていたがコンパクトサイズにして胸ポケットに入れたいたっけ。
「よし、ここで聖剣探しを本格的に行う。サナ、お前にも手伝ってもらう」
軽く呪文を唱えると、ビヨルンの胸元から水筒が飛び出しボンという音と共にサナが姿を現した。
「ヤダ、ここ。嫌です、ご主人様~」
出てくるなり文句を言い出す。女給頭だけれどけっこう自由だ。
「我慢するでござる!」
「なによ、爺様は!」
「重要任務中でござる!」
「私の気持ち分かっているの!?」
「痛いほど分かるでござる、サナ」
二人のやり取りを聞いていると、どうやら単なるわがままだけではないようだ。何か深い深い理由があるみたいだけれど……。
「二人ともよさぬか。今は聖剣を探すことに注力して欲しい」
「……はい」
「……御意でござる」
何だろう。やっぱりビヨルンの様子も微妙におかしい。いつものような冷静沈着さにほんのわずかだけれど乱れを感じる。
そしてグリンボとサナは心乱れている。よし、ここは落ち着かせるためにカモミールティーを飲んでみるとしましょうか。
いや、ここはローズマリーの方が良さそうだ。
「天気も良いですし、皆さんお茶でも飲みませんか?」
私の言葉にサナが反応する。
「何にも知らない身分はいいわよね!」
いつになく八つ当たりをしてくるが気にせずにお茶の準備をしましょう。馬車の荷台のティーセットが欲しい、と念ずればテーブルにセッティングされるはず……。
そう思ったらティーセットが宙を舞い、次に見たときにはお行儀よくテーブルの上に並んでいた。
「あらら、一瞬でお茶が入ったようです」
サナが口をあんぐりして今起きたことに驚いている。私もそんな気分だ。
「ローズマリーですな。爽やかな香りが漂うでござる」
「……私も頂こう」
「ご主人様が飲むのであれば……」
三人が飲み始めるのを見ていると、テントス川周辺の景色がどんどん変わっていく気がした。なんでだろ、晴れているのに周辺が暗く感じる。
『これ以上は危険なようだ。またの機会にするしかないな……』
『川の向こうをご覧になって。何者かの存在を感じます!』
『ご当主様! 奥様! 危ないです。お下がりください……』
男性一人に女性二人。女性の声はどこかで聞き覚えがある。この声をもっと甘い感じにすると……。
「サナ?」
突然聞こえてきた声の一人が、サナに似ていることに気がつき思わず大声で叫んでしまった。言われた本人はキョトンとしている。
「どうされました~軍師様?」
仏頂面で不機嫌そうだが、聞こえてきた声の主と無関係ではなさそうだ。
どうやらローズマリーを飲むともっと詳しく分かるかもしれない……。
『やはり彼の国の強固な結界が少しずつ剥がれているようだ。国境を補強しなければ遅かれ早かれ我が国にも影響が出てしまう』
『早く戻り、陛下に伝えましょう』
『とりあえず、応急措置が先だ。これをしなければ結界に亀裂が入る。しかし、彼の国の国王は何者だ?』
『元はヤギ使いの少年。ある日、ヤギが赤黒く光る石をくわえてきたことで運命が一変。偶然通りかかった国王一家の馬車を引いていた馬を手当てし、褒美として貴族の養子となり上流階級に食い込む……』
どうやら会話が前後しているようだ。
でも、不慮の事故でなくなったというサナのお母さん、そしてビヨルンの両親もここに来ていた。
おそらく三人の雰囲気からここが事故現場なのだろう。聞こえてきたことを教えたいけど、大切な家族を亡くした二人に話すのは気が引ける……。
『あの聖剣だ。あれを欲している。隠さねば。ペアとなるドラゴンを探し当てるまで隠し、彼の国王の持つ邪悪なパワーを持つ石を封印せねば……』
『奥様、魔術師達は本当にいないのでしょうか?』
『静かに時を待っているのでしょう。ポーションを作る薬術師、医術師そして街の人になりすまして』
「どうしたでござる? イーナ殿、イーナ殿?」
耳を澄まして会話を聞いている様子が変だと思ったのか、グリンボが体をゆすってきた。
「いえ、ローズマリーを飲んだら妙な会話が聞こえてきたものですから」
「……妙とは?」
ビヨルンが憂い気な表情で私の顔を覗き込んできた。こんなことを不意打ちでされたら息が止まってしまう。
「いえ、あの……」
「キー、優柔不断過ぎてイライラする!」
「まったく、サナは落ち着くでござる」
「ちょっと会話が聞こえてきたので。そして、その声の主がビヨルンのご両親とサナのお母さんだと思います……」
言い合いをしていたグリンボとサナが顔を見合う。ビヨルンも明らかに動揺し、ほんの少しよろけたのを見逃さなかった。
「教えてくれ、イーナ。ここで一体何が起きたのかを……」
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