第24話 デンガー国では~兵士の直感~

「サンターレ様のようなお方でも魔術師を知らないとは……」


 現在のデンガー国は混迷を極める入口のように思える。王宮にいる上流階級の方々は現実が見えていないのだろうか?


 やはり生まれながらにして高貴な身分の方たちと私のような平民出身者は考えも異なるのをこの一週間強く感じる。王宮の倉庫から穀物が消えているだけではない。街はもっと酷いことになっているのだ。


「これでは商売にならない。隣のフォスナンで仕事をしてくる」


 父と母が長い年月をかけて大きくした運搬業を、知人のつてでフォスナン国で続けると聞いた時は心臓が止まるかと思った。


 国王がフォスナン国を手に入れようと動き出しているのは聞かされている。いくら親とは言え軍人の身。国家機密を親にさえ言えぬのが辛い。


 なんとかその日は説得することができたが、昨日知人から両親と弟がフォスナン国へと旅立ったと聞かされた時は……。


 目の前にあるキャロン運送業の店内は空っぽで、あれだけ人が行き来したのがまるで嘘のようだ。


 私が強く言い聞かせたことが逆効果だったのだろう。それに両親の仕事が困窮するということは、すなわち商人たちの多くはその日を暮らすのも大変なことになっていることを意味する。


 軍に身を置くこともあり、今のところ食に窮することはないが急速に質素になっている。不満を言う者も増えだしたのは良くない。この空気の中でフォスナン国に戦いを挑むのは無謀だ。


 軍が強いという噂は聞かぬが、食に困る兵士がまともに戦えるはずはない。こうして宿舎近くの市を見ていても、変貌ぶりは信じられないものがある。


「神の怒りに触れたかのように我が国の状況は悪化しているのじゃよ。護り人を蔑ろにした罰じゃ」


 突然、背後からしわ枯れ声の老婆に声をかけられた。人の気配はしなかった。どこから現れたのだろうか……。


「神の怒り、護り人とは?」

「お前は、キャロンのところの息子かい」

「……そうですが」

「それなら聞いたことがあるだろう。街のあちこちに、国に張り巡らされた結界の話を。魔術師がなぜこの国から消えたかを」


 私の目の前にいる老婆は、父と母のことを知り魔術師のことを知っているようだ。小さい頃から店に顔を出していた長老たちと同じように。


「……何かご存知で?」

「デンガー国は階級が厳しいが、人々の噂話には肝要。それが唯一の救い。特別な階級の間ではすっかり伝承されておらぬが街に住む市井の人間の方が詳しいからの」


 指摘の通りだ。軍人への道を歩むときに感じたのが魔術師への知識量だ。まだ商人や職人やその子どもの方が詳しい。


 先ほどのデンガー様の反応を見てもそうだ。見えない壁は階級だけではなく消え去った魔術師の話でも同じように壁、差がある。


「安定を壊そうとする者には遅かれ早かれ罰が下される。我々が知らないところで身を粉にして護っていた者を蔑ろにするとどうなるか。今はだれも見向きもせぬ書物に記されている。キャロンの息子よ、お前には良心がある。これを授けよう。必ずやお前の身を護るであろう……」


 平らな黒曜石の真ん中がくりぬけられたペンダントを渡された。年代物でかなり値打ちがありそうだ。これを何の対価もなく貰うのはためらわれる。


「高価なペンダントを見知らぬ方から……」


 辺りを見渡すと砂埃が舞う人気のない街が広がっていた。老婆が隠れる場所もない。一瞬の間に消えてしまった。


「まさか、魔術師か?!」


 そう思った瞬間、真後ろから馬のひづめの音が聞こえてきた。誰もいないこの市に用事があるとは一体誰だ?


「この辺りでござんした」

「本当に? 人っ子一人いないじゃないの!」


 会話から下男とお嬢様といった感じだろうか。付き添いの男もいる。貴族の娘か?


「おっと、兄さん。この辺りで医術師を見かけなかったかね?」


 下男と思われる男に声をかけられ、私はとっさにペンダントを腰につけている袋に入れた。不思議なことに、砂埃がたちまち消えて行く。


 いかにも上流階級然とする若い娘が立派な馬に跨っている。何の用事でここに来たのだろうか。


「先ほど、老婆なら見かけたが」

「こ、これは失礼いたしました。お身分の高い方とは思わずに失礼を」


 男はその場で土下座をした。そんなに失礼なことはしていないのに大袈裟な。それとも、仕えている家ではこれが当たり前なのだろうか……。


「顔をあげよ。薬術師とはしわがれ声の老婆のことか?」

「へ、へい。左様でございます」

「ポーションなどを売っている様子はなかったが、砂埃で一瞬にしてどこかに消えてしまったようだ」


 私の説明に不服そうな顔をした娘が下男と付き人に指示を出す。


「それならまだこの辺りにいるはずよ! 探し出して! ところで、どんな話をされたのです?」


 なんとも二面性のある娘だ。あまり関わり合いたくないから早く宿舎へと戻るとするか。


「……人がいないと商売ができぬ、と愚痴を申しておりました。私は仕事がありますゆえ、これで失礼します」

「お、お名前を!」

「名乗るほどの者ではないので」


 よく分からぬ娘だ。とにかく私は宿舎へと戻ろう。とにかくこの街の状況は完全におかしい。そして、隣国で商いを始める両親や従業員の安全を確保するため戦を回避しなくては。


 あの老婆が口にしていた古い書物。軍人の身を利用し、王宮図書館で調べよう。そして、短期間でここまで国がおかしくなった事実を突き止めよう。


 結界を護る誰かが何かしらの打撃を受けた。この一、二週間でデンガー国で起きたと言えば両親や出入りの業者も足を運んでいた酒場の件くらいだ。


「酒場か……。ハーブ酒が好きな母が店主に頼み込んで瓶で購入していたはずだが、それもフォスナンへ持って行ったのだろうか?」


 妙な胸騒ぎを覚え、急いでキャロン運送業の裏口に回ってみると鍵がかかっていなかった。


 「これは何かある」と私の直感がそう告げた。


 静かに中に入り台所の床下に隠されている小さな貯蔵庫を開くと、ハーブ酒が入っている思われる瓶と母からの手紙が置いてあった。


「愛しいローメへ。フォスナン国で商いをするため旅立つことを許して。我らが故郷デンガーはすっかり変わってしまった。軍人であるあなたに直接伝えることはできないけれど、人々は『アリアナの呪い』と噂しています。」


アリアナの呪い。国家反逆罪の罪で店主夫妻と年若き娘が連れ出され裁判にかけられることなく処された。


「それを指揮したのが店主夫妻と家族ぐるみで交流のあったサンターレ様、か……」

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