幽霊と妖怪事典


 竹林に囲まれた、静かな香梨寺こうりんじ

 その本堂では、幽霊による怪談会が行われる。

 境内から見た本堂の正面には、小ぶりの賽銭箱が設置されている。

 香梨寺の住職いわく、持ち歩けない小銭入れ。

 その存在感は薄いが、訪れる者が少ない訳ではなかった。



 その夜も、怪談会のMC青年カイ君は、ひとり本堂で準備を進めていた。

 座布団を運んでいると、どこからか女性のすすり泣く声が聞こえる。

 まだ、参加霊はひとりも来ていない。

 カイ君は、本堂の木戸を開けてみた。

 木戸よりも横手に設置されている賽銭箱の前で、幽霊の女性が手を合わせて泣いている。

 床に膝をつき、カイ君は、

「どうしました?」

 と、女性に声を掛けた。

「……えっ」

 泣き腫らした顔を上げた女性は、すぐに頭を下げた。

「すみません。もう、お邪魔になる事は無いと思ってたから……」

「まあ、お互い幽霊ですからね」

 優しい笑みを見せ、カイ君は言った。「それで、どうなさいました?」

 女性は俯き、涙を擦りながら、

「いえ、あの……どうしても、気になる事があって」

 と、呟いた。

「気になる事、ですか」

「……幽霊が、妖怪事典に載っていたんです」

 女性は、静かに言った。

 その言葉に、カイ君は目を丸くする。

「えぇっ? マジすか?」

 と、若者全開な返答をしてしまい、カイ君は軽く咳払いした。

「すいません。それは確かに、気になりますね」

 頭を掻きながらカイ君が言うと、女性は泣き顔に薄く笑みを見せた。

「はい、驚きました。例えば『怨霊』や『悪霊』という名前で並ぶなら、わからなくも無いんです。でも、死してなおこの世に残る~って、普通に幽霊の説明書きがされていました」

「妖怪事典というと、河童とか小豆洗いとか、ぬらりひょんなんかと幽霊が並ぶって事ですよね。うーん、違和感がありますけど、人間の死後の状態となると宗教的な相違とか配慮が必要になるんですかね。それならいっそ妖怪としての幽霊みたいな存在で、怪談や妖怪好きな人に紹介してしまおうという事でしょうか」

 首を捻りながら、カイ君は考え込む。


 夜風が静かに流れていく。虫の声も、今夜は静かだ。

 女性は表情を曇らせ、

「死んだらもう人間じゃないって、言われた気がしたんです」

 と、静かな声で言った。

 カイ君はゆっくりと頷き、

「そういう意味でも、受け取れてしまいますね」

 と、答えた。

「怪談とか妖怪とか、好きだったんです。それで妖怪事典も買ったんですけど……よく考えたら、やっぱり幽霊が載ってるのはおかしいなって、気になって気になって」

「僕が言うのも変ですが、生きている人たちからすると、大抵は幽霊を信じるか信じないかという感覚ですからね。恐怖の対象として妖怪と並べても、違和感をもたない人が多いのかも知れません」

「確かに、そうですね。だからこそ、かも知れません。人の不幸を怖い怖いと言って楽しんでしまうのは、不謹慎だなと思うような怪談もありました」

 女性の言葉に、カイ君は大きく頷いて見せた。

「わかります」

「でも……結局、自分たちと同じ立ち位置に居ると認める相手だけが人間で、怨みを持っていたり未練があってこの世に残るような幽霊は人間として認められないのかなって……どうしても、納得できなくなってしまって」

「それで、幽霊と同じ立場の中へ、飛び込まれたんですね」

 カイ君が聞くと、女性は数秒、口をつぐんだ。

 そして、ゆっくりと顔を上げ、

「……はい。私は幽霊です。私は、人間ですか?」

 と、聞いた。

「もちろんですよ。あなたは人間です。そして、僕と同じ幽霊ですね」

 明るい笑顔で、カイ君は答えた。「これからここで、幽霊による怪談会が行われます。ご一緒しませんか?」

 女性はハラハラと涙を流し、両手で顔を覆って頷いた。

「どうぞ、こちらへ……まだ座布団並べの途中ですけど」

「あ、手伝います」

「あっ、助かります。僕は怪談会のMCをさせてもらってまして――」



 今夜も、怪談会が始まる。

 幽霊だけでなく、様々な存在が参加する怪談会だ。

 困り事を相談したり、身の上話をして気持ちを楽にしていったり。

 安心して参加してもらえるよう、MCの青年カイ君は笑顔で参加霊たちを出迎える。

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