旅する物


 竹林に囲まれた香梨寺こうりんじ

 その本堂で夜毎に行われる怪談会が、今宵も始まろうとしている。


 年の瀬も近付くころ。

 その中年男性は、汗だくで座布団に胡坐をかいていた。

 ネクタイをきっちりと締めたスーツ姿だ。

 ハンカチで拭うのも間に合わず、肩や膝元にポタポタと汗がしたたり落ちている。

「本日の参加者の皆さん、集まられましたね」

 怪談会MCの青年カイ君は、御本尊を背にして座っている。

 汗だくの男性の隣で若い女性が、さらに隣の座布団に目を向けた。

 席取りのように、座布団に扇子がひとつ置かれている。

「本日最初のお話を始める前に、お待ち合わせの扇子が先に到着していますよ」

 カイ君は汗だくの男性に言い、扇子の置かれた座布団に目を向けた。

「――あぁっ、僕の相棒っ。良かった!」

 汗だくの男性は声を上げ、間に座る女性の後ろをドタドタと四つん這いで移動した。

 座布団から扇子を掴み上げると、すぐに開いて扇ぎ始める。

 水墨画風のトンボが描かれた、男性用の扇子だ。

 自分の座布団に戻りながら男性は、

「いやぁ、助かりました。暑がりなもので、この相棒がないと参ってしまって」

 と、笑っている。

 その隣で、若い女性の視線は『上着を脱げばいいのに……』と、言いたげだった。

「えー、それでは。本日、最初のお話をお願いできますか」

 と、カイ君は扇子の男性に話を促した。



 この扇子は、祖父の遺品なんです。

 特別な思い入れがあると言うよりは、遺品整理をしていて出てきたので使っているだけなんですけど。

 もう10年以上、使ってるのかな。

 この扇子は何度も失くしているんです。

 駅で落としたり電車内で落としたり、会社でも何度か。

 落とし物センターなどに届けられて、毎回手元に戻ってきていました。

 それでも、今回はどこで落としたのか、わからなくなっていたんです。

 いやぁ、見つかって良かったです。

 確かに鞄に入れたはずでも、すり抜けて落ちたりするんですよね。

 この扇子は、旅に出たがるんですよ。

 失くしては手元に戻ってくる物ってありますよね。

 物も、旅に出たがることがあるのかも知れません。



 扇子の男性が話し終える頃には、すっかり汗も引いていた。

 扇いだ風が流れる方向に座っている女性は苦笑いだ。

「なるほど。僕も身に覚えがあるような気がします」

 カイ君は頷きながら立って行き、扇子の置かれていた座布団を抜いた。

「間が空きますね。もう少し、こちらへどうぞ」

 と、苦笑いの女性に、さりげなく距離を取れるよう促した。

 抜いた座布団は、本堂の隅に重ねられている座布団たちの上に戻す。

 トコトコと自分のペタンコ座布団へ戻ると、カイ君は、

「見つかって良かったです。扇子の方も、きっと旅には出たいものの帰りたくもなるから、この怪談会へ来たのでしょうね」

 と、話した。

 男性は頷きながら扇子を眺め、また笑顔で扇ぎ始めた。


 死者と、人に関わる物が出会える場所。

 以前、首無しライダーも探し物の首と出会えている。

 失せ物との待ち合わせにも定評のある怪談会だ。

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