紙風船
疲弊した様子の中年男性が、紙風船を手にしていた。
駄菓子屋などで見かける、子どもの頭ほどの大きさの紙風船。
紅白の薄紙で作られた、息を吹き込んで膨らませる紙の風船だ。
軽いはずの紙風船だが、中年男性は両手で抱えるように俯いている。
怪談会MCの青年カイ君は、
「キレイな紙風船ですね」
と、中年男性に聞いた。
「……キレイなんてものじゃない。これは、足枷に繋がる鉛玉だ。いや、鉛なら硬い分、いくらかマシだったかも知れない」
と、中年男性は俯いたまま答えた。
内心、首を傾げながらもカイ君は、
「詳しく、お聞かせいただけますか」
と、話を促した。
あれは突然、俺の前に現れたんだ。
赤い着物の少女……この紙風船を持っていた。
相手の損を考えない人。
相手の損こそ己の得とする人。
それをしなければ損をさせられると思う人……。
この紙風船を潰すと、そういう人種がみんな死にます。
絶滅するんです。
そう言って笑いながら、紙風船を両手で潰そうとした。
俺は、少女の手を掴んで止めたよ。
少女は、くすくす笑ってた。
『程々になさいませ』
そう言って、姿を消したんだ。
気付いたら、自宅の書斎にいた。
夢だと思ったよ。
だが目の前の机に、この紙風船があったんだ。
こんなものを持ち込む奴は誰も居ない。
……バカみたいな話だ。
俺は、この紙風船を金庫に入れて保管した。
毎日確認して、息を吹き込み続けた。
仕事上の罪悪感なんてものは、持ち合わせちゃいないと思っていた。
だが、内心では気にしていたのか。
そんな事を気にしていると思われる訳にいかない。
だから誰にも相談せずに、ずっと、紙風船を膨らませ続けた。
死んでも、まだついて来る。
俺はもう、死んだじゃないか。
これが潰れたら、俺はどうなるんだ。どうすれば良い?
あんた、わかるか?
両手で紙風船を差し出し、中年男性はカイ君に聞いた。
静かにカイ君は小首を傾げ、
「着物の少女とは、お隣にいる女の子でしょうか」
と、聞いた。
中年男性の隣の座布団に、5歳ほどに見える赤い着物の少女が座っている。
「うわっ、うわあぁっ!」
声を上げ、男性が仰け反った。
その拍子に、紙風船が着物の少女の前に転がった。
「なっ、なんで、俺に紙風船なんかっ」
着物の少女は、大切そうに紙風船を拾い上げた。
「かわるため」
と、少女が答える。
「……かわる、ため?」
「あなたに工場を潰された内のひとりに、家族を残して首を括った人がいたの。あなたは見向きもしなかったから、知らないけど」
紙風船を撫でながら、少女は話す。
「……その恨みだって言うのか」
「その人は、子どもの誕生日に玩具も買えなくて。手元に残っていた小銭を集めて、この紙風船を買ったの。その子が一回膨らませただけで、お母さんが一緒に心中しちゃったから、紙風船の持ち主はいなくなった」
「知りもしない所で死んだ家族の、恨みの紙風船だったのか。そのせいで、俺は……」
「違うよ」
中年男性の姿が薄れていく。
「もういい……どうせ俺は死んだんだ。その紙風船は、お前に返したからな……」
苦しげに呟きながら、中年男性はその場から消えてしまった。
周囲で聞いていた参加霊たちが、残った座布団を呆然と見つめている。
空になった座布団の隣で、着物の少女は、
「あーあ。いっちゃった」
と、呟き、溜め息をついた。
「君は?」
カイ君に聞かれ、着物の少女は明るく、
「座敷童」
と、答えた。
参加霊たちが目を丸くする。
「あぁ、なるほど」
ひとり納得するカイ君に、座敷童という少女は、
「この人の実家が潰れたのは、家を出たこの人に私がついて来たから。この人が破産したのは、私が別の家に行ったから。紙風船のせいじゃないよ」
と、話した。
小さな両手で、紙風船をゆっくりとしぼませた。
ていねいに折りたたみながら、
「昔からこの人の最善策は、自分の利益が中心だった。他の手段を選んで、この紙風船が潰れても死なないように変わることも出来たはずなのに」
と、幼い容姿で難しいことを言い、溜め息をつく。
畳んだ紙風船を懐にしまい、
「この人と、話をさせてくれてありがとう」
と、少女はカイ君に笑顔を向けた。
「いいえ。お役に立てなかったみたいで」
「ううん。もう少し、怪談会を聞いていても良い?」
「もちろん」
カイ君は笑顔で答えた。
救いを求める霊も集まる怪談会。
当然、救われるばかりではない。
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