飢え


 次の話し手は、暗い面持ちの老夫婦だ。

 先ほどから、ふたり揃って腹の音が鳴っている。


 香梨寺こうりんじで行われている、幽霊による怪談会。

 集まった参加霊たちは、MCの青年カイ君の背中に目を向けていた。

 カイ君は、本堂の奥にある棚をあさっている。

「どれだったかなぁ……あ、これかな。いや、こっちだ」

 棚の奥から、薄茶色の線香の束を取り出した。

 御本尊の手前のMC席には、すでに銀細工の香炉が用意されている。

 カイ君は線香を焚き、香炉に立てると御本尊に一礼した。

 煙の昇る香炉を持って立ち上がり、腹を鳴らし続ける老夫婦の前に置く。

 暗い面持ちだった老夫婦は、途端に目を輝かせた。

 ご馳走でも見るかのように、舌なめずりしている。

「どうぞ、お召し上がり下さい」

 と、カイ君は言った。

 その言葉を聞くや否や、老夫婦は両手で煙を掻き込んだ。

 煙は本堂に広がることなく、老夫婦の口の中へ吸い込まれていく。

 飢えた動物のようにガツガツと煙を食べるふたりに、参加霊たちは目を丸くした。


 カイ君は自分の座布団に戻ると、

「空腹を満たす線香です。食事で得られる、気持ちの満足感も満たす煙なんですよ」

 と、参加霊たちに解説した。

 勢いよく昇る煙を漏らすことなく、老夫婦はその口へ掻き込んでいる。

「遺族や親しかった人物からの、お供え物には及びませんけどね。空腹な霊にとって、お供えに近い効果があります。一時的なものですけどね」

 参加霊たちは、煙を食べるふたりを珍しげに眺めている。


 一般的なものより数段早く、線香は燃え尽きてしまった。

 ほんのりと香りを残して煙は消えている。

 全ての煙を吸い込んだ老夫婦は、銀の香炉に名残惜しそうな視線を向けた。

「お話し、お願いできますか」

 カイ君が聞くと、老人が頷いて話し始めた。



 見ての通り、飢えに苦しんでいます。

 ばちを当てられて、ずっとこの状態です。


 働いても金が溜まらない人間は、金が入って来ない訳じゃない。

 出て行く金額が多いということだ。

 そういう人間からは、金を引き出しやすい。

 ……まあ、そういう所を狙った商売を、あれこれ続けていました。

 足元をすくうのも弱みを突くのも、当然の手段だ。

 それを当たり前に続けていたので、悪徳商法と訴えられた時は驚きました。


 金も家もなくなり、できる仕事もなく……あっという間に、惨めな物乞いになりましたよ。

 店仕舞いの時間に行くと、余った白米と鍋の底の味噌汁を出してくれる定食屋を見つけて通いましたね。

 それでも、なぜ自分たちがこんな惨めな物を食べなければいけないんだ、なんて思っていたんです。

 施しを有難いとは、思えなくて。

 それもあって罰を当てられたんですね。


 死ぬ前後の記憶はありません。

 いつの間にか、汗水流して働く人間に『悪徳成金のなれのはて』に見える存在になっていました。

 幽霊とは見えないようで。

 生きている人間たちに、飢えて惨めな老人として生き恥を曝している。

 とっくに死んでいて、なにが生き恥だ。

 同じような商売をしている人間はいくらでもいるのに、なぜ自分たちばかりが罰を当てられなければいけないのか……。

 そう思い続けて、ずっと彷徨っている……。



 大きな溜息を最後に、老人は話し終えた。

 カイ君も小さく息をつくと、

「救われたいですよね。その状態から」

 と、聞いた。

「もちろんだ」

「ではまず、『罰を当てられる』という表現をやめてみましょう。自ら招いた状態を、受け入れる事が大切です。その先に、救いは用意されていますよ」

「受け入れる……」

 ずっと俯いていた老夫人が呟き、小さく頷いている。

 老人の方は疲れたような苦笑いを見せ、

「なるほど。ここは寺だ。僧侶の言葉のようだな」

 と、言った。

 珍しく、カイ君も苦笑いだ。

「ここの住職が朝夕に読経しています。よろしければ、耳を傾けにいらしてみて下さい」

 老夫婦は、揃って頷いた。

「ありがとうございました。それでは、次のお話に移りましょう」

 参加霊たちの手が、ハフハフと拍手する。


 静かな怪談会は続く。

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