falling humanity

空殻

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大通りの向こうのビルの屋上から、人が落ちていった。


誰かが落下するその光景を、カフェの窓から横目に眺めながら、僕はコーヒーを飲んでいた。黒い、オイルのような臭いのするコーヒーだった。

数秒後、微かに激突音がしたような気はするが、たぶん気のせいだ。僕の聴覚はそこまで性能は良くない。


店内の他の客は、人が身を投げたことに気付いていないらしく、明るいBGMと共に交わされる楽しげな会話は、少しも途切れることは無かった。


まあ、僕自身もそれほど関心は無い。

身投げはよくあることだ。最近の流行とも言える。

きっとしばらくしたら、ほとんどの人がやらなくなるだろう。

一年ほど前に首吊りが流行った時もそんな感じだったのだから。


***


人類の科学は発達し続け、十数年ほど前から、人類の大半はある程度の年齢に達すると、脳だけを機械の肉体に移植するようになった。

手も、足も、目も、耳も、心臓も、全て精巧な機械仕掛け。

機械の肉体はとても丈夫で、僕たちは基本的にケガをしないし、病気にもならない。

もしどこか損傷しても、その傷んだ箇所を交換すればいいだけだ。

人類は皆、脳と共に意識が死ぬまでは生きられるようになった。


そうなるとやがて、誰もが死に対しての感覚が希薄になっていった。

死ぬことを恐れて肉体を捨てたのに、皮肉な話だとは思うが、死のリスクを克服した今となっては、死はとても遠いものになった。


だから時折、前時代の死を体験したいという物好きが現れて、流行するのだ。

今は投身、少し前は首吊り、その前は焼身だったか。

それなりに多くの人がその自殺方法を試してみて、しかし当然死ぬことは無くて、その体験を貴重なもののように語るのだ。

死は、一種のエンターテイメントへと墜ちた。


もちろんそんな風潮に憤る人や嘆く人もたくさんいて、僕もどちらかというとそちら側の立場だ。僕らは元々の肉体と共に、何か大切なものを捨て去ってしまった気がする。ただ、科学の進歩を止めることはできないし、何より誰もが死は恐ろしいので、現状が変わることはまずないだろう。

機械の肉体と共に、人類はこれからも死ぬまで生きていく。

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