村の少女イサリア


 ◇ ◇ ◇


 状況証拠が物語ものがたっている。

 どうやらしがない社畜リーマンの俺は、椅子から転げ落ちて頭をぶつけて死んでしまい、「トーア」という青年に転生したらしい。

 イサリアの日本語がうまかったのではない。俺の異世界語がうまかった、というのが正しかったのだ。

 ……いや、この状況にワクワクしないって言ったら噓になるけどさ。それより不安とか心配とかの気持ちのほうが勝つんだよな。神経質かつ心配性な俺の性分しょうぶんが存分に出てしまっている。

 だって俺文系だぜ? ずっと作者の気持ちを読み解いてばっかりよ。前世の知識とかで役立ちそうなことなんて一切ないもん。終わりだよ終わり。うかつに冒険に出たら魔物に食われて即ゲームオーバー、みたいな未来しか見えない。魔物がいるかどうかは知らんけど。

 鏡の前の見知らぬ青年、もといトーア君、もとい俺も顔を青白くしてげんなりしている。分かるよトーア君、というか俺。だって俺はお前だもん! アハハ!

 絶望に打ちひしがれた顔をしたと思ったら、今度はうすら笑いを浮かべたのが怖かったらしい。さしものイサリアも若干引きった笑顔で聞いてきた。

「ど、どうですか? 何か思い出せました?」

「ああ……はい。とりあえず自分が置かれた状況は理解できました」

 無理ゲーな状況におちいっているってことをね。

 ……ま、いつまでも悲観的になったって仕方ないか。

 頭を切り替えて冷静に鏡を観察してみれば、一応、俺が転生者だってこと以外にも分かることはある。

 まず、服装。ベッドで寝ていたときは気付かなかったが、俺はファンタジー世界の村人が着るようなあさの服装の上に、革製の胸当てや肘当てを装備していた。やや厚手の古ぼけたマントも羽織はおっているあたり、どうやら俺は旅人だったらしい。防具を身に着けているってことはやっぱり、戦闘を想定した危険な旅路だったんだろうなぁ……げんなり。

 一方で、剣といった武器のたぐいは装備していなかった。イサリアに聞いても、俺を寝かせるときに武器を預かったわけではないという。仮に俺が野盗やとうなどに襲われていたらどう対処していたのだろうか。これについてはちょっと謎だ。

 あとこれは余談だが、転生後の俺は見た目が若かったからちょっと嬉しかった。前世の記憶はあまり定かではないが、元々の俺はアラサーどころかアラフォーに差し掛かりそうな年齢だった気がするため、少なく見積もっても十年は若返ったことになる。

 とはいえファンタジー世界の人々の正確な年齢はよく分からない。そこで試しにイサリアに「俺、いくつに見えます?」と夜の街に生きる魔性ましょうの女みたいな質問をしたら、「十八歳くらいじゃないでしょうか」と言われた。二十代だと自分では思っていたから、予想外に幼く見られて驚いてしまった。

 ちなみに、話の流れでイサリアの年齢を聞いたら十六歳とのこと。実を言うと彼女のことも二十歳くらいだと思っていたのだが……言わなくて良かった。異世界人って成長が速いんかな。

「他に何か思い出せたことはありますか?」

 イサリアの質問に対し、俺は首を横に振る。

「いえ……これ以上はちょっと思い出せないです」

「そうですか……あ! それじゃあトーアさんが落ちた崖に行ってみませんか?」

「え?」

「現場に行ってみればそこでトーアさんが何をしていたか思い出せるかもしれないし、もしかしたら荷物とか手掛かりになりそうなものが落ちてる可能性もありますよ」

 なるほど……確かに彼女の言うことには一理ある。記憶がよみがえるかはちょっと怪しいが、落とし物がある確率はかなり高いんじゃないか?

「そうですね。確かにいい考えかもしれません」

 俺が賛意を示すと、イサリアがパッと笑顔になった。

「本当ですか! じゃあ、さっそく行きましょう!」

「い、今から!?」

 声が裏返ってしまった。

 一転してシュンとするイサリア。

「あ、あれ……駄目でしたか?」

「いや、駄目というわけではないですけど……」

 俺、全身バッキバキに痛むんだが? 鏡に歩くまでも付き添いが必要だったのに。

 実はこの子、ドSだったりするの?

「ほら、まだ怪我してますし……」

 俺がそう言うと、イサリアは心配そうな表情を浮かべた。

「一応ひどいところは全部治したつもりだったんですが……まだ痛むんですね」

 は? 治した? どういうこっちゃ。

 だって胸のあたりとか肋骨ろっこつを折ったんじゃないかってくらいズキズキして…………ないな。

 試しに体をグイッとひねってみる。およよ、痛くない。

 いったい何がどうなったのかと聞こうとしたら、俺の肩に置いているイサリアの手がほのかに光っていることに気付いた。

 俺の視線に気付いた彼女は、照れたように笑う。

「実は私、少しだけですけど回復魔法を使えるんですよ」

 魔法……!

 そうか、ここはファンタジー世界だもんな! 魔法の一つや二つがあってもおかしくないのか!!

 科学技術を上回る魔法、めっちゃロマンじゃん!!


「ありがとうイサリアさん! おかげですっかり痛みが消えました!!」

 テンションが高まったあまり、イサリアの両手を握ってブンブンと振る。

「え? あ、あの、そんなに喜んでもらえて嬉しいんですけど、あまり動くと……」

「これならすぐに現場に行けますし、なんならもう一回崖から飛び降りることだってできますよアッハッハ!!」

「そ、それは危険なのでやめたほうが……というか本当に急に動くと危ないですからっ……特に――」

「大丈夫大丈夫! ほらその証拠にこうやって――いってぇ!?」

 グキリ、という嫌な音と猛烈もうれつな痛み。

「――肩の治療はまだ終わってないので、って言おうとしたんですが……」

 自分の右頬みぎほおに手を添えて悲しげに言うイサリア。

「……か、勝手に舞い上がってすみませんでした……」

 人の話をちゃんと聞かなかったばつってやつだな、こりゃ……


 ……ともかく、イサリアの言う通りだ。

 俺が倒れていたという場所……村外れの崖に行けば何か手がかりが残されているかもしれない。

 失った俺の記憶をよみがえらせるような、そんな何かが。


 …………でもまさか、が落ちていたなんてなぁ。

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