異世界人トーアくん

「俺の名前は――トーア、です」

 思わず脳内に浮かんだ名前を口に出したが、自分でも驚くくらいその名前がしっくりと来た。なんというか、脳は違うって認識していても、魂が「俺はトーアなんじゃい!!」と叫んでいる感じ。

 だが、そんなわけないのだ。だって俺は日本人で、しかも典型的社畜リーマンなのだから。そんな俺がトーアなんてファンタジックな名前であるはずがない。

 ……でも実際は日本人だけどトーアっていう名前だったのかなぁ、俺。

 考えてみれば、親がキラキラネームを付けた可能性もあるよな。

 最初の直感では絶対こんな名前じゃなかったって思ってたのに、いざ名乗ってみてこんなにしっくり来るとなんか自信なくなってきちゃったよ。

「あの、トーアさん?」

「はい、なんですか?」

 ほら、イサリアの呼びかけにもこうやってノータイムで返事できるし。絶対他人の名前じゃないよもう。

 いやーでもなー、俺はゴロウとかトシヤとかケンとか、そういう普通な名前だったと思うんだよなー。

 ああもう、いいや。俺はトーア。とりあえず本当の名前を思い出すまではこれで行こう。

「大丈夫ですか? ぼーっとしていたようですが、頭のふらつきがあったりしませんか?」

「いえ、ちょっと記憶を整理してたんです」

 俺はイサリアにそう言いながらゆっくりと体を起こす。今度は痛みが走らないよう、慎重に。

「記憶ですか? そういえば、先ほども混乱してるって言ってましたよね。名前の他には何か思い出せましたか?」

 心配そうに聞いてくるイサリア。

 ……この子の存在も大概たいがいなぞなんだよな。どう見ても日本人じゃないのに日本語ペラペラだし。帰国子女きこくしじょか何かか?

 彼女の質問になんて答えようかと思案していたとき、ふと部屋のすみに置かれていたに気付く。

 一人用のベッドと小さなサイドテーブル。それ以外はめぼしい家具など置かれていない小さな部屋の一角に設置されているは、俺に驚くべき情報をもたらしていた。

「あ、気になりますか?」

 どことなくはずんだ声でイサリアが言った。

、死んだ母の形見かたみなんです。私なんかじゃもったいないくらいの代物で、売れば結構なお金にはなるんですけど、唯一ゆいいつ母が残してくれたものだから――」

「イサリアさん、俺をそこに立たせてもらえませんか? 自分じゃちょっと歩けそうになくて」

 俺はイサリアの話を遮ってそうお願いした。彼女には申し訳ないが、今は礼儀とかを気にする余裕はなかった。

「あ、はい。無理しないでくださいね」

 幸いというべきかイサリアは気を悪くした様子もなく快諾かいだくしてくれた。薄々分かっていたことだが、この子はものすごく人がい。初対面であんなに気持ち悪いことを言っても引かなかったしね。

 イサリアの肩を借り、がある目的の場所まで連れていってもらう。わずか数歩分の距離だが、全身が果てしなく痛んだ。もしかしたら骨折しているかもしれない。イサリアが「崖から落ちた」と言っていたのも嘘じゃないっぽいな。

 イサリアの介助で俺が立ったのは、大きな鏡の前だった。彼女の母の形見とは、全身が全て映るほどのサイズの姿見すがたみである。

 そこで俺は、自分の外見をまじまじと見つめる。

 黒色だが、光の当たり方によっては赤くも見える不思議な髪。眉毛はややキリッとしており、その下の目は瞳が夕焼けのような赤とオレンジの光彩に満ちている。

 ……違う。ぜっっっっっっったいにこれは俺ではない。

 俺の瞳はこんなに鮮やかにキラキラしてなかった。日々のストレスのせいでもっと死んだ魚のような目だったはずだ。そもそも、外見が完全に日本人じゃない。

 じゃあ、この鏡に映る困惑した表情の男は誰だ……?


 ――そのとき、俺は突然、最も単純な可能性に思い当たった。

「イサリアさん、ものすごく馬鹿馬鹿しいことを聞いてもいいですか?」

「……? はい、もちろん」

「この世界の名前ってなんでしたっけ?」

 イサリアは少しキョトンとして、続いてものすごくあわれみに満ちた表情になり、一瞬にして慈愛じあい微笑びしょうをたたえた。表情がコロコロ変わる子だなぁ。

「……私たちが暮らすこの世界は、『アクアラント』。そしてここは偉大なアスムル国王陛下の庇護ひごのもと、アルフレド・ランズ伯爵はくしゃくが統治なさっているジュウラ領の第六自地領区、ハテノ村ですよ」

「……なるほどね」

 そうっすか。

 俺、異世界に転生しちゃったんすか。

 はぁ~あ。これからどうしよ。

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