第一章「トーア(true)編」

現在――記憶喪失の転生者

 ――なんて可哀想かわいそうな人。

 ――魂がまれに見る凶兆きょうちょうの星のもとにおこったのね。魂に関する一切は神すら干渉できない不可思議ふかしぎの領域。これまでの人生でも、これからの新たな人生でも、あなたはきっと多くのわざわいに見舞われるのでしょうね。


 ――加護を授けましょう。

 ――いにしえ途絶とだえた魔法の力を。それは、かつて原初の魔法と呼ばれたとても強い力。あなたが人々を幸福に導けば、魔法はさらに強くなっていくでしょう。運命にめげず、立ち向かいなさい。あなたにはそれができるはず。そして、あなたが凶兆の運命をじ曲げれば、世界の行く末も好転します。


 ――だから、人々を幸せにするのです。

 ――そうすれば、きっと記憶も戻してあげますからね。


 ◇ ◇ ◇


「……ここは」

 目を覚ますと、見覚えのない木梁きばりの天井が目に入った。

 なんか変な夢を見てた気がする。

 めちゃくちゃ綺麗きれいな声のお姉さんに可哀想ってあわれまれる夢。俺の人生が可哀想なのは俺自身が一番分かってるっての、くそぅ。

 と、天井を眺めているうちにあれっ、と思う。

 ここ、俺の家じゃないな。俺の家の天井ってもっとこう、模様付きのタイルみたいなタイプだったはず。

 そうそう、ベッドの真上のタイルに付いたシミがなんとなく人の顔に見えて嫌なんだよな、俺の家。昔からああいうのが気になっちゃうタイプの性格で、我ながら神経質だなぁって思う。

 ……あ、段々思い出して腹が立ってきたぞ。シミが不気味で気になるしちょっくら模様替えしようかな、なんて思ってもブラック企業勤めで仕事帰りはクタクタだし、休日出勤なんて当たり前だし、そのくせ残業代はすずめの涙だし。わけの分からないシミなんか怖がってんじゃねえよって無性にイライラして、こうなったら徹底的に掃除してやる! って雑巾ぞうきんを片手にデスクチェアの上に立って天井に向けて目いっぱい背伸びをしたら……

 ……足をすべらせて、頭を打ったんだよな。

「目覚めましたか?」

「え?」

 いきなり声をかけられたので頓狂とんきょうな声で返事をしてしまった。

 声がしたほうに顔を向けると、なんとも可愛い金髪の少女がこちらを覗き込んでいた。

「うわ、あの」

 慌てて体を起こそうとしたが、その瞬間激痛が全身を走る。

「っ!! ……いつつ……」

「あ、起き上がらないでください! あなた、がけから落ちたんですよ?」

 は? 崖? 俺が落ちたのは崖じゃなくて椅子いすの上からですけど……

 俺は心配そうな表情を浮かべる少女にそう伝えようとして――その顔をまじまじと見つめた。

「……? どうしましたか?」

「……かわいい」

「えっ!?」

「え……あ! いやなんでもないですすみません!」

 初対面の女の人にめっちゃ不躾ぶしつけなことを言ってしまった!!

 いや、だってマジで可愛いんだよねこの人。目が大きくて鼻筋はスッと通っていて、モデルかと思っちゃうくらいだ。外見だけだとちょっと気おくれしてしまいそうになるが、突然変なことを言われて驚いているせいか、今は顔を赤くしてわたわたしていて、その仕草も小動物っぽくて可愛らしい。なんというか、親しみやすそうな感じの美少女だ。

 目覚めたばかりで気が緩んでいたからか、つい変なことを口走ってしまった。これは反省しないとな……

「すみません、思ったことがつい口に出てしまいました」

 言ったあとに、これフォローになってるか? って思った。これはこれで結構キモいこと言ってるよな、俺。

「い、いえいえ! 謝らないでください。こちらこそ照れてしまってお見苦しいところを」

 だが金髪の少女は特に何も思わなかった(気付かなかった?)ようで、逆に頭を下げられてしまった。

「まあ、とにかく失礼しました。ところで、ここは……?」

 俺が尋ねると、少女は思い出したように話してくれる。

「あ、ここは『ハテノ』という村の私の家です」

「……む、村?」

 村ってあの市区町村の村のことか? いやいや、なんで俺がそんなところに?

 だって、俺が住んでいたのはもっと都会の……

 ……俺が住んでいたのは、どこだ?


「あの、大丈夫ですか?」

 少女の心配そうな声が耳に入り、呆然とした状態から立ち直る。

「ああいえ、すみません。ちょっとぼーっとしちゃって」

 なんだか謝ってばかりだな俺、と思いながら返答する。

 少女は俺を案じるような表情のまま、ゆっくり頷いた。

「崖から落ちたんですもんね。無理もないです……」

「あ、そのことなんですけど。俺、本当に崖から落ちたんですか? ちょっと記憶が混乱してて……」

 俺の問いにまたも頷く少女。

「はい。私、この目で見ましたから」

「え!? そうなんですか!?」

「ええ。村外れに五メートルくらいの切り立った崖があるんですけど、薬草をみにその近くへ行ったら崖の端っこに誰かが立っているのが見えて。危ないですよって声をかけようとしたんですけど、その前に足を滑らせたようで落ちてきちゃったんです」

「そう……ですか」

 おかしい。

 俺の記憶とまったく合っていない。

 だが、この少女が嘘をついているとも思えなかった。

 だってこんなに純粋そうな顔をしてるんだぜ? ほら、目なんかけがれのない透き通ったライトブルーだし――

 そこまで考えて、ようやく違和感を覚えた。

 言葉が通じるから気付くのが遅れたけど、この人、外国人だよな?

「あの、失礼ですがあなたのお名前は?」

 そう聞くと、少女は「あっ!」と声を上げた。

「ごめんなさい、自己紹介を忘れてました。私はイサリアと言います」

「イサリア……さん」

 どう考えても日本人の名前ではなかった。

 そして同時に、ことに気付く。

「あのぅ……あなたのお名前も教えてもらっていいですか?」

 イサリアがおずおずと尋ねてきた。

「俺ですか? 俺、俺は……」

 ……おかしい。

 こんなの絶対俺の名前じゃないはずなのに。

 だって俺は日本人で、普通の社畜リーマンで、今日だって天井のシミを綺麗にしようとして奮闘するただの神経質でせこい男なのに。

 どうして名前を思い出そうとすると、こんな日本人離れした名前しか出てこないんだ。


 ――


「俺の名前は――トーア、です」


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