第13話 樹とのかけひき

 樹木のように変質した腕を見て、三匹の動物は不気味がり、エヴァをさけた。ノアは息を飲むが、土中に埋まった樹の腕に手をそえた。いつでもひっこぬけるようにする。


「あああ、うっ、く、ううう」

 

 頭の重みに耐えきれない。背が勝手に丸まり、ひたいが冷たい地面につく。


(一回やるたびに頭がパンクする)

 

 頭上からベオーク語が聞こえた。

 

「……私の下。……マナズ……いる……」

 

 割れそうな頭を横に向け、目だけ動かし大樹をみあげた。さわさわ揺れる、枝葉えだはの葉ずれの声。

 

(この木、しゃべってる)

 

 ズキズキ、ズキズキ、頭痛が激しくなる。頭蓋骨ずがいこつがゆっくりとつぶされていく感覚がした。つっと血の混じった鼻水が垂れ、口のはしはよだれでぬれる。体の神経のひとつひとつが、どんどん鈍くなる。

 

「うう。くっ……」

「抜こうか?」

 

 ノアがそえた手に力をこめた。

 

「ま、待って。もう、もうすこし」

 

 地中から、

「……見つけた……」

「……そっちだ……」

「『ダイジョウヴ?』」

 

 いやな声がして、ぞくりとした。エヴァの様子を見て、ノアたちは心配そうにする。

 

「連中が来ているのか?」

「だ、だい、じょうぶ。静かに、していて」

 

 地面の声がどんどん近づいてくる。

 

「……殺す……」

「……女……さらう……」

 

 冷や汗が止まらない。

 

「……でも……かわいそう……」

「え?」

(いま、『かわいそう』と?)

「……けど……ベルカナ……命令……」

「……うん……」

(もしかして、同情心や罪悪感があるの?)

 

 視界がチカチカした。体が自分で動かせない。いまにも頭がつぶれ、破裂はれつしそうだ。

 

「あ、かっ」

(死ぬ)

「もういいだろ」

 

 ノアがエヴァの樹木の腕を土からひっこぬいた。腕はもとにもどり、エヴァはぐったりノアに寄りかかった。

 ぼこっと、大樹の根本の地面から、女の体の形をした白い石がはえた。


「ダイジョウヴ?」


 石の頭部からニョキニョキ金髪が生え、ぎょろっとした青い目と、にやっとした口が開く。

 

「来たな」

 

 ノアが剣のつかをにぎり、犬のラパが身構えた。

 ノアによりかかりながら、エヴァは懸命けんめいに、

「待っ、て。先生、みんな、故郷に家族、残してきてる?」

「家族?」

「恋人でも、いい」

 キツネザルのカイが長い尻尾をパタパタさせ、

「おれには弟と妹がいるけど……」

 キジのシエルは、

「ぼくはねえさんたちがいます」

 犬のラパが、

「急になんなんだよ」

「いまから思いっきり、同情できる話をしてちょうだい」

「同情できる話ぃ?」

「こんなときに」

「いいから。そうすれば助かるのよ。ほら、たとえばこんな風に泣きながら」

 

 汗びっしょりのエヴァは、うわぁんと、あわれっぽい泣き声をあげた。


「お、おい」


 たどたどしいベオーク語をひねり出す。

 

「死ヌ、イヤ。小サイ妹弟きょうだい、会イタイ」

(このさい発音はメチャクチャでもいい。ベオーク語は文法がオシラ語と同じだからやりやすい)

 

 女の形をした石がぴたりと止まった。

 ノアたちはあぜんとする。

 

「効いてる」

 

 エヴァがせかす。

 

「早くして」

 

 ノアたちもうそ泣きをしだした。

 

「死にたくない。ぼくにはまだやりたいことがたくさんあるのに」

「死んだら弟や妹に会えなくなる」

「ぼくが死んだら姐さんたちもショックで死んじゃうよ」

 犬のラパだけ、

「あ、あー……、なんもねえな」

 

 べしっと、カイが長い尻尾でラパの鼻先をはたいた。

 

「って。てめえ」

 

 エヴァは泣きながら、かたことのベオーク語で、

「家族、ミンナ、残サレル。カワイソウ」

 

 石の金髪の女の人形がカタカタゆれた。

 木々がさわさわざわめく。

 

「……やれ……かわいそう……言うな……」

「……なければ……おまえ…………殺……」

(やらなければおまえが殺される、かしら)

 

 エヴァはズキズキ痛む頭で考えた。ノアの剣先をつまむと、自分の深緑の髪を少し切り、地面に投げる。

 

「エヴァ?」

 

 精一杯ベオーク語をさけんだ。

 

「ミンナ、死ンダ! 石ナタ! ワタシモ! 理由、ミンナカバッタ! 髪残タ!」

 

 頭上で大樹の声がする。

 

「……うそ……まだ……」

 

 エヴァは木の太いみきに抱きついた。


「……?……」


 あげた顔をくしゃくしゃにゆがめ、涙を流し懇願こんがんする。

 

「オ願イ。ミノガして。お願いよ。もう許して。お願いだから」

 

 つたないベオーク語は、いつのまにかオシラ語に変わった。

 

「うぐっ、えっ、うっ、わあああああ!」

 

 気持ちがたかぶり大泣きした。泣いて泣いて泣く。

 犬のラパが落ち着かなさげに、足元でくるくる回った。


「演技過剰だ」


 キツネザルのカイは、エヴァのふくらはぎを長い尻尾でポンポン叩く。

 

「そうそ。もう十分。いや、十二分」


 キジのシエルは、やわらかい羽毛の体でそっと寄りそった。

 

「うー。ぼくも泣いちゃいそうです」


 ノアも目をふせ、沈痛な面もちで、大泣きするエヴァの両肩に触れた。

 

「きみのそんな姿、見たくない」

「わあああ! あああっ! わあああああ!」


 狂ったように泣きわめく。止められない。うそ泣ではないから。

 頭はあいかわらず、ズキズキしていた。

 

(怖いのよ。苦しいのよ。痛いのよ。こんなところで死にたくないのよ)

 

 大樹はさわさわ、さわさわ、ためらうようにざわめいた。

 

「……こいつらは……」

 

 ざわめきにぼそっと、

「石……なった……」

 ベオーク語が混じった。

 金髪の女が、ずっ、ずっ、と、地面の中に少しずつひきずられ、埋もれていく。

 

「……!」


 金髪の毛先が、ひゅっと完全に土の中に隠れたときに、ノアと三匹の動物はようやく胸をなでおろせた。

 

「助かった」


 エヴァも大樹に抱きつきながら、へなへなと崩れ落ちた。

 

「よ、よかったあ」

 

 指先がピリッとしびれた。


「……?」


 ブンっと、頭の中にひとつの森の風景がうかんだ。

 

 


 水辺。一頭の巨大な生き物が、水の中からはいでる。

 水牛すいぎゅうのような四足歩行の生き物だ。がっしりした骨格に、盛りあがった筋肉。てらてら黒光りする毛。銀色に光る三日月みかづきのような、湾曲わんきょくした太くとがったつの。金色の瞳の中の、わにのような縦長の瞳孔どうこう

 黒い生き物は、木々を背に猛スピードで走りだした。りっぱな角を二本つきだし、木や茂みを破壊しながら突進する。

 

「マナズは殺ス!皆ごロス!」

 



 風景は、そこでふっと消えた。

 大樹の葉ずれにまじり、声がした。


「……オードの巫女みこ……せいぜい……ろ……」

(いまのはこの木の……)


 あたりを見渡すと、水たまりのような小さな池が点在している。ここら一帯は水が多いのか。

 

(さっきの景色も水辺。……ひょっとしてこの近く?)


 エヴァはよろけながら走りだした。


「逃げるわよ」

「なんだよ急に」

「いいからはやく」

 

 エヴァはノア、三匹の動物とともにかけだした。


 大樹から離れていく。ちらりとふりかえった。

 根本の地面から、小さな生物が数体、ぽこっと頭を出していた。バスケットボール2つ分くらいの大きさ。たぬきのような、うさぎのような、もぐらのような、あいらしい生き物。クリクリと丸く黒い愛嬌あいきょうのある目で、エヴァたちを見送っている。

 エヴァは大樹と、その生き物たちに向かい、小さく手をふり、ベオーク語で言った。

 

「アリガト」

 

 あいらしく、おそろしい生き物たちは、おびえたように地面にひっこんだ。

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