第14話 うらぎり者

 短い草のはえる荒野こうやの丘、その斜面を、エヴァたちは走ってのぼった。ベオークの森から離れていく。

 一緒に走る犬のラパ、キツネザルのカイ、キジのシエルたち三匹の動物たちの体が、ぐんぐんと大きくなっていった。手足は長くなり、尻尾しっぽはなくなる。毛深い体毛も薄くなり、毛と一体化していた服も、もとにもどる。

 ラパ、カイ、シエルたちははしゃいだ。

 

「人間に戻ってきてる」

「よかったな」

 

 ノアもほほえむ。

 薄緑のキトンのエヴァだけ、深刻な気持ちにとらわれていた。

 

「みんな早く走って」

「なんだよ。もう敵もいねえし、いいじゃねえか」


 エヴァは森をいくどもふりかえる。


「まだ来るわよ」

「?」

 

 そのうち森のほうから、ドドドドドと鈍い音が鳴った。土ぼこりと一緒に、大きな黒いかたまりが段々とこちらに向かってきている。

 ノアたちはぽかんとした。

 

「来た……」

 

 巨大な水牛すいぎゅうのような生き物が一頭、ものすごい勢いで突進してきていた。がっしりした骨格に、盛りあがった筋肉。てらてら黒光りする毛。銀色に光る三日月のような、湾曲わんきょくする太くとがった角。金色の瞳の中の、わにのような縦長の瞳孔どうこうで、こちらをまっすぐみすえている。

 

「あれはウィルか?」

「うー。こっちに来てます」

「やべえな。逃げろ!」

 

 エヴァたちは必死で走った。だが、水牛は猛スピードでどんどん近づいてくる。

 

(わたしたちの足じゃ逃げきれない。せめて馬がいれば……)

 

 パカラッ、パカラッと馬の足音がした。

 くら手綱たづなをつけていない、白い裸馬はだかうまが駆けてくる。

 

「やあエヴァ」

「エイベルさん!」

 

 馬はエイベルだった。体中かすり傷だらけだ。

 

「どうしたの? その傷?」

「なんの。ひさびさにウデをふるっただけ」

「?」

 

 ノアたちはおどろいた。

 

「馬がしゃべってる」

 

 水牛は金色の目をぎょろりと動かし、エイベルの姿をとらえた。ものすごいいきおいで走りながら怒鳴る。

 

「……者!」

「?」

(いまの、ベオーク語。うまくききとれなかった)

 

 エイベルはひょうひょうとして、

「エヴァ、わが背に乗りなさい」

「え?」

「そこのイヌとサルとキジといけすかない騎士。べつの道からオシラ領へ逃げろ」

「ふざけんな。自分たちだけ逃げる気か?」

「そうよ。みんなで逃げるの」

 

 エイベルはめんどうそうに、

「つべこべ言うな」

 

 エヴァはくいさがる。

 

「だめよ。この隊はわたしの隊なの。最後までわたしがめんどうみるの。絶対に見捨てたりしない」

伍長ごちょう……」

 

 エイベルは首を振った。

 

「そうではない。あの水牛はわしめがけて突進してくるはず。わしとおまえさんがおとりになり、そやつらを逃すのだ」

「あなたとわたしで?」

「やつをひきつけるには人間もいたほうがよい。わしの足ならトンチキ皇太子の陣地じんちにもすぐ行けるぞ。やつの身が危ないのではないか?」

「それは」

 

 そう。森を逃げているとき、木々がうわさしていた。

 

(オシラの王の息子はおろかだとか、殺すだとか言っていた。兄さまもきっとねらわれてる。だから事前に知らせれば恩が売れる)

「いいわ!」

 ノアが、「いけない。エヴァだけを犠牲にするつもりか?」

「わしの足ならあんなやつくらい屁でもない」

「確実に逃げきれる確証があるのか? ないのなら反対だ。ぼくが守りながら逃げたほうがずっとましさ」

「先生」

 

 エイベルはうんざりしたようにため息をついた。

 

「はあ。ではおまえらふたりで乗れ」

「でも重くなるわよ」

「そいつをくどくど説得するよりマシだ。はやくせい」

 

 水牛はすぐ近くまでせまってきている。エヴァはノアにおしあげてもらい、エイベルの背に乗った。ノアも、白い背に手をかけると、腕でみずからの体をひきあげ、エヴァのうしろに乗る。

 ラパ、カイ、シエルは方向転換し、左方向に走った。

 

「おれたちはこっちから皇太子のじんにむかう」

「ええ、あとでおちあいましょう!」

 

 エヴァとノアを乗せたエイベルは、全速力で丘をかけあがった。パカラッ、パカラッと、土をふむ足の振動がリズムよく伝わり、ひゅうっと流れる風が体に当たる。くらのないエイベルの体に、懸命けんめいにしがみつきながら、エヴァは風になった気分だった。気持ちよくて叫ぶ。

 

「はやーい!」

 

 ノアは笑った。

 

「こんなときでもきみは元気だな」


 エイベルはその力強い足で、水牛をどんどんひきはなす。

 追いつかなくなってきた水牛は、ベオーク語で怒鳴った。

 

「ウらギリ者!」

 

 エヴァはふりかえった。

 

(いま、うらぎり者と……。エイベルさんを?)


 エイベルはすまし顔で走り続ける。



 

 峡谷きょうこくの上、テントの前で、ロンはウロウロしていた。イライラして従者にたずねる。

 

「ノアはまだ戻らないのか?」

「はあ。まだのようですが」

 

 ひょこっと、テントのかげから長い金髪の女が顔を出した。

 

「わっ」

 

 ロンは腰をぬかしそうになった。金髪の女は、美しい顔にニコニコ笑顔をはりつけている。

 

「ダイジョウブ?」

 

 ロンと従者は顔をみあわせた。

 

「現地住民か?」

 

 女は笑いながら、ゆっくり近づき、従者の腕に触れた。服が溶け、腕の肉がたちまち硬質化した。

 

「うわああ」

 

 同じ顔の金髪の女たちが、そこかしこからわらわらとあらわれた。ロンに触れようとする。

 

「おれさまは皇太子だぞ!」

 

 ロンは腰のロングソードを抜いて女たちをろうとした。やいばは女の頭に当たると、ガキンと音を立てて折れた。

 

「なっ……」

(硬い)

 

 囲まれ、ジリジリと追いつめられる。女の手がぬっと伸ばされた。

 ひゅっ、ひゅっと、いく本かのナイフが投げられた。金髪の女たちの足元の地面に刺さる。すると女はとびあがり、たおれた。

 ロンが顔をあげる。大きく真っ白な馬、エイベルに乗ったノアが、ナイフを構えていた。

 

「殿下、間一髪かんいっぱつでしたね」

 

 ノアの前にはエヴァが座っていた。姿は第四軍に行く前の、栗色の髪に、鎧姿よろいすがた。首には紺青こんじょうのペンダントがかかっている。

 ロンはかあっと頭に血をのぼらせ、エヴァたちを指さした。

 

「な、な、な、きさまら」



 エヴァは自分の鎧姿にほっとしていた。

 

(変身した姿を見られるとやっかいだし、解除しておいてよかった。これで兄さまもうるさく言わないでしょ)


 だがロンは、真っ赤になってエヴァをプルプル指さしていた。

 

「おれの知らぬところでなにをしていた」

「話はあとです。それより地面に」

「わかったぞ。戦場に行きたいというのはふらちな密会をするためだったのだな」

「ちがいます。殿下、話を……」

「このアバズレ! 父上に訴えてやる!」

 

 エヴァはカッとなり、エイベルからおりた。まっすぐロンのほうへ歩むと、ぴしゃりとそのほおをぶった。

 

「黙りなさいこの勘違い男!」

 

 ロンもノアも拍子ぬけした。

 

「エヴァ?」

「こっちはあんたみたいなトンチキを助けるために命がけで来てやったのよ? 助かりたいの? 死にたいの? 死にたいならわたしと先生は帰るから!」

「待ってくれ。助けてくれ」

「知らないわよ。あんたなんか勝手に……」

 

 エヴァはぐらっとした。

 

(あれ?)

 

 パタリと倒れる。


 


「エヴァ!」

 

 ノアがエイベルから降り、エヴァにかけよろうとした。エイベルも走る。

 ふたりが来る前に、ロンがしゃがみ、彼女の上半身を抱きあげ揺さぶった。血相けっそうを変え、青ざめている。

 

「おい! どうした? 起きろ」

 

 ノアは立ち止まった。

 

(殿下……?)


 エイベルも足をとめ、ふんふん鼻をならした。

 

(おいおい。このトンチキ皇太子、よもや……)

 

 ぐったりし、ロンに揺さぶられえるままのエヴァは、死んだように眠っている。


 


 その後、兵士たちが地面を剣で突いたり焼いたりした。

 地面からキーッキーッと甲高い悲鳴があがり、土が盛りあがったかと思うと、もぞもぞ動く。ついでテントのかげや木の裏にひそんでいた金髪の女たちがパタパタたおれ、つぎつぎ石化して砕けた。


 

 

 地面のもぞもぞは、陣営から見て南、ベオークの森の方角ほうがく目指して進む。

 地面を剣で突き刺す兵士が叫んだ。

 

「あいつらを殺せ。皆殺しにするぞ」

 

 兵士たちがおたけびをあげた。ノアが止める。

 

「待て。これ以上の追撃ついげきは必要ない」

 

 兵士たちは不服そうにした。

 

「なぜですか。やつらはわれわれの敵ですよ」

「それは……」

(ぼくたちはかれらに一度見逃してもらった)

 

 思いだされる。ベオークの森で、大樹の下の地面からひょっこり顔を出していた、大きな瞳にずんぐりの、あいらしい生き物たちのこと。

 エヴァにうながされなげくノアたちを、あわれんで見逃してくれたこと。

 

(説明するのはややこしそうだ)

「かわいそうだろう」

「サー・ノアらしくありません。そんな婦人のような同情心など」

 

 ノアは苦笑いした。

 

「婦人らしい心も、時には必要なのかもな」




 森の水辺。水中で緑の水草がゆらゆら揺れる。

 水草は段々にょきにょきと伸び、膨み、塊を形成していった。色は金色に変わる。

 膨張した金の塊がメリメリわれ、隙間から、彫刻のような美しい人の顔が現れた。いまいましげな言葉を、泡と一緒に吐く。


「おのれ。わたしはあきらめぬぞ。オードの姫を手に入れる」

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