第12話 犠牲の勇気

 森の中、水たまりのような、小さな池がいくつもある。

 木々のあいだを、ノアと黒い犬のラパは走った。茶色のキツネザルのカイはみきや枝を次々飛びうつり、その下を白いキジのシエルが滑空かっくうする。

 薄緑うすみどりのキトン姿のエヴァは、よたよたとノアたちのあとを追いかけ走った。汗びっしょりで、髪や服が肌にはりつく。

 ノアが心配そうにエヴァをふり返った。

 

「平気かい? 汗がすごいが」


 エヴァは笑って肩を回してみせた。


「平気。時間が経ったら大分マシになったのよ。体もさっきより調子がいいの。木になって養分を吸いこめたのかしら」


 ラパは走りながら、冷たく言い放つ。


「倒れても助けねえからな」

「おい」


 精一杯笑ってみせた。


「あはは。わかってる。遠慮なくお見捨てあそばせ」


 と、言いつつ、忘れてはいない。石にされたシェルブのこと。彼を見捨てて逃げたこと。

 顔では笑顔を作りながらも、怖くてしかたがない。

 さっきかれらに助けてもらえたのは、おそらくエヴァの助かる見込みのありなしの判断が難しかったから。それから、あの金髪の男さえ撃退できればよいと、かれらの中での対処の方法が単純明快だったから。

 

(倒れて動けなくなったら本当に置いていかれる)

 

 エヴァは下がりそうな口角を懸命にひきあげた。

 

(笑ってわたし。弱い奴をこの人たちは認めてくれない)

 

 風に木がそよぎ、さわさわと音がする。その葉ずれがささやきに聞こえた。

 

「……マナズ……来た……」

「……ベルカナ……マナズきらい。……が……殺す……」

 

 ささやき声はベオーク語。

 エヴァは見あげた。

 

「木がしゃべってる。ベオーク語で」

 ノアが、

「さっきも地面から声がしたと言っていたな」

「ええ」

 

 走りながら、キトンの下に隠れた、首にかかるペンダントを引っ張りだす。変身後、勝手に首にかかっていた。

 ペンダントの表面の色は、紺青こんじょうからエメラルドのような深緑に変わっている。模様も、五芒星ごぼうせいから、アルファベットのBの丸みをとがらせたような文字に変わっている。

 

(この円盤の力なんだわ)

「木はなんと言っている?」

「全部はわからない。ベオーク語だから」

 

 木々はさらにざわめいた。

 

「……マナズ……王のおろかな息子……」

「……ダエグのベルカナ……賢い……金の王……」

「ダエグ王……つく……いい」

(かしこい金のダエグ王? ベルカナ? 金。……金髪)

 

 エヴァは真っ先に、自分たちをおそう、金髪の男のことを思い浮かべた。

 

(ベオークのウィル?たちはダエグ王につくということ?)

 

 犬のラパが走りながらノアに、

「ところでおれたちは今どこに向かってる?」

「国境付近の陣営じんえいにもどろう。ベオーク領から北側へ向かえばいい。近いはずだ」

(兄さま、まずいんじゃないの? 陣営にベオークのウィルが来たならば……)

「北はどっちのなの?」

 

 三匹の動物がくるっと体を右に向けた。

 

「多分こっちだ」

「すごい。よくわかるわね」

「なんとなく」

「ウィルになったからかな」

 

 木々のざわめきが強くなる。

 

「……こっち……こっちいるよ……」

「……人形……準備……」

 

 エヴァは立ち止まった。

 

「来るわ!」

 

 ノアと三匹の動物も止まる。

 エヴァはあたりをきょろきょろ見渡した。近くに大樹たいじゅがあった。根本は茂みに覆われている。

 ノアやラパを大樹のほうにひっぱった。

 

「あの木の下に隠れて」

「なぜ?」

「いいから。カイとシエルも」

 

 エヴァたちは大樹の下にしゃがみ、茂みに隠れ、周囲の様子をうかがった。

 まわりの木々のあいだからぬぅっと、金髪の女たちが現れる。

 

「ダイジョウヴ?」

 

 女たちはニコニコ顔で、あたりをうろうろした。立ち去る気配はない。

 あの白い手に触れたら、即座に体が石になる。

 ノアと三匹の動物はこそこそ話した。

 

「どうする? このままじゃ進めない」

 

 エヴァは地面に手を触れようとした。

 

(せめて地面の下の人たちがなにを考えているのか知れれば、対策がとれるかもしれない。声が聞けないかしら)

 

 地面すれすれのところで、ピタリと手をとめる。

 いま腕を地面につっこめば、手先が木に変わり、地中の声が聞こえるだろう。だが、あの脳になまりを流しこまれ、ミシミシつぶれていくような、恐ろしい激痛をもう一度味わうことになる。

 

(今度こそ死ぬかも。動けなくなって置いていかれるかも。そうしたら……。どうしよう。怖い)

 

 金髪の女たちは、じわじわと、だが着々と、確実にこちらの茂みに近づいてきている。


(早く、早く決めなきゃ)


 ノアが息を吸いこんでから、決意したように言った。

 

「ぼくがおとりになる。きみたちはそのすきに逃げろ」

「え?」

「でも」

「軍では下の者は上の者に従う義務がある。かわりに上の者は下の者を守る義務がある。きみたちはぼくの軍の隊員だ。ぼくはきみたちを守らねばならない」

 

 犬のラパがハァっと息をついた。

 

「しゃーねーな。おとりはおれがなってやるよ」

「なんだって?」

「おぼっちゃんはいちいち小難しい理屈をふりまわす。もっと単純なことだろ。人間と狼ならどっちのが足が早い? どっちのがやつらを引きつけながら逃げられる確率が高い?」

「いや、犬でしょ」

「うるせえ。狼だ」

 ノアは首をふり、

「いけないよ。きみはまだ若い。逃げるべきだ」

「そのセリフ、そっくりそのまま返す」

「ぼくの説得は無意味そうだな。ならば二人で挑むか?」

「ふん。勝手にしやがれ」

 

 ノアと犬のラパは、茂みの向こうの金髪の女たちをにらみながら、一緒に身構えた。

 キツネザルのカイはその場を離れようとあとじさる。キジのシエルは怯える。

 

「おれは逃げるよ。ここで死ねない。やるべきことがあるから」

「ぼくは、ぼくも……。うー」


 ノアとラパは同時に、

「構わない。エヴァと一緒に逃げなさい」

「ハナっから期待してねえ。むしろ逃げろ」

 

 心の中で声がした。

 

(これで助かる。それにもどって兄さまに危機を知らせれば、それが功績になるかも。父さまやみんなから認めてもらえるかも。でも、だけど……)

 

 ノアとラパはエヴァに声をかけた。

 

「エヴァ、カイとシエルを頼んだ。今度はしっかり判断してくれよ」

伍長ごちょうはあんたなんだ。助かる命を見捨てるんじゃねえ。自分の命もな」

 

 エヴァは茂みの向こうをみすえる二人の背中を見つめた。

 ノアはエヴァと同じように汗をびっしょりかき、ラパは4本足のひざのあたりが小刻みに震えている。

 

(ふたりだって怖いんだ)

「3つ数えたら飛び出すぞ」

「おう」

「1、2……」

「先生、ラパ」

「ん?」

「行っちゃダメ。さっきみたいに腕をひっこぬいてくれる人が必要だもの」

「エヴァ?」

(守られてばかりなんていや。変わると決めたじゃない。ここで自分だけ助かったら、わたしは一生自分で自分を自分で認められなくなる)

「お願い。すぐにひっこぬいてよ」

 

 手を地面に突っこんだ。手先から腕が木の根のように変質し、枝分かれし、地中に埋まっていく。

 ブウンと、頭の中に森のいたるところの風景が流れこんだ。ずんっと頭が重くなる。


「う、あ、ああっ、ああああ」

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