第10話 樹木の繭

 倒れていたノアが、いきおいよく金髪の男に体当たりした。

 男がよろめき、エヴァが投げだされる。口に入れられた黒いチップが地面に落ちた。

 衝撃でペンダントのひもも首から外れる。紺青こんじょうのコンパクトのような円盤が地面に叩きつけられ、ぱかっと口が開いた。中から2つのチップが飛び出る。透明なクリスタルのようなチップと、アルファベットの『B』の丸みの部分をとがらせたような文字が彫られた、エメラルドのような深緑のチップ。

 男の長く太い金髪の束が、ノアの体を払った。

 

「邪魔をするな」

 

 血をはきながらノアは立ちあがる。

 

「彼女に手を出すな」

「先生……」

「マナズごときがわが姫を奪うつもりか」

 

(マナズ?)

 

 波打つ金髪の先がさらに尖り、鉱物に変わった。ノアをつらぬこうとする。

 

「だめ!」

 

 エヴァはとっさにペンダントと深緑のチップを拾った。


(これはまだ使ったことがないけど)

 



 その昔、エヴァの母が幼い自分に、ペンダントの中に収納された2つのチップを見せた。透明なチップと、エメラルドのような深緑のチップ。


「透明なほうはだれも見ていないところでいつでも使っていいわ。でも緑のほうは絶対絶命のときだけ使うのよ。危ないから」


 


(母さま、助けて)

 

 エヴァはペンダントと深緑のチップを下腹で重ねた。

 

「変身!」

 

 ペンダントが青く光る。

 深緑のチップがゆがみ、メキメキと音を立て膨張ぼうちょうした。チップは樹木じゅもくかたまりのようなものに変質し、膨張を続けてエヴァの体に絡みつく。

 

「なにこれ。いや」

 

 ノアも三匹の動物も立ちつくした。

 金髪の男がにやりと、

まゆを作るか。まさしく百年前と同じ」

 

 エヴァはふくれあがった木の塊にのまれていく。ノアのほうへ手を伸ばす。

 ノアもエヴァを助けようと手を伸ばした。

 

「エヴァ!」


 金髪のくいの先がノアの腕を貫こうとし、ノアはよけた。

 エヴァは樹木の塊に完全にのみこまれた。塊は2、3mはある。

 男の長い金髪がおうぎのように広がり、うねうねと波打った。光を背にし、かげのかかったその姿は、さながら邪教じゃきょう魔神まじんのようだった。

 

「姫はわたしのものだ。わたしがもらう」

 

 ノアは剣を構えた。

 

「彼女はぼくの弟子だ。ぼくのものだ。奪えるものなら奪ってみろ」

 

 黒い犬のラパも、ノアのとなりでうなった。金髪の男に向かって牙をむきだす。

 

「さっきの仕打ち、後悔させてやる」

 

 茶色のキツネザルのカイと、白いキジのシエルは、そろそろと逃げようとしていた。

 ラパがほえる。

 

「おい、おまえらも来い!」

「ひい。はい!」

 



 闇の中、エヴァは目を開けた。小さなすきまから外の様子がうかがえる。

 長い金髪をうねうねと動かしている、美しい男が見えた。エヴァのほうに先の尖った金髪のくいを突き立てようとしている。

 剣を振るノアの背中が見えた。おそいかかる男の金髪を重たげにはじいている。

 黒い犬、茶色のキツネザル、白いキジも、金髪の杭にみついたり、ひっかいたり、つついたりしていた。

 みんな体中傷だらけで血がにじんでいる。息はあがり、ふらふらとして今にも倒れそうだ。

 金髪の男の声が聞こえた。

 

「殺してやる」

 

(みんな。やだ。殺さないで)

 

 城の庭でノアと話したことが思いだされた。

『ぼくはきみが一人の人間として幸せになってほしい』

 

(先生。死んじゃいや)

 

 エヴァは外に向かって手を伸ばした。

 



 ノアは男の金髪をひたすらはじき、エヴァをのみこんだ樹木の塊を守っていた。

 犬のラパも金髪に噛みつく。キツネザルのカイも木々をわたりながら金髪をひっかく。キジのシエルはぴゅんぴゅんとびながら、

「騎士さま、上上。犬さん、斜め横」

 と、全員におそいかかる金髪の位置を知らせた。

 ノアは金髪をはじきながら感心する。

 

「目がいいな。おまえ」

「えへへ。鳥はこんなに目がいいんだね」


 ラパがほえた。


「おれは犬じゃねえ。狼だ!」


 木の上のカイが冷たくあしらう。


「いや、犬でしょ」


 ノアは息をあがらせながら、少しほほえんだ。


「のんきな」


 じつのところ、体力がつきかけている。

 

(あの金髪、一回で弾き返すのがやっとだ。かたく重い。あと何回はじけるか)


 うしろの樹木の塊をちらりと見やった。


(守らなくては。婦人が傷つくのも悲しむのももうたくさんだ)

 

 城での剣の稽古けいこのとき、エヴァは泣いていた。

 その姿が、子ども時代に見た、泣いてばかりの母親の姿と、いやがおうにも重なる。

 金髪の男が舌打ちし、「しつこい」と言うと、ぴゅうっと指笛ゆびぶえを吹いた。

 木々の間から、いく人もの金髪の美しい女たちが顔を出した。みな満面の笑みをうかべている。


「ダイジョウヴ?」

「ダイジョウヴヴ?」

 

 ノアは青ざめた。三匹の動物も警戒する。

 女たちがゆらゆらとノアらに近づく。女たちの手先や足先は、すでに鉱物になっていた。

 ノアは両腕を広げ、樹木の塊をかばった。

 

「来るならこい!」

 

 その塊から、メキメキと音がする。

 ノアや三匹の動物がふりかえると、樹木の塊が左右にばっくり割れた。あいだから、エヴァがはいでた。


「みんな……。死んじゃやだ」


 エヴァの姿を見て、ノアも三匹の動物もおどろいた。

 

「きみは、エヴァなのか?」

「あんた、その姿は……」

「……え?」

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