第二章 石と樹の魔術兵器

第6話 作戦変更

「……助けて……たすけて……たスケて……タすケテ……」

 

 まばらに木が生えた岩場。男がひとり、うめいていた。血走る目をぎょろつかせ、上向うわむいてあごをしきりに動かす。その肉の顔は、岩のかたまりから生えていた。

 首から下を岩にされてから、もう何日経っただろうか。

 胃腸も岩になったからか、飢えはない。乾きもない。おそらく、一生このまま。

 耳の穴と、鼻と口と目からどろりと、赤黒い血がねっとり垂れた。

 全部、あの女のせいだ。


「ゆルサなイ。えヴァ・オしラ」





 オシラ国の北東の、ダエグ国との国境沿い。

 雪のうすくかかった荒野で、ノアの率いるオシラの軍隊が、ダエグの軍隊と戦っている。


 その中に、とある小部隊がいた。

 大きな真っ白い馬に乗る、鎧姿よろいすがた華奢きゃしゃな栗毛の隊長。それと歩兵の若い青年が四人。

 隊長はエヴァ。息をあがらせ、汗だくになりながら、ロングソードで必死で敵をりつけた。だれも殺さないようにする。

 歩兵の四人のうち、一番若く華奢な青年シエルが、敵に押され尻もちをついた。

 

「う、うわあ」

 

 四人のうち、一番年上で大柄な男、シェルブが、シエルをかばいながら敵を剣で斬りつけ倒した。

 

「よおシエル、けがはねえか?」

「シェルブさん、ぼくなんか助けても……」

「なんてこと言う」

「足がふるえてるんです。ぼく、軍で一番の役立たずです。うー」

 

 泣きそうなシエルに、シェルブは肩をかす。

 

「そんなことねえよ。おれが負傷兵のテントまで連れて行ってやる」

 

 四人のうち、一番敵を倒している細身のラパが、戦いながらつばをはいた。

 

「おれはてめえのようなやつが男だとは認めねえ」

 

 シエルはしょんぼりするが、シェルブは笑った。

 

「ラパだって最初はそうだったよな」


 ラパは元々悪い目つきをさらに悪くし、不機嫌そうに無視した。

 四人の中で一番ぼんやりしているカイが、倒した太った敵を猫のような目でながめる。

 

「……うまそう」

「た、食べないで!」

 


 オシラの軍が敵軍を押し、退却たいきゃくさせた。

 ノアが宣言する。


「今日は終わり。明日の作戦にそなえよう。陣地じんちへ戻れ」

 

 それを聞くとエヴァは、「や、やっと終わった」

 と、へとへとの体で汗や血を布でぬぐった。そしてなぜか絵本を取りだし、ページを開いてぶつぶつとつぶやきだす。

 シェルブがくすくす笑った。

 

皇女こうじょさまは戦も余裕なようだ」

「ちがうわ。これは勉強よ。それから」

 

 エヴァは胸にトンっと手を当てる。

 

「皇女と呼ばないで。ここにいるのは伍長ごちょうのエヴァ・オシラよ」

「ははは。皇女さまはかわいいですな」

 

 カチンとした。


(こっちは必死なのに)

 

 ラパがぷいっと顔をそむける。


「おれは絶対あんたには従わねえ」

「なんですって?」

「男が女に従うかよ」

 

 エイベルが後ろ足でラパをけとばそうとした。

 

「なにしやがる!」

「エイベルさんやめて」


 やりとりを見るノアはため息をついた。


(大丈夫か? この部隊)

 


 

 夜までに、軍の陣地にテントが張られた。

 数人の料理番が、なべの中のスープやらおかずやらを兵士に配った。みんなそれをガツガツ食べる。

 ヘロヘロで帰ったエヴァの隊を、スープを作り配膳はいぜんしているノアが出迎えた。

 

「順番は守れよ」

 

 エヴァはおどろいた。

 

「先生、先に帰ったと思ったら……、料理番なの?」

「ああ。趣味なんだ。自宅の庭に畑を作って野菜も育ててる」

(意外)

「ほら。多分ほかの料理番が作ったのよりうまいぞ」

 

 ノアはエヴァの隊にスープの器を配った。

 カイが、「おいしー!」と、スープを一気飲みする。

 エヴァも一口舌をつけ、「ほんとだー!」と、スープを一気飲みした。おかずもガツガツ食べる。

 器を持ったラパとシェルブはあきれかえった。

 

「あんたほんとに女か?」

「ははは。もっとおしとやかにしたほうがいいですよ。サー・ノアもなんとか言ってやってください」

「あ、ああ」

 

 ノアはあきれつつ、少しうれしかった。


(ぼくが作ったものはそんなにうまいか)


 


 月が暗い空の真上にのぼった。

 陣営のテントは、ランタンの明かりでぼんやり照らされる。明かりの下で、兵士たちが並んで眠っていた。


 ノアのテントの前に、各部隊の隊長格が集まった。

 エヴァもいる。エイベルが寄ってきて、やわらかい鼻でエヴァの肩をつんつんとつっついた。


「エヴァ、にんじん」

「寝てなさいよ。ほかのお馬さんと一緒に」

「あすこの連中とはウマが合わん」

 

 プッとエヴァは吹き出した。


「どこでおぼえたのその言葉。……くくく」


 おかしくて笑いが止まらなくなってしまう。

 テントの前のノアに、じろっとにらまれる。


「エヴァ・オシラ伍長ごちょう。なにかおかしいことでも?」

「い、いえ。なんでもありません!」


 彼はいぶかしげにしつつ、地図をかかげながら説明した。


「明け方、不意打ちで敵をおそう。一軍と二軍が敵をはさみうちにし、峡谷きょうこくへ追いやる。三軍が上から矢を射れ」

(よくある作戦ね)

「各隊の伍長は敵軍をうまく誘導してくれ。なるべく隊員は死なすな」

「はっ」

 

 エヴァはうきうきとした。

 

「わたしたちはどの軍かしら」

 

 エイベルがこそこそと、

「1日にんじん10本と引き換えだからな」

「わかってるわ。でも食べすぎも毒よ」

「それと危なくなったらわしはおまえさんを連れてすぐ逃げる」

「はいはい。わかって……」

 

 突然、ほら貝を吹く音がした。

 それとともに、ざっ、ざっと大軍隊がやってくる。

 みんながテントの外を見やった。

 その大軍隊の先頭では、得意顔のロンが、金と真珠の馬具をつけた馬を、手綱たづなを握ってのっそのっそと歩かせている。

 エヴァもノアもエイベルも面食らった。

 テントのみんながざわざわする。

 

「皇太子殿下だ」

「どうしてここに」

 

 ロンが陣営のそばまで来た。

 ノアがとまどってたずねた。

 

「殿下、どういうことです」

「おれも国のために戦ってやることにした。おしのびだから『国同士の戦い』ともならぬだろう」

(お忍び? そのキンキラはなによ……)

「しかし作戦が……」

「作戦は変えずともよい。ただ人手と優秀な司令官が増えるだけだからな」

 

 ロンは大笑いし、ちらっとエヴァを見る。

 

「トロい馬に乗っているやつがいる」

 

 エヴァは身がすくみ、エイベルのかげに隠れた。


 

 

 明け方、丘の上まで、ノアとロンが軍隊を引き連れてやってきた。

 眼下にダエグの軍勢が見える。

 

「見えた。敵軍だ」

 

 軍隊のしんがりにはエヴァの部隊もいた。隊長のエヴァは部隊の一番うしろを歩く。

 シェルブとシエルがふりかえった。


「皇女さまは前を歩かれたらいかがです?」

「そうですよ。昨日はそうされていたではありませんか」

 

 エヴァは神妙に、「エイベルさんは『トロい』のよ」

「?」

 

 エイベルがブーっと不満そうに鼻をならした。

 ノアが軍に命令する。


「作戦通り三軍にわかれてくれ」

「はっ」

 

 ロンがエヴァの部隊を指差した。


「きさまらは第四軍だ」

「え?」

「特別部隊として敵軍の前方からいどめ」

 

 エヴァと4人の部隊員は凍りついた。ノアがかばおうとする。

 

「殿下、なりません。この方は……」

「従わぬなら処刑だ。逃げてもな。皇女だろうと容赦せん」

 

 ロンはエヴァを見ながらニヤニヤした。

 

「まあどうせそのトロい馬では逃げようもないだろうが」

 

 エイベルがロンをにらんだ。

 部隊員のラパ、カイ、シエル、シェルブはとまどう。

 

「前方から突っこむなんて自殺行為だぜ」

「ぼく死にたくありません」

 

 ロンは冷酷に言う。


「行かぬ兵は今ここで処刑する」

 

 エヴァは冷や汗をかいたが、間をおいてから、

「……わかったわ」

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