第3話 魔法のペンダント

 周囲も失笑した。

 

「確かに皇太子がオシラ伝統の乗馬大会で最下位とは……」

「しかも婦人にやつあたりとは、さすがに品位が。なあ」

 

 双子のルナとソレイユは、ぴょんぴょんはねて大よろこび。

 

「お姉さますごーい」

 

 ロンは地べたに伏して真っ赤になっていた。おきあがると、エヴァにこぶしをふりあげる。

 

「女のくせに。口の利き方に気をつけろ!」

 

 エヴァは勇気を出して反撃した。


「皇太子のくせに暴力はいいの?」

 

 パシッと、横からロンのこぶしをノアがつかむ。

 

「そのとおりです。殿下は暴君ぼうくんと見られ人望を失います。おやめを」

「ぐぬぬ」

 

 ロンはいたたまれず、さっさとその場を離れた。周囲から拍手があがる。エヴァは照れた。

 馬のエイベルはすまし顔で、ノアがさしだしたにんじんをむさぼっている。

 エヴァはエイベルにこそっとささやいた。

 

「エイベルさん今笑ったでしょ。人語がわかるの?」

 

 エイベルはツンとして、うんともすんとも言わなかった。




 夕方。乗馬大会が終わり、エヴァはたくさんの馬たちを馬小屋に誘導した。小屋にはすでに馬番の男がいる。

 馬の体を洗い、ブラッシングしてやった。

 

「みんなおつかれさま」

 

 ときどき、肩だの腕だのをまれる。

 

「痛。バリーさん待って。順番よ」

 

 馬番の男がせせら笑った。

 

「女のくせにでしゃばるから噛まれるんだ」

「『女のくせに』はいらないですよね?」

 

 せせら笑いは舌打ちに変わった。


「おれは帰る。あとのえさやりと掃除は全部おまえがやれ」

「全部? ちょっとくらい手伝ってくれても」

「女はすぐ甘えてくるよな」

 

 エヴァはムカっとした。

 

「わかりました。やりますよ。ええ」


 それからひとりで馬の体を洗い、一匹ずつにえさを与え、馬糞を集め掃除をした。




 終わるとエヴァは蝋燭ろうそくをつけた。ほんのりあたたかい火がゆらゆらゆれ、暗くなった馬小屋をぼんやりとてらした。もう夜だ。

 積まれた枯れ草の上に、エヴァはどさりとあおむけに寝転ぶ。ふかふかだが、とげとげする。

 真上の天井には穴があいていて、月が見える。

 

「疲れた」

 

 エイベルが寄ってきた。あたたかく、やわらかい鼻先で、つんつんとエヴァの体をつつく。

 上半身を起こし、彼の頭をなでてやった。

 

「ねぎらってくれるのね。ありがとう」

 

 エイベルは足を折り曲げ、エヴァのひざの上に頭をのせた。長いまつげがおり、黒曜石のような瞳がとざされる。

 いとおしくて、白い毛をすいてやった。

 

「もう一度聞くけどエイベルさん、ほんとは人語がわかるんでしょ」

 

 エイベルはわざとらしく枯れ草のにおいをくんくんかぎ、かじりはじめた。

 

「ごまかしてもわかるわよ。だってただの馬は人のひざの上に頭をのせないし、こんなツノも生えてないわ」

 

 エヴァはエイベルの真っ白なたてがみをかき分けた。

 毛の中に隠れた白いつの。短く、太く、先が丸く、ほんのり輝きをおびている。

 

「おおかたツノを折られたユニコーンとかなんでしょ。ユニコーンは処女のひざの上に乗るっていうもの。合ってる?」

 

 エイベルはすましたまま。

 

「もう。なんとか言いなさいよ。……そうだ」

 

 エヴァは枯れ草の下をガサガサ漁った。数冊の本が出てくる。

 

「兄さまからこの本と、このペンダントだけは守ったのよ」

 

 首にかけたペンダントの、紺青こんじょうの円盤をエイベルに見せびらかした。

 エイベルはそんなものは知らないといわんばかりに、本をかじろうとする。エヴァは本をかばった。

 

「これはえさじゃないわ。いろんな地域の言語の本よ」

 

 数冊の本をパラパラめくった。本ごとに文字が違う。

 

「わたし、たくさん言葉を覚えてあちこちいくのが夢なの。見知らぬところに行くのって、ワクワクするじゃない?」

 

 その夢を想像するだけで興奮にうちふるえる。

 

「なんで同じ国なのにいろんな言語を覚えなきゃいけないかわかる?」

 

 一冊の絵本をとりだした。

 

「せっかくだから教えてあげる。これはこの国の歴史の絵本。私が一番好きな本よ」

 

 エヴァが開いた絵本を、エイベルものぞきこむ。

 

「ついでに読み聞かせでもっと人語を教えてあげるからね」

 

 絵本には可愛らしい絵がいくつも描かれていた。

 

「昔々、大きな土地に小さな国がいくつもありました。そこに人間、エルフ、ドワーフなど、さまざまな種族が住んでいました」


 ページをめくると、大小の国々の絵、人間、エルフ、ドワーフなどの絵が。

 

「小さな国同士は新しい土地を得るため、また外敵から身を守るため、いつも戦争をしていました」

 

 戦争の絵。男たちが剣を合わせ争っている絵。

 

「争いが続く世の中で、大人たちは、男の子には国や家族を守る強い戦士であれと言い聞かせました」

 

 剣や矢などの武器をかかげた男の子の絵。

 

「女の子には男の子が戦地に出ているあいだ、家を守り子供を育て、帰った夫を喜ばせる美しい淑女しゅくじょであれと言い聞かせました」

 

 子供を抱えうつむいている女の子の絵。

 

「子供たちは大人たちの言うことを守り、自分たちが大人になると、今度は自分の子供に同じことを言い聞かせました」

 

 子どもたちの絵。

 

「国々は数百年争い続けた末、銀の英雄、キング・ザカライアの力により、ひとつの大きな国、オシラ帝国になりました。……キング・ザカライアよ。よく覚えておいて。この人はオシラ人にとって神のような存在だから」


 エイベルはなぜかそっぽをむいた。


「もちろんすべての国が、というわけではなく、いまでも争いは続いています。でもそれも辺境でのことです」

 

 オシラ帝国の地図。周辺の国の地図。

 

「それから百年たちました。争わず、平和な時代になり、人々は戦いを忘れました。ですが言葉というものはしぶとく、旧国きゅうこく領民りょうみんはいまでも昔からの言葉を話しています。そして大人からの言いきかせもしぶといものでした」


 男の子と女の子の絵。


「男の子と女の子は、大人たちから代々言いきかせられたことを、今でも忠実に守っています。男の子は強くたくましい戦士であれ。女の子は男の子を喜ばせる淑女しゅくじょであれ」

 

 エヴァはそこで絵本を読むのをやめた。

 

「少しは言葉を覚えられた?」

 

 エイベルはなんとも言わない。

 

「この絵本を書いたのは誰だと思う?」

 

 エイベルは舌で絵本のページをめくった。次のページは空白。

 エヴァはエイベルの頭をなでた。

 

「わかってるじゃない。そう、わたしよ」

 

 エヴァは立ちあがり、近くの蝋燭ろうそくの前に立った。火を白紙のページにかざす。

 黒いすすが白紙に付着した。エヴァは本を動かし、器用に煤で絵を描く。


「みんなが古臭い教えを忠実に守っていると、世紀のトンチキ皇太子、ロンが現れたのでした」


 ロンの似顔絵。

 憎々しくて破り捨てたくなるが、こらえた。

 

「彼は母親の身分が高く、皇帝陛下の唯一の成人している息子です。幼いころからみんなが彼をほめたたえました」

 

 チヤホヤされるロンの絵。

 

「甘やかされて育った彼はしかし、ナルシストになりました。なまけ者で先々のことを考えるのも苦手です」

 

 本を家庭教師に投げつけるロンの絵。

 

「陛下や大臣によくしかられますが、自分より弱い者、とりわけ女を見下すことで、かろうじてプライドを保っています」

 

 女性を叱責しっせきするロンの絵。

 

「何より彼のまずいのは、思いこみの激しいところです。たとえばロン皇太子が狩りのとき、馬を乱暴に扱うので、エヴァ姫が『動物には優しくして』と言うと……」


 馬を叩くロンを叱るエヴァの絵。


「『母が違うが、きみとは兄妹なのだからそういう関係にはなれないよ』と、みんなの前でもったいぶって言いました」

 

 首をふるロンの絵。

 

「なにを勘違いしたのでしょうか? エヴァ姫は『なんのことかよくわかりません』と答えました。まわりの人たちは苦笑いでした」

 

 首を傾げているエヴァの絵。苦笑している周囲の絵。

 

「それ以来、ロン皇太子はエヴァ姫のことをつけまわし、執拗しつようにいやがらせをするのでした」


 煤で描いた絵本を読み直し、エヴァは冷や汗をかいた。

 

「待って。このまま兄さまが皇帝になったらまずいんじゃない?」

「……確かに」

 

 ボソッと、エイベルが低い声でつぶやいた。

 エヴァは一瞬びっくりしてから、エイベルの顔をわしゃわしゃなでまわした。

 

「やっぱり人語話せるじゃない」

「チッ。バレたか」

 

 エイベルは不機嫌そうにひずめで地面をかいた。


 


 ひとしきりエイベルをなでまわしてから、エヴァはたずねた。

 

「どうして人語がわかるの?」

「まあそのうち話してやろう。それよりこの国は大丈夫なのか?」

「大丈夫じゃないわ。兄さまが玉座についたらとんでもないことになっちゃう」

「その前に逃げるか?」

「逃げる?」

「国が滅ぶなら安全な場所に逃げればよい。わしが連れて行ってやってもいい」

 

 エヴァは少し考え、すぐに首を振った。

 

「逃げないわ。変わりたいもの」

「ほほう。ではどうする?」

「……かわりに新しい夢でも見るのはどうかしら。どうせなら」

「夢?」

「今からわたしの夢は3つ。ひとつ、言葉を覚えてあちこち行くこと」

「ほうほう」

「ふたつ。悪を倒す正義のヒーローになること」

「?」

「みっつ」


 首から、キラキラした紺青こんじょうの円盤のペンダントを外した。手のひらほどの円盤はコンパクトのようで、厚みがあり、側面を押すことでふたがパカパカと自在に開閉できるようになっている。

 エヴァはペンダントを開いた。

 中には2つの円盤のチップが収納されている。透明なクリスタルの円盤のチップと、エメラルドのような深緑のチップ。

 深緑のチップには、白い文字が彫られている。表面にアルファベットの『B』の丸みの先をとがらせたような文字。

 エヴァは透明なほうのチップを取り出した。

 

(母さまからもらった魔法のペンダント)

 

 

 幼いころ、エヴァの母がこのペンダントを渡してくれた。栗色の髪の母は、快活な笑顔を浮かべ、こう言った。

 

「困ったことがあればこれを使って。でもまわりには知られちゃだめ。わたしとエヴァだけの秘密のペンダントよ」


 

 エヴァは紺青のペンダントを下腹に当て、クリスタルのチップと重ね合わせた。あるものを思念する。

 

「変身!」

 

 チップからスルスルと、半透明の柔らかい蜘蛛くもの糸のかたまりのようなものがとびだした。

 エイベルは目をみひらき、耳をピクピク動かした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る