第2話 痛恨のひとこと

 日曜日の朝。

 食事を作り、合間に部屋の片づけをすると、後ろから物を投げつけられた。

 

「さっさと出せブス!」

 

 兄はテレビアニメを見ている。中世ヨーロッパ風世界が舞台の、女児向け変身アニメ。

 怪人が一般人を攻撃し、街を破壊している。

 駆ける白馬の背に乗った、ピンクの髪のお姫さま。腰のベルトに手をあて、『変身!』と叫ぶ。ピカっと体が光り、衣装が変わった。騎士がイメージされた、かわいい白のスーツ。


『私と戦いなさい!』

『出たな! キュアライダー』


 お姫さまは白馬に乗り、ロングソードで怪人と戦う。


『悪い奴を倒して、世界を平和にするの』


 なんとなく思った。


(いいなあ、キュアライダー。私も正義のヒーローに変身して悪い奴を倒したい)


 壁際の仏壇ぶつだんには、父親と母親の遺影いえいが置いてある。父は強盗に殺された。犯人はまだ捕まっていない。ショックを受けた母は宗教にのめりこみ、金を捧げ、治療費もろくに払えずがんで死んだ。

 以来ニートの兄が家を占領し、わずかに残った金を使い込んでいる。大学進学はあきらめた。

 世の中どうして悪い奴ばかりが得をするのだろう。

 兄はゲラゲラ笑った。

 

「本っ当に気が利かねえ女。一生結婚できねえな」


 


 会社では、上司に怒鳴られた。


「こんなこともできねえのか!」

「申し訳ありません」

「まったく女は使えねえな」


 不機嫌そうな上司がドサっと椅子に座るまで、ひざがふるえるのをこらえた。周囲は見て見ぬふりだ。

 自分の机に戻ると、一生懸命パソコンのキーボードを叩いた。書類が散らかった机には、高濃度カフェインドリンクのペットボトル。

 通りかかった男の先輩が、うしろからガンっと、わざと椅子の足を蹴った。

 

「ひゃ」

 

 男の先輩はこれみよがしに眉をひそめる。

 

「ちょっときみ」

「は、はい」

「その目元はなに? くまがひどいよ。社会人の女性なんだから化粧で隠すくらいしなさい」

「はい……」

 



 深夜、ふらふらで玄関を開けると、兄が待ちかまえていた。


「金は?」

「この前もあげたじゃん」

 

 兄は壁を殴った。

 

「兄貴にたてつく?」

 

 怖くてふるえ、カバンの中の財布からお金を渡した。兄はバッとかすめとる。

 

「なにその目。おれが悪いとでも言いたいの?」

「別に」

「嫌なら出ていけば」

「お金ないから」

「男ならもっと稼げたよな。女に生まれたのが悪い。つまり全部おまえが悪い」

 

 ムカっ腹がたった。

 

 


 会社で、連日夜中までキーボードを叩いた。

 

(お金を貯めて絶対家を出て行ってやる。上司も見返してやる)

(はあ。生まれ変わったらキュアライダーになりたい。悪い奴を倒して世界を平和にするの……)

 

 

 ふらふら会社を出て、深夜の横断歩道を渡っていたら、強烈なクラックションの音と、強烈な光を浴びた。

 巨大なトラックが、眼前に迫っていた。

 そこからの記憶はとぎれている。




 オシラの乗馬場でひざまずくエヴァは、すべてを悟った。

 

(多分事故死とかいうやつだわ)

 

「これだから女は……! きさまなんぞ……! ……っ! ……!」


 ロンは白馬のエイベルの上で、まだぐちぐちエヴァに文句を言っている。


(私、ここでない場所で似た思いをしてきたのよ。だから兄さまに逆らえなかった。でもいいの? このままで。前世でも今世でも)

 

 どくん、どくんと、エヴァの心臓の鼓動が大きくなった。冷や汗が噴き出る。息が浅くなる。

 

「あの、ロン兄さま」

「なんだその目は。皇太子にたてつく気か?」

(ううん)

 

 エヴァは大きく息を吸った。

 

「あなたは?」

「あ?」

(せっかく新しい世界に転生できたのよ。だったら……)

「あなたはどうなの?」

「?」

(変わりたいじゃない)

「ビリでゴールって。カッコ悪」

「……」

 

 ロンは凍りついた。

 周囲の者たちは青ざめ、ノアは息をのむ。

 ブッと、エイベルが吹きだした。ロンを背に乗せたまま、身をゆらして大笑いする。

 

「うわ」

 

 ロンはおどろいて落馬した。エヴァもおどろく。

 

「お馬さんが笑った」

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