クイーンオブオード【土曜更新】

Meg

第一章 城にて

第1話 花なし皇女エヴァ

 二本足の巨大な草のかたまりが、ガサガサ、ガサガサ、走って追いかけてくる。

 森の中、女は長い金髪をふりみだし、必死で逃げていた。


「ひぃ、ひっ、ひ」


 女の足から、皮膚ひふをつきやぶり、にゅるにゅると植物ののようなものが生えた。小さく悲鳴をあげて倒れる。足を、手を、顔を、皮膚の下からその芽は侵食する。

 倒れた女に、二本足の草の塊がおおいかぶさった。叫んであばれるが、草の塊はその体をのみこんでいく。


 しばらくして、塊がメリメリと割れた。あいだから、男が現れる。垂れた長い金髪。長い耳。彫刻のような美しい顔。


「百年待った。オードの姫はオシラにいる。手にするときが来た」


 男はゆらゆらと森を歩いた。

 栗色の髪の、明るく快活な、ある少女のことを思いながら。


「わが美しき姫」




「ブス!」


 オシラ帝国の森の競馬場でのこと。

 白馬に乗った金髪のロン・オシラは、ひざまずく少女、エヴァ・オシラに言い放った。

 周囲の乗馬姿の者たちは、しーんとして青ざめる。

 エヴァはピキッとひたいに青筋を立てた。若い娘だが、すり傷だらけの体に、みすぼらしい馬番の上着とズボンをまとっている。長い栗色の髪はうしろで無造作にまとめていた。

 ロンの側近、ノア・スチュアートがたしなめる。


「殿下。今日は王族貴族水いらずの乗馬大会ですよ」

 

 ノアを無視し、ロンはエヴァのほうを見ながら鼻をつまんだ。


「ブスは化粧くらいしろ。ブスくさいぞ」

 

 エヴァは青筋を立てつつにこやかにほほえむ。


「わたしめは馬番です。馬が化粧をなめたら大変です。それに化粧道具はお兄さまが……」

「言いわけするな。女のくせに」

 

(なんなのこいつ)

 

 ムカっ腹がたった。いらだちと悔しさで頬が燃えるように熱くなる。だが、ぎゅっと目をつむり我慢した。

 

(くっ。この人だけにはなぜかいつも言い返せない。どうして……)

 

 悶々もんもんとしていると、魂の深い部分から、記憶が呼び起こされる感覚がした。

 

『ブス! 役立たず! 女のくせに』

 

(ん? この状況、昔どこかで……)


 


 ことの発端は一時間前。

 針葉樹しんようじゅの森の、ひらけた競馬場では、乗馬大会が開催されていた。

 馬を操る騎士姿の王族の男たちが、次々とゴールし、談笑した。

 

伯爵はくしゃくには一歩及ばぬか。一年かけきたえたのだが」

「いえ。公爵こうしゃく子爵ししゃくの走りぶりもなかなか」

 

 ゴール付近には、着飾った華やかなドレス姿の女たちが並んでいた。腕には色とりどりの花を、あふれんばかりに抱えている。

 ゴールした男たちは、おのおの一輪の花を気に入った女に渡した。

 

「あなたが一番美しいから花をあげよう」

 

 女たちをなめまわすようにジロジロ見ながら。


(乗馬大会上位者は、一番多く花をわたされた美しい女をめとれる)

 

 みすぼらしい馬番姿のエヴァは、男たちがおりた馬を引き、仮の馬留うまどめに連れて行こうとしていた。ドレスではなくズボンを着て、体はすり傷や切り傷だらけ、ボサボサの栗色の髪を無造作にうしろで束ねている。

 エヴァは馬に優しく語りかけた。

 

「よーしよし、がんばったね」

 

 馬をうしろからある男がった。

 馬が暴れ、エヴァは蹴られて倒れる。

 

「きゃ!」

 

 衝撃で、首にかけていた円盤えんばんのペンダントが、服の下からとびでた。簡素なひもから垂れた円盤は、手のひらにおさまる程度の大きさをしている。夜空のような紺青こんじょう色で、カットされた宝石のように、キラキラきらめいている。表面には白い模様が彫られていた。五芒星ごぼうせいの5つの先端それぞれを、小さな円が囲った模様。

 馬を蹴った男はエヴァを見下した。

 

「女に馬番が務まるわけない」

「馬に乱暴してんじゃないわよ!」

 

 怒鳴ると、男はそそくさとほかの男たちのほうへ逃げ去った。

 エヴァはひざについた土ぼこりを払いながら立ちあがった。ゴール前の、華やかな女たちの陰口が聞こえる。

 

「万年一輪の花ももらえない方にお似合いの仕事ですこと」

賎女せんじょの子」

 

 エヴァのほうに、腹違いの小さな妹ルナと、弟ソレイユがかけよった。銀髪に銀眼のふたりは双子で、顔がよく似ている。赤いほっぺがまんまるで、落っこちそうだ。

 

「エヴァお姉さま大丈夫?」

「大丈夫。慣れてるから」

「あいつはぼくがこてんぱんにしてやる!」

「大きくなってからにしなさい」


 ルナがエヴァのペンダントを見上げ、みとれた。

 

「お姉さまの首飾り、きれいね」

「でしょ。母さまの形見なの。魔法が使えるのよ」

「まほう?」

「ふふふ。秘密の魔法」

 

 エヴァはペンダントを服の下に隠した。

 ソレイユが、

「お姉さまはどうしてきれいにしないんですか? 本当はとってもお美しいのに」


 エヴァは馬をなで、ため息まじりにつぶやいた。


「わたしなんて。国一番のしこめよ」

「そんなこと……」

「それに毎年この時期になると兄さまが化粧道具とドレスを取り上げるの」

「ええ? 皇太子お兄さまが?」

「どうして?」

「いやがらせで」


 ルナが心配そうにした。


「でもきれいにしてお花をもらえなきゃお嫁にいけませんよ」

「いいわよ別に」

(だって上位になってお嫁になりたくはないのもの。叶えたい夢があるから)


 ソレイユが、「お嫁にいっちゃやだ。ぼくがお姉さまと結婚するんだもん」


 ルナはおませに腰に手をあてた。


「きょうだいは結婚できないのよ。そんなことも知らないの?」


 ソレイユは目をぱちくりさせ、わあっと大泣きした。


「いやだよお」

 

 エヴァはクスクス笑い、ソレイユの銀髪をなでた。

 パカラッ、パカラッと、ノア・スチュアートの馬がゴールした。黒髪に短髪、グリーンの瞳の若い騎士きし。整ったきれいな顔と長身が人目をひく。

 ノアが馬から降りると、ゴール付近の華やかな女たちが、色めきたって彼を取り囲んだ。

 

「きゃー! スチュアートさまー!」

「サー・ノア、ゴールおめでとう。わたしをめとって!」

「すまない。まだそういうのは考えてないんだ」


 みすぼらしいエヴァは女たちをかき分けた。


「はいはい。どいて。お馬さんが疲れてるから」

「ん? きみはエヴァか? ロン殿下の異母妹いぼまいの」

 

 エヴァは馬の手綱たづなを持ち、わざと鼻にかかったような言い方をする。


「なんのこと? わたくしめは馬番でございますが」

「ええ?」

「あなたの主人が言いだしたのですよ。『花なし皇女は召使いにしろ』って」

「殿下が? 確かに言いそうだが……」

 


 ノアはエヴァとロンのことを思い浮かべ、少しモヤッとした。




 例えばある日の舞踏会。ドレスを着た女性たちを横に並べ、ロンはエヴァをひたすらしかっていた。

 

「ブス! おまえが一番ブスだ!」

 

 ノアはロンのうしろにひかえていた。

 うつろな目のエヴァは、うつむいてじっとしていた。そのドレスは召使いよりみすぼらしい。

 周囲は気まずそうにこそこそと話す。


「止めなくていいのか? 夜会のたびに毎回ああだが。今日はもう3時間だ」

「でも身分の高い男が女を品定めするのは普通のことだし」

「それに毎年一輪の花ももらえない人だし」

 

 急にロンがしゃがみ、エヴァのドレスのすそをぴろっとめくった。


「きゃ!」


 ロンはあらわになったふくらはぎを叩いて笑った。

 

「足はまだいいな」

 

 彼女は真っ赤になり、涙がでないように唇をぎゅっとかんでいた。


 


(殿下もあそこまでしなくても)

 

 エヴァは腰に手を当てる。


「で、言ってやりました。『わたくし馬番になります』と」

「どうしてまた?」

「動物が好きだから。どうせやるなら好きなことがいいでしょ」

「なるほど。きみは確か16歳だったか? それにしては貫禄がある」

 

 エヴァはムッとした。

 

「老けてると言いたいの?」

「そういうわけではない。失礼した」

「あはは。冗談ですわ」


 

 ノアはエヴァの笑顔を見つめた。

 

(婦人は笑顔でいるのがいい。母とちがって……)




 パッカパッカと、競馬用の道からまぬけな馬の足音がした。

 みんなが注目する。大きくて真っ白な馬に乗ったロンが、最も遅れてゴールしていた。

 

「美しい毛並み。さすが皇太子殿下の馬」

「でも足が遅すぎでは? 最下位よ」

 エヴァは笑って、

「きっとわざとゆっくり走ってるのよ。エイベルさんもあんな人の股を背中に乗せるのがいやなんじゃない?」

「エイベルさん?」

「あのお馬さんの名前です」

 

 エヴァはおもむろに、ふところからにんじんを取りだした。


「それは?」

「おやつよ。彼の大好物なの」


 白い馬に向かって、にんじんを握る手をふる。

 

「エイベルさーん、にんじんあげ……」

 

 言葉は尻すぼみになった。

 ロンが顔をゆがめ、グリーンの目でエヴァをにらんでいるからだ。

 足がすくむ。鎖をつけられたかのように動かない。

 

(どうしよう。怖い)

 

 ノアはエヴァの様子を見ると、手からすぽっとにんじんを抜き取った。


「……?」

「代わりにあげてくるよ」


 ゴールのほうへ歩む。

 

「エイベルくん。にんじんだよ」

 

 ロンを乗せた馬、エイベルは、黒曜石のような目をキラキラさせてノアのほうへ駆けた。心なしか、口角がつりあがり、笑っているようにも見える。

 エヴァはホッとした。

 

「ありがとうございます」

(兄さまの従者だけど、この人はいい人そう)

 

 ロンは思いきりエイベルの手綱たづなをひき、方向を変えた。

 

「?」

 

 まっすぐエヴァのところまで来ると、エイベルを止めて怒鳴った。

 

「ひざまずけ! おまえは女だろ! おれより偉いのか?」

 

 エヴァは恐怖で頭から指先まで震えた。頭が真っ白になる。全身に槍先を当てられているかのような気分がする。

 しかたなく、ひざまずく。

 そしてロンは言い放った。

 

「ブス!」




 それから馬上のロンは、ぐちぐちエヴァに嫌味いやみを言いつづけた。

 

「ブス。クズ。気のきかない役立たず」

 

 周囲の者たちがひそひそと話す。


「止めたほうがいいか? あれではあんまりだ」

「しかし相手は皇太子様だ。逆らったらどうなることか」

 

 ノアも口を閉ざし、小さな双子のルナとソレイユはおびえている。

 当のエヴァは、ムカムカとモヤモヤの中から、記憶をひっぱりだそうとしていた。

 

 大昔、似たようなことがあった。

 ここより空がせまく、空気がじめっとして、息苦しい場所でのことだ。

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