第8話
結婚してから毎日を順調に過ごしていたカレンは、ふと形だけの伴侶の事を思い出した。
――あまりにも見かけないので忘れていたわ。
そういえば三ヶ月ほど顔を見ていなかったと今になって気づいた。
あまりにも淡々と流れる日常と彼の存在が希薄すぎたのが原因だと思う。
――そういえば別邸にいるんだっけ。
彼はいつも帰りが遅いからだと言い訳していたが、元々は彼女と別れたくないための偽装結婚だ、たぶんきっと彼女と一緒にいるのだろう。
この契約の当初の目的を思い出し、カレンは引き続き夫の事は、そっとしておくことにした。
一方その頃、件の形だけの伴侶であるレオナルドは職場に居た。
宮廷騎士の詰め所である宿舎で当番の日報を書いていたところだった。
「よう新婚さん、曰く付きのお姫様との結婚生活は順調かい?」
「まあ、ぼちぼちとな。」
快活な声でそう聞いてきたのは同僚のレイモンドであった。
赤茶の短髪、新緑の瞳のなかなかに整った顔の好青年だ。
名をレイモンド・ヒッター。
レオナルドと同じ侯爵家の嫡男だ。
彼はレオナルドの返答に肩を竦めてやれやれと嘆息した。
「おいおい新婚のくせに淡白なヤツだなぁ。」
大仰に嘆いてみせる親友にレオナルドは白けた視線を向ける。
「お前も知ってるだろう彼女は。」
「お飾りの妻、だろ。」
レオナルドの台詞を奪ったレイモンドは面白そうに目を細める。
わかってるならいちいち聞くな、と面倒臭そうに零すレオナルドにレイモンドは肩を竦めながら言ってきた。
「娼婦に旅芸人に未亡人のマダムだけじゃ飽き足らず、とうとう曰く付きの伯爵令嬢にまで手を出すとはね。」
お前そのうち刺されるよ、と言いながら肩を竦めて見せた。
「彼女も同意している。」
「同意、ねぇ。」
「何が言いたい。」
「いや、変わった娘だなぁと思ってさ。」
親友の言葉にレオナルドは確かにと思った。
カレンの存在を知ったのは、たまたまだった。
たまたま出席していた夜会。
そこにオーディンス伯爵も出席しており、彼が零した愚痴をたまたま聞いてしまったのだ。
『誰でもいいからあの娘を貰ってくれるひとは、いないだろうか。』
カレン・オーディンスの噂は知っていた。
ことある毎に縁談が破談になる曰く付きの伯爵令嬢。
何かに取り憑かれているのか、はたまた醜悪な顔の持ち主なのかと噂が噂を呼び、どこに行っても彼女の噂は絶えなかった。
そんな相手なら使えると思った。
あちらは藁にも縋る思いなのだ、ちょっとくらい悪条件を突きつけても断らないだろうと思った。
そして物珍しさもあったのだろう、ひっきりなしにあった縁談が鳴りを潜めた頃、あの契約を持ちかけたのだった。
初めて会った彼女は意外にも普通の淑女で顔も悪くなかった。
しかしどこか冷めた印象を持つ彼女に若干の興味を覚えたが、しかしそれだけだった。
話は淡々と纏まり無事結婚できた。
そして彼女は不平不満を言う訳でもなく日々過ごしてくれている。
定期的に従者から報告される彼女の行動も普通のものだった。
ただ気になるといえば毎月実家に帰るという条件のことだ。
最初はホームシックにでもなったのだろうと放っていたのだが。
なんとなく引っかかるのだ。
念のため従者に本当に実家に帰っているのか後を追わせてみたのだが、ちゃんと帰っていたそうだ。
己の考え過ぎかと思うのだが、どうにも引っかかる。
己の受け持つ仕事柄ゆえか直感のようなものが働いて仕方なかった。
レオナルドの在籍は第一近衛騎士団である。
宮廷の花形ともいえるその部署は式典や祭事の時の王の警護が主な仕事だ。
しかも採用基準は顔の良し悪しも含まれるといわれているため美形揃いの部署だ。
その中でも一二を争うのがレオナルドとレイモンドであった。
しかしそれは表の顔。
第一近衛騎士団は実は二つに分けられている。
表の花形騎士団と裏の隠密騎士団という二つの顔があった。
そしてレオナルドとレイモンドはこの二つの顔のそれぞれの隊長であった。
表のレイモンドと裏のレオナルドである。
レイモンドは表舞台に立ち国王陛下の身の安全を守り。
レオナルドは裏の世界でその美貌と頭脳を生かした諜報活動をしていた。
この事実は国王以外は、ごくごく少数の重役達しか知らない情報である。
そのレオナルドが気にかける件の少女は、レオナルドがどんなに探っても破談の真相が得られなかったのだった。
カレンに求婚した相手は一様に口を噤んでいた。
さらに言えばカレンの名を出しただけで逃げ出してしまうのだ。
それはもうこの世の終わりを見るような目をしながらだ。
一体あのご令嬢は何をしたのかと逆に気になって仕方が無いのだが、調べようにも誰も協力してくれないのでお手上げだった。
とりあえず我が妻の事は一旦置いておいて仕事をしようと席を立つ。
「仕事か?」
「ああ。」
「ほどほどにな~。」
親友の言葉にレオナルドは軽く手を挙げ答えると、夜の繁華街へと向かうのだった。
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