第2話 ようこそ異世界
僕たちは紫色のオーラに飲まれて死んだ。
そう思っていたが、どうやらまだ意識があるらしい。
今の状況を例えるとしたら、宙に浮いている感じだろうか。
手足を動かすことはできるが、何かに手が当たることはない。
目を開けても真っ暗闇の中で何も見えない。
ここはどこなのか。もしかしたらあの世なのかもしれない。
そんなことを無限に考えていると声が聞こえてくる。
まだ遠い。だけどどこか聞き覚えのある懐かしい声だ。
「……ん」
「……て」
「……いで」
一人が話しかけていると思ったが違うらしい。三人分の声がする。
「信!」
「起きて」
「死なないで!!」
意識が一気に覚醒する。さっきまで遠くから聞こえていたはずの声が、今はとても近くに感じる。
僕が目を覚ますと、心配そうな顔をした3人が僕を見ていた。
僕は今仰向けで横になっているらしい。松下さんと美咲さんが涙を流している。
二人の瞳からこぼれ落ちた大粒の涙が僕の瞳に届く。
僕は目薬をさした時のように目をパチパチさせた。
「信! 良かった……」
航輝くんが僕の肩をもって上半身を起こす。僕の顔は航輝くんの胸の位置に気づいたらあった。
「お前、全然目を覚さないから心配したんだぞ!」
他の三人は僕より先に目を覚ましたらしい。三人が揃っていることから、あまり時間は経ってないのだろう。
「みんなも無事だったんだね。よかった」
まさかあの状況で生きているとは思わなかった。僕もみんなも。
「ああ、でも無事かどうかはわからないけどな」
航輝くんは俯きながら言った。
辺りを見ると、僕たちがいた教室でないことはすぐにわかった。
周りには多くの木が生えていて、恐らく森の中にいるんだろうな。
「ここってどこなんだろうね。薄暗くて気味が悪い」
彩乃さんは涙を拭きながらそう言った。
見たところかなり深い森に見える。夜であれば街灯一つないここでは真っ暗闇になるだろう。
つまり今は昼間。正確な時間は分からないし、太陽の位置も葉が邪魔して見ることができない。
「みんなはどれくらい前に気がついたの?」
かなり時間が経っていたらまずい。日が沈んだら身動きが取れなくなる。
「10分くらい前だと思うよ。私たちはほぼ同じタイミングで気がついたから」
美咲さんの頬には涙を流した跡が付いていた。
「これからどうする? ここがどこなのかもわからなきゃ動くに動けないな」
「そうね、航輝の言う通りだわ」
下手に動けば、体力を消耗する。それにここまで深い森で目印なしで歩き回るのは自殺行為だ。
「まずは全員のことを目で視認できる範囲内で近くを探索するのはどうかな? もしかしたら他にもクラスメイトがいるかもしれないし」
僕たち四人がここにいるということは、他のクラスメイトもおそらく近くにいるはず。
「よし分かった。じゃあ四方位に別れようぜ」
航輝くんの位置を北と仮定して、南に僕、東に松下さん、西に美咲さん。
それぞれ四人が四人を視界に入れながらゆっくりと辺りを探索する。
森の出口が見つかればいいが、そう簡単にはいかない。
この方法では探索範囲は狭い。すぐに限界範囲に達して中央に集まる。
「結局なにも見つからなかったな……」
航輝くんは残念そうに下を向く。
「どうする。このままここに留まってるわけにもいかないじゃん?」
「そうだよね。飲み水も食料もないし」
野宿するにも最低限川を見つけなければいけない。
幸いにも暑くもなく寒くもない過ごしやすい気温だからしばらくは水無しでも大丈夫そうだ。
だがそれでも数時間の猶予だろう。
「とりえず、最初にいたところに何か目印をしておこう。この森じゃ無意味かもしれないけど、ないよりはマシだと思う」
僕は持っていたポケットティッシュを地面に埋めた。正確には穴を掘って嵌めたと言った方が正しいけど。
「よし、じゃあ行くか」
僕たちはさっきのひし形のフォーメーションで進んで行く。今度は中央にグッと寄せている。
歩き始めてから30分ほどたったけど、景色が全く変わらない。
どこまでもこの森が続いていると感じてしまう。
「何もないな……」
「それな。進んでるのかも怪しくなるレベル」
航輝くんと松下さんが愚痴をこぼしたくなるのもわかる。
さっきよりも辺りは暗くなってきた。日没が近いのかも。
「どうしよう。影野くん、このまま進むべきかな?」
美咲さんが不安そうに聞いてきた。
確かにこのまま闇雲に進んでも体力を消費するだけだ。
夜進むのは危険すぎる。
「夜進むのは危険すぎるけど、今の状態じゃ飲み水が確保できない」
「それに、茂みの一つもないよねこの辺り。これじゃ身を隠すことも出来ないよね」
松下さんの言ったことがずっと気になってた。
僕の知っている森は、小さな動物も身を隠せるような茂みがあることが多い。
その分足場も悪くて進みにくいわけだが、この森は茂みが一つもない。
それどころか、地面に雑草が一つも生えてない。まるで全ての養分が木々に吸われているようだ。
「純粋な疑問なんだけどよ、何でここにある木はこんなに太くて背が高いんだ? それに空がほとんど見えないくらい葉っぱも多いし」
木が太くて、背が高い。
何でだろう……。
僕は一つの答えに辿り着く。辿り着いてしまった。
時すでに遅し。もう手遅れだった。
僕らの目の前に巨大な生物が木の影から姿を現した。
おそらく熊だろうが、大きさが明らかにおかしい。
「なんだあの熊! 4……いや5メートルくらいあるぞ!」
僕らの知ってる熊ではない。頭には一本の角が生えている。
「ねぇ、どうするの……。あたし動けないんだけど」
松下さんは腰が抜けたのか立てずにいる。
「信、おれがあいつの注意を引く。お前は彩乃を抱えて美咲と逃げろ」
航輝くんは引き攣った笑顔だった。
「それはダメだよ! あんなのが相手じゃ死に損だよ……」
「1分は無理だな。数十秒稼げれば上出来だろ?」
航輝くんは本気らしい。なら僕も覚悟を決めよう。
「美咲さん、松下さんを頼めるかな?」
「え、影野くんは?」
美咲さんは今にも泣き出しそうな顔をしている。
「航輝くんを一人にすると心配だから。僕が見ててあげないといつも無茶するからさ」
美咲さんは何も言わなかった。ただ、深く頷いた。
「さて、目を合わせながら逃げれば助かるって話は通じるか?」
「航輝くんは腕でじっとしている蚊を、殺さずに見逃してくれる?」
それはないと航輝くんは笑って言った。熊も人も同じ。
熊は大きく吠えた。その雄叫びで気を失いそうになったが、唇を噛んで耐える。
「よし、行くか!」
航輝くんは右側に展開した。
僕はその反対側に展開する。二人で挟み込む形だ。
熊が美咲さんたちを追わないように。
熊は航輝くんの方ではなく、僕の方へと来た。
二足歩行の熊は怖いくらい早い。
十分確保していた距離は次第に詰まっていき、僕の背中を捉える。
当たっただけで死んでしまう威力のパンチは空を切る。
ギリギリの所で横に飛んで回避した。
だがそれも一度きり。
素人の僕が受け身を取れる筈もなく、立ちあがろうとした時には追撃が来る。
「信!!」
航輝くんが遠くから手を伸ばしている。届くはずの無いその手を、僕は掴もうと右手を差し出す。
ああ、これが僕の最後なんだな。
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