第20話 一本の糸口
疲労した体が上下に揺れる。無駄に荒い息遣い、膨れ上がる焦り、朦朧とする意識。
死角から現れる炎に苛まれ被弾を重ねる俺を、宙を浮きながら大層詰まらなそうに眺める敵。
未だにあの障壁は攻略できていなければ、奴の隠れ蓑すら掴めていない。仕舞いには攻撃を繰り出す余裕も無くなっていた。絶望的な状況は改善どころか、より事態が悪化しているのが現状。
『う~ん、詰まらないな。折角同胞が現れたと思ったのだがこれはあまりに弱すぎる』
あくびをしながらそういうと、再び視界から消えた。
気配も見つけられず対策も満足に思いついてない俺はしらみ潰しに周囲を探し始めようとして、いつも通りに追撃を喰らい、受け身を取る間もなく溶岩の底に叩き落とされた。
「ガッ!?」
打ち落とされた体がジワジワと燃える。刺されたような激痛が無尽蔵に走り、体中の悲鳴が煩いくらい唸りを上げ続ける。何もしなければすぐにでも死ねる状態を、底なしの回復力で何とか人の形と命を引き留めている状態。
集中力が尽きたその時こそ、俺が死ぬ時。
それは着々と目前まで背後から忍び寄っている。
溶岩から跳躍で飛び出し、もう一度
『馬鹿の一つ覚えかな。そんな無意味な事繰り返して
「そのつもりだ」
『障壁すら割ることもできないのに?』
「やってみなきゃわからねえだろ」
『これでも?』
あれだけ手こずった障壁が一枚、また一枚……と数え切れない程の障壁がヒュドラを覆い尽くした。増殖に増殖を重ねて最早ヒュドラが目視できない位に。
一枚だけでも対処できていない。そこにのし掛かる信じられない物量……よっぽど心を折ってやりたいらしい。
ヒント、何かヒントはないのか。
そんな焦りから弾き出した穴だらけの対策は、障壁が数だけで実体のない見せ物という淡い期待。
闇雲に氷柱を生み出して何千、何万の数をヒュドラに放出。
全部本物。穴が、存在しない。
「は、ははは……」
奮い立たせた精神が、どっと萎れていくのが分かる。気合を入れようにも限界を迎えたのか、拒絶するように体は全く動かない。
比例するように集中力も消え、
もう、俺の体が俺を拒絶して諦めることを選択していた。
恐怖すらない。お前には無理だという絶望と、しょうがないという甘言が植物のツタのように体中にへばりつく。
同じじゃないのか? 何で
幻聴の言っていた能力が五分ってのは嘘だったのか? 攻撃すら当たらんし障壁すら破れない。何一つ
『力の差がわかっただろう。もう満足したかな?』
茫然とする俺を見て大層ご満悦になったストーリー・テラー。ニタニタと気色の悪い笑みを浮かべて、
『さて、君に一つチャンスをやろう』
浮いた体をゆっくりとこちらへ近づかせて、耳元でやさしくねっとりと
『このまま死ぬか、私の僕になるか。どちらを選ぶ?』
攻撃しようにも、失敗したという事実の羅列が反発を
生き残るなら僕になるしかない。自分で喧嘩を売っておいて一番みじめな選択。それでいて一番正しい選択だと激しく訴える本能。
理性ではわかっていた。もしそれを選んでしまったならヴァルヘイムが体験した悲劇を俺が味わうことになる。操り人形に成り下がる運命。
生き地獄か。死んで楽になるか。
甘い言葉はするすると理性にまで広がり、思考すら放棄するのを選び――
ちょっと待て。
何故俺をここで殺さない?
ほんのささやかな疑問だった。ここで俺を殺せば奴は自由に動けるようになるのは確実。確かに俺という強い駒を得られるのはそうだけど、正直に言って人間と魔族を支配するならわざわざ俺という異分子を使うまでもなく魔王を乗っ取ればいい。それなのに俺というイレギュラーを選んだ。
そこから膨れ上がる思考の破片達。
どうして、
どうして、奴の攻撃は避けられない?
どうして、当たらないと分かっている攻撃をわざわざ障壁で防ぐ? 自身と同じようにヒュドラも避けるという選択を取ればよかった筈だ。
どうして、今になっても障壁はずっと残っている? そもそも、なんでそんな疑問が出てくる。そうだ、俺は接敵して以来一度も障壁とストーリー・テラーを
頭の中で生まれた歪な形のピース達。
これで無理ならどうしようもない。ただ、今諦めたところで最悪の結末は変わらない。
最後のあがきにピースの形をより綺麗に、鮮明に整えていく。
一つの仮説。
『実体』が無いという可能性。目に映る景色も、圧倒する存在感を放つヒュドラも、奴自身も。
攻撃すらも見せかけで、その実操っているのは視覚と痛覚。じゃあ何故俺がそう錯覚できるのか。心を折ろうとする行動が多いのもそれが理由か?
駄目だ、これだけじゃ情報が足りない。奴の攻撃は防げてもこちらの攻撃は通らない。それはどうクリアする。
消えない障壁、ずっと見えているストーリー・テラー、
これらが指す共通項……さっき失敗した淡い期待とまるで変わらない希望的観測。根拠はさっきよりマシ程度。後は大嫌いな神様にでも祈るしかねえか。
俺は次の選択を決めた。
『さぁ、どうする!?』
あと一歩で詰みの状況の中、悦に浸るストーリー・テラー。
そんなもの、決まってるだろ。
「お前を倒して、
全身から
俺の目だ。
光を吸収して脳に信号を送るのは目。視界を完全に暗闇に変えた。その後
これで聴覚も消えた。
準備は整った。
俺は最後の賭けに出る。
「
あらやる物質を生み出す真っ白な巨大な円陣は俺の恐怖すらも再現する。それは、システリアで衝突した巨大な一振りの剣。
円陣から『神の怒り』を発動して、音も光も実感できない世界にほんのりとそよ風が生まれた。
それは急激な速度で勢いを増し、嵐のような暴風となる。何か掴まれるモノもなく、俺の体は浮遊感と共にどこかへ吹き飛ばされた。
風以外何もわからない状況で身動きも取れずただ流されていると、信じられない速さの何かが体に激突したような重い衝撃が走った。
軽く飛びかけた意識を立て直して何か変わってくれたことを祈るように、恐る恐る目に掛けた闇を取り払う。
そうして見えたのは。
俺を心配する妹と人に変身したいつもの竜の姿だった。次に、始め閉じ込められた闇や火口付近の景色は綺麗さっぱり取り払われ、夕焼け色に染まった空が一面に広がっている。
そして。
『き、貴様ァ……一体何をしたァ!!』
体の半身がぐちゃぐちゃになり顔二つが潰れ一つだけ残された顔面。その口から滝のように血を吐いたストーリー・テラーがそこにいた。
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