第18話 蛇の叡智

 上空に現れた巨大な剣は少しずつ、しかし確実に近づいてくる。

 目視できるほどの大きさだったものはたった数分で天井を覆いつくすほどになってしまった。


 あと2、3分もすれば確実にこの建物に落下するだろう。その瞬間、ゲームオーバー。この辺り一帯を更地にしてさようなら。

 しかし俺は相変わらずこの障壁から抜け出すことができていない。


 焦っていた。

 このままだとみんな死んでしまう。だが、俺は手出しが出来ないうえ、他のメンバーは皆戦意喪失している。

 今すぐこのドデカイ剣を喰いとめる算段を立てなければならないのみ準備できているものはヴァルヘイム用に取っていた『毒』のみ。


 ここで使ってその後どうする。あの剣を無力化できる程の代物作れるのか?

 幻聴さんの言う通りなら、この力は唯一無二になれると言っていたが……


「なあ。アンタいつか俺に言ったよな。この力は条件さえ揃えば誰にも負けない唯一無二の証明になるって」


『言ったわね』


「じゃあ、あのふざけたバカデカい剣もぶっ壊すことができるよな?」


『……あれは恐らくあなたと同じ夢幻技術オリジナル・スキルから生まれたもの。だから正直に言うわ、五分よ。貴方がこの力に対抗できたとして最高の状態で五分』


 何だよそれ、確実じゃないのかよ。

 嫌な勘っていうのは本当によく当たるな。夢幻技術オリジナル・スキルっていうのはそんなに桁外れなのか?

 最高の状態でいい勝負。今までの俺では確実に勝てないってことだよな……


「最高の状態ってのはどういうことを差すんだ?」


『最高の状態になる為には、ある条件が必要なの』


「だからそれは何だって聞いているんだよ!! もったいぶらずに教えてくれ。 今もこうして剣が俺達に近づいてきているんだ!!」


『落ち着きなさい。焦っても何も変わらないわよ?』


 クソ、取り乱した。

 落ち着け、幻聴さんの言う通りだ。ここで焦っても何も変わらない。


「ごめん、取り乱した。それはどういう状態なんだ?」


『必要なのは二つ。一つ目は極限の集中。それもただの集中ではなく、目的を達成する為だけに洗練された思考極限にまで集中しきった状態』


 集中? それだけでいいのか?

 スキルとは関係ないんじゃないか。


『集中を侮ってはいけないわ。これは自分の脳をコントロールする行為よ。人間というのは基本的に考え事を一つに絞ることはできない。それが出来たようにみえても必ずどこか無意識に別のことを考えている。極限の集中状態というのは、その無意識に使った脳のリソースも全てその一つに使うこと。出来ない人間がいて当たり前、そんな代物よ』


 考えをそれだけに絞る、か。

 それがどうこの夢幻技術オリジナル・スキルの強さに繋がるのか微塵もわからない。とはいえ、他に方法もないので無理矢理納得させる。


「あと一つはなんだ?」


『あと一つは『信頼』。夢幻技術オリジナル・スキルに全面の信頼を寄せること』


「さっきから随分と抽象的だな。全部精神論じゃないか?」


『それだけこの能力は精神に依存するということよ。他のスキルと違って精神によっては業物にもなれば、なまくらにもなる。全ては使い手次第。それが夢幻技術オリジナル・スキル


 具体的な要素が一つもない言葉の数々に参りそうになる。

 だが、何もないよりマシだ。形に出来るかなんてわかりっこないけどやるしかない。


 みんな勝手にこの世の終わりみたいな顔して、天から俺らを見下す輩はさぞ満足しているだろうよ。


 でも残念だったな。

 俺は目的を果たす為なら誰よりも諦めが悪いんだよ。それに。


「せっかくできた仲間なんだ。こんな罰ゲームみたいな人生で終わってたまるか」


 思考を一つに。

 それを具現化する為に、脳にはびこる数々の雑念を断ち切っていく。

 過去への遺恨、自分への劣等感、仲間への心配、目の前の恐怖。


 全てを断ち切っていく。全てを失わない為に。


 体中から感覚が消えていくのがわかる。目と頭だけが存在しているような錯覚。主観と俯瞰がおぼろげにまざった不思議な感覚。その状態で限界まで必要な『毒』の生成に努める。

 イメージするのは思いつく限りの最強――


 両手にゆっくりと何かが纏わりつく。それはゆっくりと全身へと浸透していき、一つの淡い炎が完成する。

 今までよりも強力な『毒』が作れた。紫焔を真似たどんなものでも燃やす毒。


『理を超えた力にはいくらワレとて成すすべがない』


 駄目だ。

 これでは対抗できない。紫焔はまだ理の境地にある。

 それを超えるような、全部馬鹿らしくなるような代物を作らなきゃいけない。

 

 ここは考えちゃ駄目なんだ。ただひたすら蛇の叡智アクレピオスに身を委ねるんだ。

 イメージすら捨てて、あらゆる雑念を捨てて空気と一体化する。


 何もない深淵の底。


蛇の叡智アクレピオスの本質は"浸食"よ。そこさえ満たすことができれば』


 今まで俺は毒を作る時、心のどこかで物質の分解、エネルギーの無力化を軸にして来た。

 もう一度、在るべき形を見直す。


 浸食というものがこの夢幻技術オリジナル・スキルの神髄であるなら。


 全てを『無』に浸食出来たなら。


「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!」


 思いついた『新たな』毒。

 サンプルになるようなものもないので、全ての構成を一から作り上げていく。

 しかし、並みの速さでは完成した頃には大剣が墜落してしまうので、この容量を10秒で完成させなければならない。

 俯瞰のような宙を浮いた感覚と、頭の回転が限界を超えて気が狂いそうな負荷が同時に襲い掛かる。気を抜いたらすぐに倒れそうだ。


 でも、終わってたまるか。


「終わって、たまるかアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」


 『毒』の構成に必要な部品が次々と完成していく、それらを組み立てていき一つの形にする。

 求めるのは全てを喰らう力。


 『神の怒り』は心なしか、大気と多く反発したのか無数の雷を帯びて近づいてくる。

 遠く離れているのにヴァルヘイム戦では無傷だったシステリア城も半壊して、さえぎる壁もなくなってしまい、むき出しの状態で立たされている。


 夜空の中、禍々しい紅色の光を帯びてこちらへと直進する。

 死へのカウントダウンが刻一刻と迫る中、


「間に合った」


 ついに完成した。

 剣はもう空を完全に覆ってしまう程に迫っていた。あと数十秒でこのシステリアに衝突してしまう。

 安堵に浸りたいが、そんな暇はない。これからが本番なのだから。


 生成した『毒』と自身を融合する。

 体からみるみる肌色が消えていき、全身を黒い闇が浸食していく。


 絶望的な状況の中、俺は不思議と冷静だった。

 痛みに耐えたからなのか、それとも幻聴の告げた極限の集中状態だからなのかはわからない。

 雑念はないと思う。やるべきことが明確に定まって、それ以外のことは考えられなくなっているから。


 そう、今考えるべきはあの剣を『喰らう』こと。その為の毒は用意したのだ。

 あとはやるだけ。


 手始めにヴァルヘイム用にとっていた毒を起動させる。


分子停止領域アブソリュート・ゼロ


 ヴァルヘイムはいくら倒しても復活する再生力を持っていた。それは細胞の生成、結合が、破壊よりも急速に行われるから。なら、その生成を『止めてしまえばいい』。

 その役割を果たすかのように、張られていた障壁は完全に機能停止した。


 第一関門は突破。本番はこれから。


 地面が悲鳴をあげるように大きく揺れ始める。落ちてくる大剣の圧力に耐えられなくなっているのだ。

 しかし、不思議かな。今の俺は、過去のどんな時よりも冷静だった。

 音も聞こえず、大剣もコマ送りで近づいてくるように見える。時がゆっくりと減速していくような奇妙な感覚。


 光すら届かない程の超重力。


『それが貴方の夢幻技術オリジナル・スキルの形なのね。このまま前へ進みなさい。貴方はきっと……』


 体内で暴れようとするそれを無理やり閉じ込め、自身の体に浸透させる。ついに完成した。


全てを喰らう者ブラック・ホール


 闇よりも真っ黒に染まった体は光すら通らない。それと同時にあらゆるものを吸収しようとして巨大な乱気流が生まれる。

 俺はその乱気流に乗って天へと目指す。


 空高く飛び、手が剣に触れたその時。



「いっけぇええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!」



 最後の戦いが始まった。

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