隠れた名店 その2
電車の中、乗客から聞こえてくるのはやはり影の話だった。
反応は様々だが攻撃的なシルエットをしているせいか良い印象を持つ者は少ない。
中目黒に着き咲の案内でパン屋へ向かった。
偶然太鳳と会えたら、なんて密かに淡い期待を膨らませていたがそもそも太鳳の住む地域とは別方向だったので会える訳がなかった。
細い路地の最奥に目的のパン屋があった。
文字通り隠れた場所にあったが大層な客入りで店内は賑わっている。
明は目を輝かせた。とにかくパンの種類が多い。
ざっと見ただけでも五十はありそうだ。
パン選びは明にとって食べるのと同じくらい至福の時だ。
長い事吟味し、選びに選び抜いたパンを七つ購入した。
店の二階にあるカフェで早速実食した。
「美味しい」
咲は美味しそうに頬張る明を見て連れてきて良かったと心から思った。
食後、のんびりアイスティーを飲みながら咲と話しているとスマートフォンが震えた。見るとメールが一通来てる。太鳳からだ。
――今メールに気付いた。話したい事って何。
咲に断りを入れ、明は店の外へ出て太鳳に電話を掛けた。
「もしもし」
「もしもし、ウミツキ? 生きてる?」
「死んでたら電話出てないかな」
明は笑った。
「何か、久しぶりにウミツキの声聞いた気がする」
「一日会わなかっただけじゃん」
「だってウミツキ、常に音信不通じゃん。会ってる時の方が少ない」
「それはごめんなさいとしか言いようがない」
「今、家?」
「家。だけどまた直ぐ音信不通になる」
「いつまで」
「分からない」
分からない。最近その言葉を聞くと不安になる。
「それで話って」
「あ、影の事。何か世界中でいっぱい出たじゃん。それで不安になっちゃって、ウミツキに私の不安を伝染させようかと」
「迷惑過ぎる」
「何なのかな、あの影」
「さあ。まあ、暫くは渋谷に行かない方がいいんじゃない」
「うん、そのつもり。それとさ、再来週からテスト始まるじゃん。一緒に勉強しない?」
明は考えていた。
真希に太鳳を認めさせるには直近の期末テストでの赤点は避けなければならない。
明も人に教えられる程勉強が得意な訳ではないが、分からないところを互いに教え合えるメリットはある。
「俺、一人でやった方が捗るタイプなんだよなぁ」
「赤点取ってるくせに」
「何も言い返せねぇ」
「いいでしょ、やろ? 赤点回避して見返してやろうよ」
「誰にじゃい」
「いいから。約束できないなら学校来れる日だけでもいいから」
「……分かった」
明は微笑んだ。
「ウシオは今何してるの」
「前に中目黒に隠れた美味しいパン屋さんがあるって言ったの覚えてる? 今サキと一緒にそのパン屋さんにいるの」
「へぇ、美味かった?」
「美味かった。今度ウミツキも連れてってあげる。パンの種類沢山あるんだよ。私、七つも買っちゃった」
「それパンの種類がどーのこーのじゃなくて、単に君が食いしん坊なだけじゃないの」
「ウミツキも来たら分かるよ。どれも美味しそうで七つくらい普通に買っちゃうから」
「クラモチは幾つ買ったんだよ」
「……三百個!」
「三つね。そろそろ電話切ろうぜ。クラモチ待たせちゃ悪いし」
「……うん」
「じゃ」
「うん、またね。また学校で」
通話が切れ、耳からスマートフォンを離した。
短い間だったけど太鳳と話せて良かった。
だけど胸にじわりと不安が広がっていくのはなぜだろう。
この電話が太鳳との最後の会話だったら、なんて嫌な想像をしてしまう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます