焦燥 その2

 朝のホームルームが始まった。だが太鳳はまだ学校に来ていない。

 刻々と時間が過ぎていき、昼休みになっても来なかった。

 昨日は来ていたから今日も来ると思っていたのに。

 明は小さく溜息を吐いた。


「ウミツキ最近休み過ぎじゃね」

 祥子が何気なく言った。明は驚いた。咲も驚いた。


「え、何で急にウミツキの話」

「別にー。あいつ目立つし気になるじゃん」

 明は不安に駆られた。

 気になる? 気になるって何?


「もう夏休みと勘違いしてんじゃない」

 隣で聞いていた真希も言った。

「出席日数足りてるの。このペースで休むと留年確実じゃない」

「そもそも進学するつもりがないのかもね。留年するくらいなら学校辞めるつもりなんじゃ」


 あり得る。

 明は以前、太鳳と進路の話をした時の事を思い出した。

 進学より進級できるかの方が問題とは本人の言だが、特別気にした様子ではなかった。


「だったら残念がる女子多いだろうなー」

「何で」

「あいつ人気あるし」

「えっ」

 かなり大きな「えっ」だった。祥子達だけでなく周りの生徒も明を見やった。


「人気あるって?」

「だから女子人気があるって」

「うそ。そんな話、全然聞いた事ない」

「そりゃそうでしょ。ウッシーそういう話に興味持たないじゃん」


「……何で人気なの」

「顔。うちのクラスで一番いいんじゃない。ね?」

「まあ」と真希は首肯する。

「恋バナになるとウミツキの名前よく上がるし、密かに狙ってる子も多いんじゃないかな」


 真希は驚いた。明が動揺している。こんな明を見るのは初めてだった。

 明は太鳳を好いているかもしれない。

 咲からそう聞かされた時、にわかに信じられなかったが今確信した。

 明は太鳳を。


「よろっと行動に移す子も出てくるだろうねー」

「え、行動って……」

「来月入ったらもう夏休みじゃん。色んなイベントあるし、できれば彼氏と一緒に行きたいじゃん」

「行きたい」

 明は即答した。

「休みに入ったら人と会う機会も減っちゃうし、誘うなら今しかないじゃん」

「確かに」

 明は頷いた。

「うかうかしてると誰かに取られちゃうかもねー。実はもう付き合ってたりして」

 明は青ざめた。


 既に付き合っている。いや、そんなはずはない。

 好きな人はいない、と太鳳は言っていた。

 それに今一番太鳳と一緒にいるのは私のはずだ。他の女の子の影なんてどこにも。


 祥子は口角に力を入れ必死に笑うまいと耐えていた。

 明の不安と焦りの入り混じった表情が面白くて堪らない。

 まさか咲の話が本当だったとは。


 太ももを指でつつかれた。咲がこちらをじろりと睨んでくる。

 祥子は「分かっている」と軽く咳払いをした。

 祥子はこの状況を楽しんではいるが応援しようというスタンスは咲と一緒だった。

 しかし。


「私はあんな怠惰な奴を彼氏にするのはどうかと思うけど」


 真希だけは難色を示していた。

 元を正せば明の彼氏候補に太鳳の名前を挙げたのは真希なのだが、それは冗談のつもりだったし、まさか本当に興味を示すとは思わなかった。


「ウミツキは怠惰な人間じゃないよ」

 明はむっとなって言い返す。

「日常的に学校をサボる奴が怠惰じゃないなら何な訳?」

「それは、きっと何か事情が」

「親に申し訳ないと思わないの。私立の高い学費を払って学校通わせてもらってるのに」

 明は言葉に詰まった。

「留年はまだしも退学になったらどうするの。働き口は。今の時代、中卒で雇ってくれるところなんてどこにもないよ」

 いちいち親目線だな、こいつ、と祥子は思った。


「……ウミツキなら大丈夫だし」

「何が大丈夫なの」

「いっぱい休んでるけど、ちゃんと学校来てるもん」

「沢山休んでるのが問題だって言ってるの。授業はちゃんと付いてこれてるの。再来週には期末テストだよ。中間テストの結果はどうだった」

 余裕の赤点、英語以外は。

「ほら、答えられない。何も大丈夫じゃないよね」


 明は反論できないのが悔しくてスカートをぎゅっと握りしめた。

 明は自分が太鳳の肩を持つ不自然さに気付いていない。

 二人の関係性を疑われて当然の発言をしている事が分かってないみたいだ。


 そして真希もそんな事はお構いなしに太鳳を厳しく非難した。

 太鳳が明の彼氏に相応しいとは思えない。

 堕落した人間と一緒になって明にどんな悪影響が及ばされるか分からない。

 そんな奴に明をくれてたまるか。


 祥子は俯き口元を手で覆い必死に笑みをかみ殺していた。

 まるで娘の彼氏の事で口論している親子みたいだ。

 もう少しこの親子喧嘩を見ていたい気もするが咲が子犬のように怯えているので、名残惜しいが仲裁に入る事にした。


「マキ、ウミツキが休む理由も知らずに憶測だけで怠惰な人間と決めつけるのは早計だと思わない? 授業態度は真面目だし、休んだ次の日には人からノートを借りてる姿をよく見掛けるじゃん。あいつが留年の危機なのは確かだけどなんやかんや二年生に進級できてるし。ね?」

 明はうんうん、と大きく頷く。


「それに端から見ても悪い奴じゃないのは分かるじゃん。分け隔てなく接してくれるんでしょ」

 咲もうんうん、と小刻みに頷く。


「厳しい目で見ちゃうのも分かるけど、もう少し優しい目で見てあげようよ」

 真希は不承不承といった感じながらもそれ以上太鳳について言及しなかった。

 真希の危惧するところは祥子も理解している。

 だがそれ以上に明の人を見る目を信用していた。

 明の人に対する嗅覚の鋭さは並の比じゃない。

 その人が自分にとって良い人間か悪い人間なのかを敏感に嗅ぎ分けている。


 もし気がかりがあるとすればそれは太鳳の女子人気が本当にあるという事だ。

 また黒田のように逆恨みする女子が出てくるかもしれない。

 それを気にして恋を諦める事だけは絶対にしてほしくない。

 明は男性との交友関係に自ら制限を掛けている。異性間のトラブルが後を絶えないからだ。

 ずっと我慢をしてきたのだ、やっと好きな人ができたのだ。

 そろそろ他人の事は気にせず自分の恋に目を向けてほしいと祥子は願う。


 そんな風に願われているとはつゆ知らず、なんたらは盲目の如く、既に明は太鳳の事になると周りが見えなくなっていた。


 どうしたら真希に太鳳は怠惰な人間ではないと証明できるだろう。

 そんな事ばかりを考えていたから午後の授業は全く身に入らなかった。

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