先の事 その2
真希と咲と別れ、明は一人歩いているとスーツ姿の女性に声を掛けられた。
「アキラちゃん」
「シノさん!」
「久しぶり、元気だった?」
「うん、シノさんも変わらず?」
「ええ」
「どうしてここに」
「仕事の帰りにちょっと寄ってみたの。学校終わってる時間だし、もしかしたらアキラちゃんに会えるかなって。そしたら本当に会えちゃった」
明は嬉しくてどんどん笑みが深まっていく。
「今時間あるならお茶でもどう?」
明がモデルをやってこれたのも篠の力が大きい。
学校では真希や祥子の支えがあったが他は全て篠が支えていた。
仕事の管理は勿論、体調管理から食事の管理、睡眠の管理までマネージャーの域を超えて明を支えてきた。
明が高校受験に合格できたのも篠の協力によるところが大きい。
特別に講師を手配し、学校の勉強の遅れを取り戻させ、効率的な勉強方法を身に着けさせた。
篠に対する明の信頼は絶大だった。祖父母以外でこんなに信頼できる大人は篠が初めてだった。
篠には感謝しかない。
モデル業で結果を出す事が篠への恩返しになると、それが明のモチベーションにも繋がっていた。
二人は近くの喫茶店に入り、明は自身の近況を嬉しそうに話した。
まるで小さな子供が親に聞かせるように。こういう時の明は歳相応の幼さが見える。篠も明の話に適度に相槌を打ちながら、親が子供の話に耳を傾けるようにして聞いてあげた。
「良かった。楽しい学校生活が送れてるみたいで」
「シノさんのおかげで高校行けたんだもん。楽しまないとシノさんに申し訳ないよ」
「もう二年生か。進路先はもう決めてるの」
「進学校だしもちろん進学するつもりだけどまだどこへ行くとかは決めてない」
「その先は考えてある?」
「その先?」
「大学を出た後、どこへ就職したいか、何になりたいか。アキラちゃんの夢」
「私の夢……」
明は呟いた。
「お嫁さん」
「え?」
「ううん、まだ何も。なりたいのとか、夢とか、考えた事ない」
篠は明をじっと見た。
「アキラちゃん、また戻ってくる気はない?」
「ない」
明の即答に篠は苦笑した。
またモデルの道へ戻ってくる気はないか。
明の表情がふと消えた。
「それを言うために会いに来たの」
「会えたのはほんと偶然。でもまた戻ってきてほしいとアキラちゃんがモデルを辞めた日から思ってる」
明は視線を落とした。
「アキラちゃんがモデルになった理由も辞めた理由も分かってる。けど、あなたはこの世界でこそ輝ける才能を持っている」
「何か、聞いたような台詞」
「けど楽しかったでしょ。仕事って本来辛いものよ。だからお金という対価が払われるの。でもその辛いものもひっくるめて楽しめるのは、それがあなたの才能だからよ」
楽しい。それは間違いなかった。モデル時代はおよそ大の大人でも音を上げそうなハードな日々を送っていたが、それでも楽しかったと今でも心の底から思える。
「でも前みたいな人気はもう出ないと思うよ」
「いいえ、あなたならできるわ」
篠は明に名刺を差し出した。
「私ね、独立したの」
「え、タイタン辞めたの?」
「そ、今は小さな芸能事務所の社長兼事務員兼マネージャー。モデルのリアナは知ってる?」
「知らない」
「うちの第一号モデル。巷では第二のスバルが現れたって話題なのよ。リアナはあなたに憧れてモデルになったの」
明の表情は変わらない。
「あなたが想像する以上にあなたの及ぼした影響は大きいわ。スバルの活躍にどれだけの人が救われた事か」
そんな事を言われてもぴんと来ない。モデル時代、同じような事が書かれたファンレターがいくつも届いた。あなたに救われました、と。
ただモデルとして流行の衣服を着飾りカメラの前でポーズを取っていただけだ。
音楽に合わせてランウェイを歩いていただけだ。
それを楽だとか舐めた態度で臨んだ事は一度もない。その時はプロとして真剣に取り組んでいた。私が誰かの「憧れ」だったり「娯楽」として消費されるのは分かる。
だけどそれが「救い」になるのが分からない。
「今度は誰かを幸せにするという理由でモデルをやってみない? あなたにぴったりな理由だと思うけど」
私にぴったり? どこが? 明の視線がそう訴えていたが篠は柔らかく笑むだけだった。
「もし気が変わるような事があれば連絡して。いつでも待ってるから」
篠は伝票を持ち立ち上がった。
「今日はありがとう。話せて良かったわ」
席を離れる間際、篠は言った。
「アキラちゃん、今恋してるでしょ」
「えっ」
「それじゃあね」
篠はいたずらっぽく笑うと会計を済ませ店を出て行った。
明は篠に言われた言葉が頭から離れず、暫く動けずにいた。
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