老紳士

 ドアを開けると、暖炉前のロッキングチェアが揺れていた。人影が見える。


「来たか」


 ゆっくり腰を上げたのは老いた白人男性だった。深い皴。糊の効いた紺のスーツ。英国紳士のように見えるがどこの出自かは知らない。


「久しぶりだな。英語はどのくらい話せるようになった」

 流暢な日本語。英語は勿論、他にも数か国の言語が話せるらしい。


「苦労しているようだな。心配するな、君の国以外では五才児だって話している。君もいずれ話せるようになる」


 老紳士は懐から数枚の写真を取り出した。

の世界で撮ったロンドン市街だ」


 街の風景。人。どれにも共通してとある人影が映っている。甲冑のような人影が。


「この形を我々はよく知っている。なぜ影だけが映っているのかは分からないが、ついに始まってしまったのかもしれない」


 老紳士はテーブルのワインボトルを手に取った。コルクを抜き、グラスに注ぐ。


「最後の写真を見てみろ。SNSに投稿されていたものだ」

 日本の地下鉄、渋谷駅だった。そこにも同じような影が映っていた。

「現時点で報告されているのはイギリスと日本だけだ」


 老紳士はグラスを傾けた。

「若いな。飲みやすいだろう、このワインは」

 不味いとしか思った事がない。

「彼も酒が苦手だったな。酒の美味さを知る前に死んでしまった」

 残念だ、と再びグラスを傾けた。


「だが感傷に浸る暇はない。我々は常に人材不足で時間がない。あるのは使い果たせない莫大な資金だけ」


 空になったグラスをテーブルに置き、老紳士は部屋を出ていこうする。

 ドアノブに手を掛け、こちらに振り返った。

「浸食の時が来る。その時が来るまで死ぬんじゃないぞ」

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