お弁当 その5

「ただいまー」

 相変わらず独り言のような小さな声で太鳳は言った。

 太鳳の後に付いてダイニングへ行くと、キッチンに立つ美里がいた。


「おかえりなさい……あら」

 美里は太鳳の後ろにいる明に気付いた。明は太鳳の隣に並び頭を下げた。

「お邪魔します」

「いらっしゃい。どうしたの、まさかこんな早くにまた会えるなんて思わなかったわ」


「弁当のお礼を直接言いたかったんだとさ」

「あら、今時律儀なお嬢さんだ事」

 太鳳と同じ事を言っている。


 弁当箱を美里へ差し出した。

「お弁当ありがとうございました。とても美味しかったです」

「どういたしまして。そう言ってくれると作った甲斐があったわ。うちの男共なんか感謝の言葉一つないんだから」


 明は太鳳に振り向いた。

「何で言わないの? お弁当作ってもらうの当たり前だと思ってる?」

「い、いえ、そのような事は」

「なら言いなさい。言わなくても伝わるなんて幻想だよ。大切な人ほど言葉にして伝えないと良好な関係は維持できないよ」

 美里は大きく二度頷き、太鳳は言葉に詰まった。ぐうの音も出ない。


「ほら」

「い、いつも美味しい弁当を作ってくれてありがとうございます……」

「どういたしまして!」

 畏まる太鳳とは対照に美里は元気いっぱいに答えた。

「次からもちゃんと言うんだよ」

「……はい」


「アキラちゃん今日も夕飯食べてく? 泊まってく?」

「今日はこれから用事があるんで」

「あら、それは残念」


 本当は食べたかったし泊まりたかった。だが美里に向けられた太鳳の視線が非難めいていて反射的に断ってしまった。

 しまった、と思った。言葉が過ぎただろうか。さっきの自分の発言が太鳳の機嫌を損ねてしまったかもしれない。直ぐに謝らないと。


「じゃあ、私、帰ります」


 しかし出てきた言葉は全く別ものだった。何が言葉にして伝えろ、だ。太鳳に偉そうに説教しておいて、いざ自分の事になるとまるでできていないじゃないか。

 違う、普段ならちゃんとできている。だけどなぜか今はそれができない。こんな事今まで一度もなかった。

 心臓が早鐘を打っている。嫌な汗が背中を流れた。

 明は自分が動揺している事に気付かない程混乱していた。

 太鳳の視線がそれ程までにショックだった。

 どうしよう、太鳳に嫌われたかもしれない。


「ばいばい、また来てね」

 美里が笑顔で手を振り、明は力なく微笑んだ。怖くて太鳳の顔が直視できない。

 とぼとぼ玄関まで歩き、とぼとぼ靴を履いた。ドアを開けようとしたその時。


「駅まで送ってくよ」

 振り向くと太鳳が靴を履いている最中だった。

「え……」

「何かお前一人にするのは危ない気がする」

 ほれ行くぞ、とドアを開けるようせかされ、明は慌ててドアハンドルに手を掛けた。


 隣でのんびり歩く太鳳とは裏腹に明はひどく緊張していた。

 ちらちら太鳳の様子を窺ってしまう。

 謝るなら今しかない。

 男の子と初めて友達になれた(と思っている)のにこんな事で関係が断たれるのは嫌だ。


 明は唾を飲み込み、深呼吸をした。

「さっきはごめん」

 太鳳は明を見た。

「何か出過ぎた事言っちゃった。気を悪くしてたらごめんね」

「別に悪くなんかしてないよ。ウシオの言ってた事は正しい。私は深く反省しましたよ」

「でもお母さんが私に泊まるか聞いた時、嫌そうな顔してたから」

「それは俺も今夜用事があるから。前もってお母さんには知らせておいたのにウシオに泊まるかって聞くから、この人はよぉ、って」

「そう、だったんだ」

 明は緊張が解けていくのを感じた。

「よかった。私、結構図々しいところあるから」

「自覚あんのか」


 駅まで来て、別れ際になって明は太鳳を引き留めた。

「待って。連絡先交換しよ」

 太鳳の反応が鈍い。明は焦った。


「駄目?」

「駄目っていうか、俺スマホ全く触らないから、お前から連絡来ても気付かない可能性が極めて高し」

「私と同じだ」

「なら交換する必要なくない?」

「なくない。これから毎日ウミツキに業務連絡してもらうから」

「何の業務連絡だよ。つーか、俺が連絡する側かよ」

「ほら、スマホ出して」


 太鳳は渋々スマートフォンを取り出し、明のスマートフォンに近づける。

 画面に太鳳の名前が表示され、明の頬が緩んだ。


「何で連絡したい? 電話? チャット?」

「そもそも連絡したくないんですけど」

「じゃあ、メールにしよっか」

「話聞いてるー?」

「いいでしょ、古のコミュニケーションツール。一周回って新しい。きっとまた流行りだす」

「その根拠は」

「元カリスマモデルの勘」

「ほう」

 太鳳は思った。いや、流行んねえだろ。


「メールは二人だけの秘密ね」

「流行らせるつもりはない、と」


「ところでメールってどうやるの」

「やり方知らねえのにメールしようなんてよく言ったな」

「教えて、教えて」

「俺だってよく知らないけど、多分アドレス入れて送信とかそんな感じだったと思う」

「アドレスって?」

「ほら、ネット開くとhttpとかアルファベットの羅列が出てくるじゃん、あれ」

「私にもあるのそれ」

「さあ……。君、インスタとかやってないの。アカウント作る時メールアドレスが必要なんじゃないの」

「分かんない。全部マキにやってもらったから」


 沈黙が流れた。


「これは早くも計画が頓挫しそうですね」

「諦めるのはまだ早い、アキラだけに」

「……今何て?」

「ちょっと有識者にメールのやり方教わってくる。月曜日、学校で教えるから」

「はぁ」


 明はスマートフォンを仕舞った。

「じゃぁ、送ってくれてありがとう。バイバイ」

「気を付けて帰れよ」


 太鳳は軽く手を上げるとさっと帰っていった。

 明は太鳳の姿が見えなくなってから改札へ向かった。


 少し、腹が立った。

 太鳳の去っていく背中から別れの寂しさだとか名残惜しさだとか、そういったものが何も感じられない。

 こっちの気も知らないで。

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