海月 太鳳 その2
脱衣所を出ると、床の濡れた足跡は綺麗に拭き取られていた。
奥の方からいい匂いが漂い、それに釣られて進むとダイニングキッチンに出た。
ソファーで寛ぐクラゲとキッチンに立つ女性の後ろ姿が見える。
明に気付いたクラゲはソファーを立ち、明の傍まで来た。
「あったまった?」
「うん、サッパリした」
「温まったかどうか聞いてるんですけど」
「あら、上がったの」
キッチンの女性も明の下へ来た。
「お母さん」とクラゲが紹介する。
「お母さんです」とクラゲの母の
「はじめまして。私、ウミツキ君と同じクラスのウシオアキラと言います。シャワー貸して頂きありがとうございました」
明は頭を下げた。
「身体は温まった?」
「はい」
「それにしてもびっくりしちゃった。タオが女の子を連れてくるなんて初めてだから」
タオ?
「もしかしたらあまりにもモテなすぎて誘拐してきたんじゃないかって。危うく息子を警察に突き出すところだったわ」
「ひでえ言われようだ」
クラゲは顔を顰めた。
「それにしても可愛い子ね。あんた本当に誘拐してない?」
「何で誘拐してきた女を親に紹介すんだよ」
「あ、待って、知ってるわ。そういえばあんた前に学校に芸能人がいるって言ってたわね。ええと、確か、そう、トヨタちゃんでしょ!」
「スバル」
明は間髪容れず訂正した。
「あー、惜しい!」
美里は悔しそうに唸る。
「何が惜しいの」
クラゲは呆れて聞いた。
「車屋さんの名前なのは覚えていたのよ。やっぱり一番人気といえばトヨタじゃない?」
「覚え方はいいと思うよ。一文字もかすってないけど」
明は笑みが零れた。仲いいんだ。
「うち、もうちょっとで夕飯なんだけどアキラちゃんも食べてく? 残り物のオンパレードだけど」
「食べる。食べます」
明は食い気味で答えた。
「何なら泊まってく?」
「はい」
「えっ」
クラゲは驚いた。
「じゃあ、濡れた服洗濯しよっか」
明は美里と一緒に再度脱衣所へ向かった。
制服のシャツとスカート、昨日着た衣類、下着もまとめて洗濯してもらえる事になった。
「大丈夫、任せて。男共には絶対見せないようにするから」
「ありがとうございます」
リュックは逆さにして物干しに掛け、靴にはくしゃくしゃに丸めたキッチンペーパーを隙間なく敷き詰め立て掛けた。
「これで明日には乾いてるでしょ」
明は美里の手際の良さに感動した。まるで祖母を見ているようだ。
「ご飯できるまでうちの子の相手でもしてやって」
ダイニングに戻ると相変わらずクラゲはソファーで寛いでいた。
「おい、小僧。客人をもてなせ。それと脱衣所へは許可なしには絶対行くな」
命令。美里はそう言ってキッチンに戻って行った。クラゲと明の目が合う。
「座ったら」
明は空いているソファーにちょこんと座った。
「マジで泊まってくの」
「あ、ごめん、迷惑だった?」
「迷惑だったら雨ん中声を掛けないよ。ただ同じクラスとはいえ、よく知りもしない、しかも今日初めてまともに会話した男の家に泊まれるなと思って」
それは、確かに。全く自分らしくない。でもその理由は分かっている。
「うちに帰りたくない」
「……家出?」
「違うけど、どうして?」
「や、今帰りたくないって。それに昨日今日学校休んでたし」
「学校休んでたのはお葬式があったから。おばあちゃんが亡くなって」
「それは……、ご愁傷様です」
クラゲは姿勢を正して頭を下げた。明は微笑みをもって答えた。
家に帰りたくない理由に祖母の死が関係しているのだろうか。
クラゲは疑問に思って、しかし詮索はせず、話題を変えた。
「そういや何で家の前にいたの。実はこの近くに住んでるとか?」
明はかぶりを振る。
「家は白金台。中目黒の住宅街に美味しいって評判の隠れたパン屋さんがあるって聞いて。知ってる?」
「や、パン屋は近くにあるけど隠れてない。まあ、美味いけど」
「そっか、じゃあ、違う場所なんだ。明日は学校に行くつもりだったからそこでお昼のパンを買おうかなって」
「それでこの辺彷徨ってたら突然の雨に打たれ今に至る、と」
「これで二度目だね。助けてもらうの」
「二度目?」
「一昨日の昼休み、先輩に絡まれてるところを助けてくれた」
「……ああ。たまにあそこにいんだよ、天気のいい日とか」
「何してるの」
「何もしない。ただぼーっとしてるだけ」
「私も結構好き。何もしないでいるの」
「でもあそこはもう無理だな。あのおっかない先輩には会いたくないし」
「ごめん」
「謝んなよ。別にお前のせいじゃないんだから」
「名前、タオって言うの?」
「え、ああ、そう。タオ。ウミツキタオ」
「私、ウシオアキラ」
太鳳は苦笑した。
「知ってるよ。うちの学校でお前の名前知らない奴なんかいないよ。それにさっき自分で自己紹介してたろ」
「そうだった」
明も笑い、そして姿勢を正した。
「ありがとう。助けてくれて」
心を込めて、言った。太鳳の表情が和らぐ。
ピンポーン、とチャイムが鳴った。
「はーい、今開けまーす」
美里がドアホンに向かって返事をし、玄関へ向かった。
「多分、お父さん」
太鳳の言う通り、美里と一緒に現れたのは太鳳の父、
「お帰りー」と太鳳。
「お帰りなさい」と明。
「ただいまー……?」と明を見て、賢二は固まった。
「同じクラスのウシオアキラ」
太鳳が紹介する。
「あ、何だ、タオのお友達? いらっしゃい」
「お邪魔してます」
「今日、泊まってくってさ」
「え、監禁?」
「泊まるっつってんだろ!」
「いやあ、タオがあまりにもモテなさすぎてついに誘拐監禁まで事を運んでしまったのかと。危うく息子を警察に突き出すところだった」
美里と同じ事を言う。
「ひでえ親だ」
太鳳は苦虫を噛み潰したような顔をした。
賢二は明をじっと見て、はたと気付いた。
「知ってる、知ってる。そういえば学校に芸能人がいるってタオが前に言ってたな。ええと、そう、ホンダちゃん!」
「スバル」
明は間髪容れず訂正した。
「あー、惜しい!」
賢二は悔しそうに唸る。
「何が惜しいの」
太鳳は呆れて聞いた。
「車のメーカーと同じ名前ってのは覚えてたんだよ。ほら、男はみんな好きじゃん、ホンダ」
「知らん。女だって好きな人はいる。夫婦揃って同じ事言ってんな」
「同じじゃないわ。私はトヨタだもん」
「どうでもいい」
明は笑みが零れてしまう。皆仲がいいんだ。
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