最後の手紙 その3

 翌日の葬儀は親族のみで執り行われた。祖母の遺言だったらしい。

 明は昨夜書いた最後の手紙を棺に入れさせてもらった。


 火葬が終わり、祖母の家まで戻った。

 スマートフォンを見ると真希達からメッセージが届いていた。

 ――大丈夫? お腹空いてない? ちゃんと眠れた?

 強張ってた頬が緩んだ。大丈夫、明日から学校へ行く、と返信した。


 帰りの支度をし、帰りのタクシーが来るまでの間、家の中を一通り見て回った。

 二階の祖母の私室に入った。がらんとした部屋。

 元々無駄な物は置いていなかったが主がいないとこんなにも空虚に見えてしまう。


 窓を開けサッシに腰掛けた。そこから部屋をぼんやり眺めていると浩一が現れた。

 一通の手紙を明に差し出す。

「これ、母さんが入院していた時に書いてた手紙。書きかけなんだけど、アキラちゃんに」

 手紙を開けると、まだほんの二行程度の出だしの文章が書かれているだけだった。ここからどんな文章が綴られるはずだったのだろう。

「母さん、いつもアキラちゃんの手紙楽しみにしてたよ」

 明は曖昧に微笑んだ。そうだったら、いいな。


「この家、どうするの」

「遺品整理しなければいけないから暫くはこのままだけど、でもいつかは」

 いつかはこの家を明け渡す。浩一も東京住まいだ。向こうに家庭がある。


「アキラちゃんが良ければだけど何か形見として貰ってくれないかな」

 この家全部がほしい。この家の至る所に思い出がある。自分の家より遥かに愛着がある。なんて、そんな事を言っても浩一を困らせるだけだ。

「箪笥」

「たんす?」

「一階の居間にあるおじいちゃんの作った」

「ああ」


 祖父は家具職人だった。この家にある大半の家具は祖父が作ったものだ。

 居間に小さな三段の階段箪笥が置いてあって、小さい頃は何が楽しいのかずっと箪笥を上り下りしていた。


「だめ?」

「いいよ。アキラちゃんに使ってもらった方が父さんも喜ぶだろうし」

「あと、もう一ついい?」


 直に来たタクシーに乗って横浜を離れた。箪笥は後日送ってもらう事になった。


 流れる景色をぼんやり見ながら明日の事を思った。

 そうだ、明日のお昼のパンを買わなくちゃ。

 咲が言っていたパン屋にでも行ってみようか。だが中目黒の住宅街にあるとしか聞いていない。

 スマートフォンを取り出しネットで調べてみると複数検索に引っかかった。電話のアイコンをタップし、連絡先から咲を選んだ。時刻は十六時を過ぎている。今は放課後のはず。咲に電話して皆にも来てもらおうか。

 少し考え、やめた。いいや、一人で探そう。今は一人でいたい。


 中目黒の適当な住宅街でタクシーを降り、そこから一番近い店をナビゲーションに設定して歩き出した。


 暫く歩いているとぽつぽつ雨が降り始め、次第に強さを増していった。

 傘は持ってない。リュックを頭に被せた。周りに雨宿りできそうな庇もない。どうしよう、取り敢えず雨を凌げる場所を探さなくては。

 見つからない。住宅街を彷徨っているうちにすっかりびしょ濡れになってしまった。


 寒い。六月の雨が明の体温を奪っていく。

 頭上のリュックを胸の前に移した。こんな姿を人に見られたくない。特に男には! 幸い辺りに人気はない。


 最早パン屋どころではない。引き返そう。でも駅は駄目だ。人通りの多い所は避けたい。

 タクシーを呼ぶか、真希達の応援を呼ぶか。

 何をするにしてもまずはこの雨を凌げる場所に移動してからだ。


 あれこれ考え身動き取れずにいると急に雨が止んだ。

 人の気配に振り向くとそこにいたのはクラゲだった。


「何してんの」


 小さなビニール傘。

 明の方へ傘を寄せ、クラゲの反対側の肩が雨に晒されている。

 思わぬ人物との遭遇に明は驚いて固まってしまった。


 どうしてクラゲがここに。海洋生物だから雨の日は活動が活発になるのか、とか意味不明な事が頭を過ぎった。

 怪訝な目で明を見ていたクラゲだったが、短く息を吐き、明の後ろを指さした。

「そこ、うちだから寄ってけよ」

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