クラゲ その4
十九時少し手前、渋谷駅近くの喫茶店内の奥の席で明と祥子は戸北を待っていた。
手持ち無沙汰で何度目かのメニュー表を繰る。
「お腹空いた。何か食べたい」
「事が終わってからにしろ」
カラン、と入り口のドアについている鐘が鳴った。戸北だ。
祥子が軽く手を挙げると、気付いた戸北が向かいの席に座った。
「わるい、待たせた?」
「いえ、時間通りです」
戸北は手早くアイスコーヒーを注文する。
「すみません、部活帰りで疲れているのにわざわざ時間作ってもらって」
「いいよ、それで話って」
祥子は明に纏わる一連の問題を話し始めた。
敢えて黒田の名前は伏せ、戸北に好意を寄せている者から明が嫌がらせを受けていると遠回しに述べた。
言われた通り隣で置物になっていた明は祥子の巧みな話術に感心していた。
戸北を責め立てず、不快な思いをさせないよう、細心の注意を払いながら話している。
また戸北も時折コーヒーで唇を湿らせながら、祥子の話を遮る事なく黙って聞いていた。
祥子が話し終え、沈黙していた戸北が口を開いた。
「その嫌がらせの相手ってクロダか」
「あ……、ひょっとしてご存知でした?」
祥子が驚いた振りをして聞いた。
「あいつが俺に気があるってのは何となく察してたんだ。よく部活してるところを見に来てたし。でもそっか、クロダが」
また暫しの沈黙が流れる。
「分かった。ウシオの事は諦めるよ。俺にはもうチャンスはないんだろ」
「はい、私が先輩を好きになる事は絶対にありません」
「絶対ときたか」
戸北は苦笑してしまう。
「まあ、俺もクロダを好きになる事は絶対にないんだけどな」
明も祥子も納得しかなかった。
「すまなかった、ウシオ。俺のせいで迷惑かけた。嫌がらせが止まるかは保証できないけど、俺がウシオを諦めた事をクロダにそれとなく伝わるようにしておくから」
「それで十分です、ありがとうございます」
「ありがとうございます」
祥子に続いて明も慌てて頭を下げた。
「なあ、最後に一つ教えてくれないか。俺を振った理由」
明は少し考え、一言。
「好みじゃない」
戸北が喫茶店を出て、二人はほっと息を
「話の分かるいい男じゃん。付き合ってみれば良かったのに」
「私には勿体ないよ、あんないい人」
謙遜でも冗談でもなく本心からそう言っているように見えた。
「ま、取り敢えずは問題一個解決かな」
「ショーコのおかげだよ。ありがとう」
祥子は照れ臭そうに微笑み、スマートフォンを取り出し真希に電話を掛けた。
「もっしー、終わったよー。ほーい、待ってまーす」
「ところでどうだった、私の置物ぶりは。狸の置物を参考にしてみた」
「え、黙ってればいいだけの事に参考とかあんの?」
近くで待っていた真希と咲も合流し、そのまま一緒に喫茶店で夕飯を済ませた。
帰りの渋谷駅、四人で電車を待っていた。ふと視線のようなものを感じ、そちらを見ると壁に映る人影が映っていた。
甲冑のようなごつごつした厳ついシルエット。
それは今朝、祥子に見せてもらったあの写真の影に似ていた。
明は目が離せなくなった。影がこちらをじっと見ているような気がしてならない。
「アキラちゃん? どうしたの」
明の異変に気付き、咲が声を掛けた。
「壁に……」
影は無かった。一瞬目を離した隙に消えて無くなっている。
「ごめん、何でもない」
見間違いだったのだろうか。
白金台駅に着き、皆と別れ、一人夜の道を歩いた。
遠くに見える高層マンションが徐々に近づいていく。
エントランスに入り郵便受けを覗いた。今日も手紙はこない。
エレベーターに乗って最上階まで上り、その一角の部屋に入った。
「ただいま」は思い出せないくらい、言ってない。
ダイニングの灯りを点けた。誰もいない。
ソファーにリュックを投げ出し、キッチンで手洗いうがいをした。
冷蔵庫を開けると家政婦さんが作り置きした料理がタッパーに分けて入れてある。
ミネラルウォーターを一口飲み、自室へ向かった。
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