クラゲ その2

 昼休み、同じクラスの三船みふね綾香あやかが祥子に声を掛けてきた。


「ショウコ、トキタ先輩、放課後会うのオッケーだって」

「ほんと? ありがと、取り次いでくれて」


「なになに、ショーコ、トキタ先輩と会うの?」

 隣で聞いていた明が言う。

「お前も会うんだろうがー!」


 祥子は明の脇腹を強引にくすぐった。祥子から逃れようと楽しそうに身を捩じらせる明を綾香はじっと見る。

「ごめんね、アキラ。私がトキタ先輩を紹介したせいで……」

「え? ああ、アヤカのせいじゃないよ。気にしないで」


 綾香は明に纏わる一連の事情を知っている。そもそも明を戸北に紹介したのは綾香だった。

 戸北はバスケ部に所属し、綾香はそのマネージャーを務めている。

 その縁で明を紹介してほしいと頼まれた。


 綾香は困った。

 明を紹介してほしいと頼まれたのは戸北が初めてではない。

 祥子達ほどでないにしろ、明とは良好な関係を築けているし、それが密かな自慢でもあったが、そのおかげで何度も仲介役を頼まれてきた。

 正直うんざりしていたところだが、同じ部活の先輩の頼みとあっては無下にする訳にもいかず、渋々承諾した。


 明も困った。

 明だってこの手の話は一度や二度ではない。

 こんな事を何度も頼まれるのは嫌だろうが頼むこっちだって嫌なのだ。

 お互いがお互いの苦労を知っている。

 片方は申し訳なく思いながらも頭を下げ、片方は仕方あるめぇ、と許諾した。


 どうせ戸北を振って終わりになる、と両者は踏んでいた。


 実際その通りに事は運んだが思わぬ誤算が生じた。戸北は諦めず、さらには黒田までもが因縁をつけてきた。会えば睨まれ、陰口を叩かれた。


 まさかこんな事になるなんて。


 戸北はバスケ部の主将で人望が厚く、顔良し、性格良し、の超が付く優良物件だ。

 戸北に想いを寄せる女子も少なくない。

 明に逆恨みする者が出てきてもおかしくはなかった。

 少し考えれば分かる事だったのに。

 明は飄々としていたが綾香は責任を感じていた。


「そんな顔しないでよ。こんなの日常お茶ご飯だから」

「日常……何?」


「アヤカ、マジで気にしなくていいよ。ウッシー、マジで気にしてないから」

「皆無と言っていいね」


「でも……」と、綾香の表情は沈んだままだった。

「そんなに気にするなら宿題を出す」

「宿題?」

「美味しいパンケーキを探してきなさい。私が直々に食べて審査して進ぜよう。本当に美味しかったら今回の件は不問に付す」

「う、うん。分かった」

「その時はアヤカも一緒に食べるんだよ」

「……うん、分かった」

 良い子だな、と綾香は思った。皆が好きになる理由が分かる。

「アキラが涙流すくらいめっちゃ美味いしいパンケーキ探してくるから」

 そう言い残し、綾香は笑顔で友達の下へ向かった。その背中を見送る明はどこか満足気だ。


「お待たせ!」

 入れ替わりで咲がお弁当を持って来た。

「あら可愛い子が来た」

「どこでご飯食べる?」

「ウッシー、今日はパン持ってきてる?」

「今日はねー、ビーエルテーがある」

「ビーエルテー?」

「BLT。ベーコン・レタス・トマト」

 遅れて来た真希が代わりに説明した。

「あらまた可愛い子が来た」

「じゃ、ここで食べよ」


 祥子が自分の机を明の机に寄せ、それを四人で囲んだ。

 明は大きく口を開けて分厚いBLTに齧り付いた。美味いけど顎が疲れる。


「アキラちゃん知ってる? 中目黒の住宅街にとっても美味しいって評判の隠れたパン屋さんがあるんだって」

「ほー、やっと時代が私に追い付いてきたか」

「えっ、どういう事?」

「私かくれんぼ好きじゃん。今年のトレンドになるかもね。『隠れ〇〇』」

「いや、隠れた名店とかウッシーが生まれる前から存在してたし」

「そもそもシオがかくれんぼ好きなんて今日初めて知った」

「じゃ、今度一緒に食べに行こうか」

「うん!」


「で、トキタ先輩に約束取り付けられたの」

 真希が聞くと、祥子はおかずに箸を伸ばしながら言った。

「今日の放課後、七時」

「おそ」

「トキタ先輩の部活が終わってからだもん。しゃーない」

「場所は」

「渋谷駅近くの喫茶店」


「先輩、分かってくれるといいね」

 咲が不安そうに言う。

「ま、頑張って説得してみますわ。ちゃんと話せば通じる相手だと思うし」


「ちょっと飲み物買ってくる」

 明が席を立つと、真希も腰を浮かせた。

「待って、私も一緒に行く。一人で行動するな。クロダ先輩に会ったらどうする」

「大丈夫だって、直ぐ戻ってくるよ」


 真希が後ろで何か言っていたが明は聞こえない振りをして教室を出た。

 心配性だなぁ、真希は。私のお母さんにしちゃうぞ。

 明は軽い足取りで自販機へ向かった。


 ところで日本には古くから言霊信仰というものがある。

 言葉には霊力が宿り、言葉を口に出すとその内容が現実になるという。

 そんな事を、明はずっと昔に祖母から聞いた事があった。

 真希の言葉に霊力なんてない。彼女はただ可能性の一つを示唆したまで。

 だからこれから起こる事は明の油断が招いたものだ。

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