四人分の過去 その8

 明の咲を見る目が変わり始めた頃だった。咲にこんな事を言われた。

「私、アキラちゃんの事、小学生の頃から知ってたよ」


 当時から明と咲は電車通学だった。別々の小学校に通っていた二人だったが使う路線が同じだったため、明の方は気付いていなかったが二人は出会っていた。


 小学一年生の頃から度々見かける美少女に咲は目が釘付けだった。

 駅で見かける度に注目してしまう。

 明の容姿はまさに咲の理想だった。こんな女の子になりたい。


 電車で隣に座れた時は心臓が高鳴った。友達になりたいと思いつつも、声を掛ける勇気がなく、ずっと眺めている事しかできなかった。


 ある日曜日、母親と買い物に出かけたその帰りの駅で一際大声で泣き叫ぶ少女を見かけた。

 よく見たら明だった。

 祖母らしき女性にしがみつき「帰らないで」と泣き喚いている。

 傍らには母親らしき女性が呆れたように明を見下ろしていた。

 祖母はしゃがみ、明に何やら語りかけている。明はすんすんとしゃくり上げ、鎮まったかと思えばまた大声で泣き始めた。


 ずっと見ている訳にもいかず直ぐにその場を去ったので、あの後、明がどうしたのかは分からない。翌日の駅で見かけた時には大泣きしていたのが嘘だったかのように、涼しげな表情をしたいつもの明に戻っていた。


 衝撃的な光景だった。

 自分よりずっと大人びて見えていた明が子どものように泣きじゃくっていた。

 自分でも気付かずうちに膨れ上がっていた明の理想像が見事に瓦解した。


 だが失望もなければ落胆もない。むしろ親近感が沸いていた。

 外見がいくら大人びていようと中身は自分と変わらない子どもだった。

 高嶺の花のように感じていた明が急に身近な存在に思えてきて、それが何だか妙に嬉しかった。


 そうなんすわー、と明は首肯した。

 私はあなたと変わらない。ただちょっとずば抜けて面がいいだけの中身はごくごく普通の女の子! 真希が聞いたら噴飯ものだが明は本気でそう思っている。

 みんな私の外見に騙されている。咲がそれに気づいてくれた事が嬉しい。


 咲の話は続く。

 しかし親近感が沸こうが恥ずかしいものは恥ずかしい。未だ声を掛けられずにいたのだが、小学四年生の夏頃から明の姿を駅で見かける事がなくなってしまった。


 次の日も、そして次の日も。


 使う路線が変わってしまったのだろうか。それとも電車通学をやめてしまったのだろうか。この時程後悔した事はない。もっと早く勇気を出して声を掛けていれば。


 実はこの時、明に誘拐騒ぎがあった。怪しい男に危うく連れ去られそうになり、偶然通りかかった人に助けられ事なきを得た。しかしそれ以降、一人での通学は危険だと小学校を卒業するまでタクシーで登下校をする羽目になった。

 明がそんな危険な目に遭っていたとは当然知る由もなく、咲は半ば諦めながらも駅に行くとつい明の姿を捜してしまった。


 月日は流れ、中学三年生の春、昴という新人モデルが日本中を席巻した。テレビ、雑誌、ネット、街の広告、至る所に昴がいた。


 一目見て分かった。

 長かった髪をばっさり切っているが、駅のあの子に間違いない。

 見ない間により美しさに磨きが掛かっている。

 やっぱり彼女は私の理想だ。

 しかし見ない間に随分遠い所へ行ってしまったものだ。

 きっと、もう、本当に会う事はないだろう。影ながら彼女の活躍を祈るばかり。


 ところがどすこい、進学した先の高校に昴がいた。

 奇跡が起きたと思った。あるいは一生分の運を使い果たしたと思った。

 この思いがけない再会に咲は涙した。

 入学式で一人涙を流すなんて恥ずかしい、なんて縮こまっていたら、周りにも昴に感激して泣いている子がちらほらいた。


 久しぶりに見る実物の彼女は画面で見るよりもずっと美しかった。

 本名は汐明と言うらしい。彼女にぴったりな素敵な名前だ。

 このチャンスを無駄にしてはならない。今度こそ勇気を出して声を掛けるんだ。


 無理でした。


 勇気云々の前に近寄れない。明の周りには常に大勢の人間が囲っている。

 近寄れたところで大勢の目の前で声を掛けるなんて恥ずかしくてできない。

 そもそもクラスが違うから姿を見かけない日の方が多いくらいだ。

 これでは駅の時と何も変わらない。また私は眺めているだけ。

 

 色々理由をこじつけているけれど結局勇気がないのだ。

 私はなんて臆病なのだろう。

 

 同九月、昴がモデルの引退表明をした。世間同様、咲も驚いた。その理由は公表されず学校にまでマスコミが押し寄せた。

 咲は明が心配だったが当の本人は平然としているように見えた。

 

 同十一月、昴はモデルを引退した。世間は昴ロスの最中であったが咲は違った。咲は明のファンだ。モデルであろうとなかろうと咲にとって憧れの存在である事に変わりはない。

 むしろこれで近づきやすくなるのではと淡い期待をしていたのだが、モデルを引退したところで明の学校における地位は揺るがず、相も変わらず大勢の人が明を取り囲んでいた。

 

 翌年、転機が訪れる。二年生になり明と同じクラスになれた。

 奇跡がまた起きたと思った。運は使い果たされていなかった。

 嬉しさのあまりまた涙が出た。

 きっとこれが明と友達になれる最後のチャンスだ。この機を逃せば次はない。

 咲は今度こそ勇気を振り絞り、明に声を掛けた。


 明は咲の話を聞いて、まるで長年の片思いが成就したみたいだ、と思った。

 しかし咲が明のファンでありながらも対等に接してくる理由が分かった。

 この子とならきっと友達になれる。明は咲を気に入った。


 もしかしたら今が幸せの絶頂かもしれない、と明は思う。

 モデルだった頃よりずっと毎日が輝いている。

 それは真希や祥子、咲がいてくれるからだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る