四人分の過去 その7

 明も順風満帆の日々を送っていた。


 不安だった仕事と学業の両立も祥子や真希の協力の下、辛うじてだができている。赤点擦れ擦れの超低空飛行の成績を収めているが、これさえ維持できれば進級できる。

 逆にモデル業は宙を突き抜ける勢いで躍進し続けていた。

 その突き抜けた先に何が待っているのか。


 それは「引退」の二文字だった。


 八月のある日、明は仕事を辞めたいと事務所に申し出た。

 社長も、マネージャーも、モデル仲間も驚き必死になって引き留めた。

 名門ファッションブランドからアンバサダーの話が舞い込んできたばかりだった。

 映画の出演依頼がきたばかりだった。

 これから仕事の幅を広げていこうと話し合ったばかりなのになぜ。


 明はその理由を頑なに語ろうとせず「辞めたい」の一点張りだった。

 七日間の長きに亘る説得も明の意志は揺るがず、最終的に事務所側が折れた。

 ただ契約履行中の仕事が幾つもあるのでそれが終わる十一月までは仕事を続けてもらう事となった。


 明の引退表明は世間に衝撃を与えた。

 事務所はともかく明の通う学校にまでマスコミが押し寄せるので、明の代わりに事務所の社長が引退会見を開いたのだが、引退理由を聞かれても一身上の都合としか答えようがなかった。


 様々な憶測が飛び交う中、渦中の本人だけは至ってけろりとしていた。

 真希も祥子も驚いた。人気絶頂時の今になぜ、と二人も思った。


「何かもういいかなって」


 明らしいと言えば明らしい答えなのだが二人は判断に困った。

 この仕事が好きだと明は前に言っていた。自分に向いている気がする、と。

 仕事上の悩みでもあったのだろうか。そんな素振りは一切見せなかったし相談される事もなかった。

 取り敢えずは詮索せず、二人は静観する事にした。


 十一月、明は惜しまれながらモデルを引退した。

「昴ロス」なんて言葉がトレンドになるくらい世間では昴の喪失感に浸っていたが、逆に明の方は解放感に浸っていた。

 これで日課だったSNSの投稿をせずに済む。モデルになってこれが一番のネックだった。もう暫くは触れたくない。

 晴れ晴れとした顔をする明を見て、真希も祥子も杞憂だったと納得した。


 季節は移ろい、月日は流れ、明は無事二年生に進級した。幸運にも真希と祥子と同じクラスになれた。嬉しさのあまり飛びついてきたのは真希の方だった。


 そしてもう一人、遠巻きから三人を眺める人影があった。


「あの……」


 振り向くと小柄の可愛らしい女の子が明を見上げていた。ぎゅっと握られた手から緊張しているのが伝わってくる。後輩だろうか。上級生の教室に一人で訪問するとは度胸がある。


「私、クラモチサキと言います。ずっと前からファンでした」

「ありがとう」

 礼を述べると咲の頬が朱色に染まった。反応が初々しい。


「あの、私とお友達になってくれませんか」

「いいよ」

 不安そうな顔から一転、ぱっと花が咲いたような気持ちの良い笑顔になった。釣られて明も微笑んでしまう。


「ほら、もう自分の教室に戻った方がいいよ」

「え、私もこのクラスだけど」

「ん?」

「え?」

 よく見たら二年生の証である青いリボンをしていた。同級生だった。


 友達になってほしい。


 面と向かって言われたのは実は初めてだった。

 社交辞令で「いいよ」と返事をしたものの、真希や祥子のような関係性を彼女とも築けるのかは分からない。正直望み薄だ。


 ただ悪い子ではないと思う。倉持咲は安全。明の直感がそう言っている。明を利用しようと近づいてくる者とは違う目を咲はしている。


 モデルになってからはより多くの、普通の生活を送るだけでは出会えない特別な人間と出会ってきた。必然的に人を見る目が養われてきた。その人が私にとって良い人か、悪い人か、その表情を見ただけで大体分かるようになっていた。


 咲は生粋の明ファンだった。

 明と一緒の空間にいるだけで幸せになれるらしい。

 明を見る瞳には常に「憧れ」の輝きが宿っている。そういう眼差しに慣れている明でも常時間近で向けられては流石に気恥ずかしくなってくる。だが神聖視される事はなかった。特別扱いをする事なく対等に接してくる。

 友達になりたいというのはどうやら本当らしい。


 ころころ変わる表情、花のように咲く笑顔、一生懸命な仕草、いちいち構いたくなるような愛くるしさが咲にはあった。

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