沖合
港は多くの人で賑わっていた。漁から帰ってきた男たちは船の整備や、漁獲量の計算。陸からは猫、空からは鳥たちが漁師たちのおこぼれを狙っている。それを高台のベンチから観光客や家族連れが眺めながら食事を楽しんでいた。
「なぁ、イシュメル。しばらく島にいるんだろ?だったら俺に魔法教えてくれよ」
キースはすっかりイシュメルに懐いていた。帰りの船の上でも矢継ぎ早に質問を繰り返し、イシュメルをうんざりさせていたほどだ。
「魔法?これでも俺は聖騎士だぞ、剣術じゃないか?普通」
イシュメルはキースの質問攻めに辟易しながらも、ここ最近戦いばかりだったこともありキースの年相応の無邪気なかわいらしさに心を癒されていた。
「俺は漁師だからな、剣より魔法のほうが役に立ちそうだろ?」
キースは漁師という仕事に誇りを持っているらしく胸を張りながらそう答えた。
イシュメルはキースの返答に少し驚いていた。どうやらキースは思っているよりも賢いところがあるらしい。
「なるほど、それは一理あるな」
「そうだろ!」
キースは魔法を教えてもらえると思い大喜びをした。
「だが残念だ、キース。君には魔法の才能がない」
「え?」
キースの顔色が一瞬にして変化した。
魔法とは自らの魔力を使用することによって発現する超自然現象だ。しかしキースのようにほとんどの人間は、自らに内包する魔力量が少なく、魔力を使用したところで発現までには至らずに大気に魔力が散開するだけになってしまう。
そして、人は自らの魔力をすべて使い切ってしまうと体の一部が結晶化してしまう。それはどんな手を使っても治ることはない。
「だがそんな君でもただ一つだけ方法がある」
「え!あんのか、教えてくれよ!」
またすぐに顔色を変えて嬉しそうな顔をして聞くキース。
「それは、足りない魔力を他人の魔力で補うことだ」
「どうやんだ、それ!俺にもできんのか?」
「ああ、誰にだってできる、簡単にな。だがキース、もしそれをやったら俺は君を討伐しなければならなくなる」
聖騎士の討伐対象、それは有史以前から常に一つだ。
「んだよ。やっぱり無理なんじゃねぇか、ぬか喜びさせんなよ」
イシュメルはキースのその返事を聞いて安心した。そして何よりキースの賢さに感心していた。
「はははは、すまない。よし、お詫びとしてこれをやろう」
そういってイシュメルは首にかけていたコインのネックレスをキースに手渡した。
「なんだぁこれ?あんまりかっこよくねぇな」
表には太陽そして裏には月が描かれた金色のコインだ。どうやらキースの趣味には合わなかったらしくあまり嬉しそうな顔はしていない。
「まぁ待て待て。表か裏どちらかを思い浮かべながらそのコインを投げてみろ」
キースは微妙な表情でコインをネックレスから外した。
「じゃあ表で。っほ!」
投げられたコインはきらきらと光を反射しながら上昇する。そしてコインはキースの手月の面を上にして落ちた。
「はずれたぞ。嘘つき」
「そっちが表だ」
「ほんとかよ。じゃもう一回。あ、マジだ!」
その後何度もやったが結果は同じで、思い浮かべたとおりにコインは落下した。
「すげぇ!」
「“運命は自分の手の中”っていう意味のお守りだ。どうだ、気にいったか?」
「かっけえぇ!もらっていいんだな?もう返さねぇかんな」
「もちろん。それに実はもう一個持ってる」
「なら遠慮なく。いっただきぃ!ありがとな!」
キースはそう言ってモックやほかの漁師が働いているところへ見せびらかしに走っていった。
「あーぁ。あれ賭けに使えるのに。やっぱりあんまり賢くないなアイツ」
「ふふふ、かわいらしいですね」
「うぉ!びっくりした」
イシュメルは突然の声に驚き、素早く飛び退いた。
後ろへ振り返ると目元に包帯を巻いた白髪で二十代ほどの女性がいた。
「あ、すみません。驚かせてしまいましたね」
「い、いや気にしないでくれ。気が付かなかった俺が悪い」
「そうなのですか?では、そういうことにしましょう」
「あ、ああ」
イシュメルは序列一位の聖騎士だ。そして彼は魔法ではなく剣の腕でその地位に成り上がった男だ。普通ならありえないこの状況に内心、大変混乱していた。
「き、君は魔女か?」
「もちろん違いますよ。ふふふ、初めまして、モビーです。この町で父と二人でパン屋をやっています」
モビーと名乗ったその女性はイシュメルの失礼な質問を全く気にすることなく優しく微笑んだ。
「す、すまない。大変失礼なことを言った。この通りだ、許してくれ」
イシュメルは自分の発言を反省し、慌てて頭を下げた。
「この通りって言われても…。私、見えませんよ」
モビーはわざとらしく頬を膨らませながらそうこたえた。それを聞いたイシュメルは一層慌てた。
「モビーちゃん、それくらいで許してやってくれ」
イシュメルが焦って何も言えないでいるところに、仕事を終えた漁師たちが笑みを浮かべながらやってきた。
「あ、ピッチさん、お疲れ様です。許してやってくれって何ですか、私が悪いことしてるみたいじゃないですか」
モビーは漁師たちを労いつつ、いじらしい表情で不満を述べる。
「はっはっは、すまんすまん。しかし、聖騎士サマでもモビーには敵わんか」
ピッチと呼ばれた壮年の漁師は、焦った様子のイシュメルを愉快そうに眺める。
「あ、あの、ピッチ殿…」
イシュメルは気まずそうにピッチのほうへと顔を向ける。ピッチは意地の悪い表情でイシュメルから顔をそらす。おそらく海でのことを根に持っているのだろう。
「まぁ、聖騎士様なのですか。すごいですね」
「ま、まぁ。申し遅れた、イシュメルだ。聖騎士をやっている」
モビーからの率直な誉め言葉に居心地の悪そうな表情をしながら自己紹介をするイシュメル。
「ところで聖騎士サマ、今日泊る場所はあるのか?」
「いや無いな。この島に教会があればそこで過ごす予定だったんだが…」
イシュメルは船の上で漁師たちから島のことをいろいろと聞いていた。彼はこのチーズポケットという島のことを全く聞いたことがなく、かなり遠くまで流されてきてしまったのだと考えている。
世界中を旅するイシュメルにとって町に教会がないことはよくあることでその時は大抵野宿か親切な人の家に泊めてもらっていた。
「でしたらうちに泊まっていきますか?幸い一部屋余っていますし仕事のお手伝いをしていただけるのでしたら喜んで食事もご用意いたしますよ」
「おいおいモビーちゃん、男を家に泊めんのかい?しかも会ったばかりの」
「ふふふ、大丈夫ですよ。うちには父もいますから」
モビーの母は幼いころに亡くなっておりそれ以来モビーは父の手伝いをしながら一緒に生活をしている。モビーのパン屋は町でとても人気があり、売り切れなることがほとんどのため前日から予約があるほどだ。彼女が今港にいるのも注文を受けていた漁師たちにパンを届けに来ていたからだ。
「ああ、そういやそうだったな。元気か?親父さん」
「ええ、相変わらず日中は寝ていますけどね」
「そうか、そりゃあ良かった。今度店に寄っていくよ」
「はい、お待ちしています」
「で、聖騎士サマ。どうすんだぁ?」
「ぜひお願いしたい、モビー殿」
イシュメルが会話に入る暇もなく勝手に話が進んでいたが断る理由もないので素直に好意を受け取ることにした。
「モビーで構いませんよ、イシュメルさん」
「あ、ああ。モビー、ありがとう」
イシュメルは孤児だったところを教会に拾われた。決して裕福ではなかったが育ててもらった恩返しのために聖騎士を志した。使える時間すべてを鍛錬に費やしたため女性への免疫が全くないまま成人してしまった。優しい女性、特にモビーのような美しい女性には大変弱い。
「さぁ、ではこっちですよ。みなさん、今日もお疲れさまでした」
モビーはイシュメルへ手を差し伸べた。そして、迷いのないしっかりとした足取りで歩いてゆく。
「ああ。ピッチ殿それに皆、今日は本当に助かった。用があればいつでも呼んでくれ力仕事なら人並以上にこなして見せる」
「だろうな。だがしばらくはいらんよ。聖騎士サマはモビーを助けてやってくれ」
「もちろんだ」
そう言ってイシュメルは漁師たちに別れを告げ、モビーの元まで歩いて行った。
「モビー。その、大丈夫なのか?」
「何がですか?」
「目が見えないのだろう?危なくないのか?」
「ふふふ、大丈夫ですよ。案外見えなくても生活に困りませんよ」
「そうか。不躾な質問だった、すまない」
「もう、イシュメルは謝りすぎです」
「そ、それは…」
モビーはわざとらしく頬を膨らませる。
イシュメルにとってモビーは一目惚れに近かった。嫌われたくない、出来れば好意を持ってもらいたい、そんな気持ちからついつい下手に出てしまうのだ。
「ほら、これなら満足ですか?」
そう言ってモビーはイシュメルの腕に手を回す。二人の体が密着する。もしイシュメルが鎧を着ていなかったら、彼は聖騎士をやめていただろう。
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